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酒井一之ロシア文学案内

19世紀ロシアの文学作品に限れば、一定の客観的評価を得ているものがあり、その中から筆者の好みで20篇ほど選んでみた。

19世紀のロシア文学 ドストエフスキー

1997-04-24 18:19:22 | Weblog
ドストエフスキー 人間の魂の苦悩を芸術的に表現した作家として、ドストエフスキーは(1821-81)は世界文学において比類ない地歩を占めている。彼は貧しい軍医の家庭に生まれ、ペテルブルクの陸軍技術学校を卒業して官職に就いたが、まもなく辞職して、文筆生活に入った。
 彼の初期の作品『貧しい人びと』『白夜』などでは、都会の裏町に住む貧しい人間の心理を異常な鋭さをもって描かれている。その基調をなすものはこれらの不幸な人々への作者の人間的な同情である。
 彼は社会主義の理想をロシアに実現することを夢見て、ペトラシェフスキーの秘密組織に参加し、1849年に捕らえられてシベリアに流された。10年にわたる拘束生活のあいだに、彼は社会主義と無神論を捨てて、深く宗教的な人間になってロシアに戻った。そして生活の諸条件が変わる可能性を否定し、人間不幸の原因やその不幸からの出口を人間の内心に求めるようになる。それが宗教への道である。彼はギリシャ正教の中に救いを見いだそうとする。彼によれば、「人類の不幸の源泉は魂の原罪であって、社会制度の欠陥ではない。人間は何よりもまず己心にひそむ悪や罪と戦い自力で道徳的完成を成し遂げなければならない。われわれの救いは神にある。しかるに社会主義の本質は神の否定にある。これは間違っていると言わざるを得ない」。
 私事にわたるが、学生時代にボクが読んだ小説はドストエフスキー物がいちばん多かった。ドストエフスキーの作品には、悩んだすえ絶望した若者が多く登場する。学生の常でボクも悩みごとが多かった。それで、ドストエフスキー物の若者の中に自分の姿を見いだしたのかもしれない。
 キルケゴール(注.デンマークの思想家。人生最深の意味を世界と神、現実と理想、信と知との絶対的対立の中に見、後の実存哲学と弁証法神学に大きな影響を与える。)の著『死に至る病』のうちには『罪と罰』のラスコリニコフとマルメラードフ、『悪霊』のスタヴローギン、『カラマーゾフの兄弟』のイワンやコーリャ・クラソトキンをモデルにして書いたとしか思えないくだりがいくらでも見つかる。いつの時代にも青年は絶望しているのだ。絶望なんかしていないと思うのも、絶望の一つの典型なのだ。閑話休題。
  以下、ドストエフスキーのライフワークである宗教的心理小説の4大長編のあらすじを創作年次順に語ろう。

『罪と罰』 ドストエフスキーの作品の中で、時として病的と言えるほど深く犯罪心理を追及した大作である。物語は主人公ラスコリニコフのペテルブルク大学生時代に始まっている。そのころからラスコリニコフは赤貧洗うような窮乏生活と闘わなければならなかった。うつ病で内省的な彼は、いつも小部屋に閉じこもって瞑想にふけっていた。彼は、「生命の中にある善悪は絶対的なものではなく、相対的な概念である」と考え、こうした善悪のそとにあって、行為の道徳的評価を超越した少数の超人を衆愚から区別し、自分もその超人の仲間入りをしようと考える。彼の哲学によれば、超人はその天才ゆえに、善悪を超えてあらゆる行為が許される。そして衆愚は、超人が最高目的を達成するための手段とならなければならない。選ばれた超人には道徳倫理の制約はない。なぜなら、超人にあっては目的が手段を浄化するからである。
 このように考えるラスコーリニコフは、かねて狙いをつけていた高利貸しの老婆を殺そうと決意する。しかしこの計画で彼にとって重要なのは、大金を手に入れることではなく、殺人が彼の哲学の正しさを立証することだった。であるから、彼は凶行の結果よりも行為の論理的手順を重要視する。結局、彼は自分の凶暴な観念のとりこになり、老婆だけでなく、誤って予定外に老婆の妹まで殺してしまう。そして、このような二重の殺人による煩悶・錯乱が悪夢のように彼を襲い、彼は良心の呵責に苦しむようになる。こうして、彼は自分が殺したのは他人ではなく、結果的には彼自身であり、自分の哲学であったことを知る。家荒れ野論理は完全に敗れた。犯罪の深刻な心理描写亜は、名検事ポリフィーリーの論告と相まって作者の筆才の独壇場である。
 ラスコーリニコフの精神的更正において恋人ソーニャが少なからぬ役割を果たした点も忘れてはならない。貧しい小役人の娘である彼女は、義母とその子供を貧困・飢餓から救うため、春をひさぐまで身を落とす。彼女は境遇の汚らわしさ、恥ずかしさを意識しながらも、心は清純そのもので、持って生まれた人の良さ、他人への思いやり、そして厚い信仰心を持ち続けた。ラスコーリニコフにはソーニャが、人類の苦悩を一身に背負ったキリストの再来のように思えた。ソーニャはラスコーリニコフの身の上に深く同情しながらも、信仰の最高哲理に従い、いさぎよく悔いをあらためて罪をあがなうよう薦める。彼女の心根に深く感動したラスコーリニコフはついに自首して、シベリアに流される。ソーニャも彼のあとに付きしたがい、そこに二人の新生活が始まろうとするところで小説は幕となる。 『罪と罰』の基本理念は、反逆や暴力を象徴するラスコーリニコフの傲慢な理性とソーニャの温順な信仰との戦いにおいて、最終的に勝利するのはソーニャ温順な信仰という点にあったと思う。

『白痴』 本篇は作者が外国滞在中、窮迫のどん底にあって書き上げたもので、ドストエフスキーの傑作の中でもとくに「美の悲劇」といわれ、美の魔力と真実の救いとの悲劇的な葛藤を描いた力作である。作者みずから言及しているように、彼はこの作品において、現代のキリストともいうべき愛と美の理想を体現した人物を描こうとした。主人公ムイシュキン公爵はかくありたいと願う作者の理想像である。たしかに、神秘的天性において最高真実の光彩を放つ公爵はまさしくそうした人間理想であり、その性格は、神のように清純な精神、幼児のように素直に人を信じる心、他人に対する無限の愛と慈悲心である。小説は、ムイシュキンの病気がほぼ癒えて、外国療養から帰国するところから始まる。帰途の車中で相手役のラゴージンに会い、彼の口から初めて女主人公ナスターシャのことを聞く。以下、あらすじである。
 ナスターシャはまだ15-6歳の少女だったころから好色の富豪貴族トーツキーの肉欲の犠牲になり、その妾(めかけ)として暮らしていた。そのうち、長いこと卑劣な男に貞操をもてあそばれていたことを知って、ナスターシャは激しい屈辱と怒りを持ちはじめた。彼女の性格は一変して、今までの謙譲さやしとやかさを失い、高慢なあばずれ女になり果てる。ムイシュキン公爵が彼女と知り合うのは、ちょうどそのような時であった。彼女の美貌は最初から公爵の心をうばい、彼女の悲しい身の上に限りなく同情するのだった。ナスターシャもまた、多くの取り巻き連の中でムイシュキンだけは心から彼女を愛してくれる唯一の人間であることを知って、彼に強い愛情を感じはじめる。だが一方で、酒喰らいのラゴージンが動物的情欲で彼女に迫るのを、内心嫌悪しながらも、その情念に負けて彼と結婚しようと考えている。このように、悪魔の生命と神の生命をあわせ持つナスターシャは、悪魔的なラゴージンと神のようなムイシュキンとの間で心が二つに割れて、気が狂うほど悩みぬいたあげく、「堕落した自分ゆえに純真な公爵の心をけがす」ことを恐れて、ラゴージンと駆け落ちをする結果になる。こうした彼女の心の揺らぎ、内的葛藤、挙げ句の果ての精神的錯乱を描く作者の芸術的筆致はまさに圧巻である。ラゴージンにしてみれば、ナスターシャを肉体的に征服したものの、彼女の心までは支配できず、さりとて嫉妬の業火からのがれることもできなかった。挙げ句の果てラゴージンは睡眠中のナスターシャを刺殺してしまう。
 この惨劇を知ったムイシュキン公爵は発狂してふたたびスイスの精神病院に送られる場面で小説の幕は閉じる。

『白痴』ではいくつかの根本的な矛盾・対立が主題となっている。たとえば神と悪魔、マクロ的始源とミクロ的始源、感覚的真実と感覚的美、悪魔的傲慢と天使的謙譲──こうしたもろもろの矛盾が衝突するとき、それが思想上の嵐転化する。そして作中人物はすべて、この嵐に巻きこまれて麻痺状態になるのだ。作者ドストエフスキーはそうした人間心理の混沌によって誘発される欲望のナゾをすさまじいまでの筆力で説き明かしている。

『悪霊』 ドストエフスキーの長篇でも別してユニークな作品である。本篇は当時の有名なニヒリスト(虚無主義者)ネチャーエフが仲間の学生イワーノフ某を殺害した、いわゆる「ネチャーエフ事件」をモデルにしたといわれている。ドストエフスキーにとってネチャーエフ主義すなわちニヒリズムは単なる偶然事ではなく、暴力革命の必然的所産であるがゆえに、彼はこの事件をとらえて、革命の道徳的本質にせまり、直接その核心に打撃を加えようとしたのだ。「社会が風刺の対象になるのは、それが、悪魔にとりつかれたように、革命思想という病に冒されるされているからだ」とドストエフスキーは考える。この作品の描写はことさら痛烈だ。青年層などに少しも遠慮せず、逆に毒のある痛罵と嘲笑で青年の目を開く意図で書かれている。だから一部の批評家は、本篇を特定の陣営に対する悪意のあるカリカチュアとしてしか見ようとしなかった。
  本篇においては、ネチャーエフ(ピョートル・ヴェルホヴェンスキー)をはじめ、グラノフスキー(ステパン・ヴェルホヴェンスキー)、ツルゲーネフ(カルマジーノフ)ほか、ベリンスキー 、オガリョフ 、チェルヌイシェフスキー など、社会、文壇の知名人が戯画化されている。(上に挙げた人々はすべて、西欧派でナロードニキ思想の持ち主)作者自身にとってこの作品は自信作だったが、読書界の進歩分子からはかなり痛烈な攻撃を受けた。彼らは本篇から、作者の反動的な憎しみ、政治的な保守主義以外の何ものも見ることはできなかったのである。
 この小説は途中から別の作中人物スタヴローギンを取り入れている。無政府主義者バクーニンをモデルにしたといわれるこの人物は、あたかも別世界から現われたように、『悪霊』の基本テーマとはなんら有機的関連を持たない複数の新しい人物を小説に引き入れつつ、これらの同伴者とともに小説の第二層を形成している。第一層ではピョートル・ヴェルホヴェンスキー(ネチャーノフ)を中心とする悲喜劇であったが、第二の物語はスタヴローギン(バクーニン)を主人公とする悲劇である。
 スタヴローギンは口数の少ない25歳の青年であるが、同時に大胆かつ自信家である。彼は思想において極端から極端にはしり、信仰から無信論に転じ、社会的なニヒリズムから宇宙大のニヒリズムにまであわせ持っている。作者はかねて『無神論者』もしくは『大罪人の一生』と題する大作を計画していたが、スタヴローギンはつまりこの大作の主人公になるべき人物であり、要するに信仰と無信仰とのはざまを去来する人物、すなわち懐疑に苦しんだ、かつての作者自身を体現した人物である。
 その他の人物中、実在のキリスト者イワーノフ某をモデルにしたシャートフは、作者が自分のスラブ主義と正教理念を代表させた人物であり、別して独創的な人物キリーロフは超人思想を代表する人物で、実存哲学の始祖の一人ニーチェの先駆的形象である。ドストエフスキーは、さきに『作家の日記』において、「いったんキリストを否定したら、人智は驚くべき結果に到達する」と書いたが、『悪霊』はこの「驚くべき結果」を人類に示す意図をもって書かれたものである。彼は本篇で、「革命の名において手段をえらばず、神の掟(おきて)を破る権利を主張する者は、悪霊にとりつかれた者として、断罪される」と書いている。一言にして、『悪霊』は大いなる怒りの書であり、ロシア文学における『黙示録』ともいうべき作品である。

『カラマーゾフの兄弟』 ドストエフスキー畢生(ひっせい)の大作『カラマーゾフの兄弟』のなかには、シベリア流刑から帰ったのちの彼の基本的な思想が凝縮されている。
カラマーゾフ一族 ── 父親フョードル、長男ドミートリー、二男イワン、三男アリョーシャ、さらにフョードルが白痴の女に生ませた私生児スメルジャコフ ── を主要登場人物としてくりひろげられる葛藤が、スメルジャコフによる父親の殺害を頂点として、アリョーシャをのぞく一族の破滅、そして暴力の肯定者イワンの無神論に対する、温順なアリョーシャのキリスト教的愛の勝利をもって終わる。
 父親フョードルは、最後は淫乱貪欲の化身となり果てるが、彼の性格そのものは、それぞれ拡大された形で4人の息子に受け継がれる。
 すなわち、長男ドミートリーは旺盛な生命力と情熱、誠実と信仰の持ち主だが、抑制と調和の能力に欠け、善への思考をもちながら、しばしば情欲の悪魔にとりつかれ、妖婦グルーエンカをめぐって父親と争う。
 次男イワンは、西欧的な合理精神の持ち主で、徹底した無神論者である。彼の無神論は、彼が弟アリョーシャに語って聞かせる自作の劇詩『大審問官』においてもっとも先鋭に表現されている。大審問官はキリストの教えを訂正し、人類を主人と奴隷に分け、「奴隷にひとしい民衆は自由を望まず、ただ群衆心理的な信仰と、神・絶対者への盲目的脆拝に終始するだけである。彼は、自由の重荷から民衆を救うためには、強力な独裁国家を建設しなければならない」と考える。大審問官が地上に建設する神の国家のなかに、作者ドストエフスキーは自分流に解釈した社会主義のユートピアを暗示している。
 イワンは理性に頼り、神を否定するが、理性を欠くスメルジャコフはイワンの無神論を聞き、神が存在しなければ、何をしてもよいという結論を引き出し父親フョードルを殺す。そして、イワンに向かって父親殺しはイワンの教唆(きょうさ)によるものだと告げて自殺する。イワンはスメルジャコーフのなかに自分の分身を見て、苦悩の果て発狂する。
 三男アリョーシャはキリスト教的愛の権化である。彼は神と人とを結びつけようと努め、肉親の反目を愛によって和解させようとして果たせなかったが、さらに高い調和人間への自己完成の道に向かう。作者の最終プランでは、これより13年後のアリョーシャを主人公とする物語を書き上げるはずだったが、作者の死によって実現しなかった。