酒井一之ロシア文学案内

19世紀ロシアの文学作品に限れば、一定の客観的評価を得ているものがあり、その中から筆者の好みで20篇ほど選んでみた。

19世紀のロシア文学 ゴーゴリ

1997-04-27 18:13:05 | Weblog
ゴーゴリ ニコライ・ゴーゴリ(1809-52)はプーシキンより10歳年少で、彼が郷里のウクライナからペテルブルグに出てきたころには、かつてプーシキン世代が最大関心事としていた「政治的自由」なる理想が、すでに社会の表面から消えてなくなっていた。「国民のなかには、どんな精神のきらめきも見られない。すべての人間が自分の勤め先や役所のことだけを話している」と彼は母親に書き送っている。
 彼は母親が送ってくれた金で外国に旅立つが、途中で気が変わりペテルブルグへ引き返えす。その後ある役所に就職するが、作家志望の気持ちは捨てられない。
1832年、故郷ウクライナの田園生活に題材をとった短編集『ジカーニカ近郊夜話』発表するに至って一挙に文名が高まる。その中に収めた短編『ソロチンツィの市(いち)』『イワン・クパーロ祭の前夜』『五月の夜』などはいずもウクライナの民話や風俗に取材した作者のロマンチシズム期の空想的作品で、そこではルサルカ(水と森の精)や魔女、小悪魔が登場する。批評家ベリンスキーは『五月の夜』について次のように論評している:「春の夜に、燃えさかる暖炉のそばでこの作品を読んでみたまえ。そうすれば諸君は冬の寒さや雪あらしを忘れることができるだろう。そして祝福された南方の輝かしい透明の夜を、奇跡と神秘に充ちた夜を感じるだろう。この印象はシェークスピアの『真夏の夜の夢』が与える印象と酷似している」
続いて出した創作集『ミルゴーロド』に収められた歴史小説『タラス・ブーリバ』はプーシキンの『大尉の娘』と共に、歴史物語の白眉として、ロシア文学史上重要な地位を占めている。
 34年以後、ゴーゴリは文筆生活に専念することになる。初期の作品としては、『外套』『鼻』『肖像画』『狂人日記』『ネフスキー大通り』など、総じて都会生活を扱った、いわゆる「ペテルブルグ物」だ。ここでは『外套』と『鼻』の2篇について簡単に触れておこう。

『外套』 ペテルブルグのある役所の書記である九等文官アカーキー・アカーキエヴィチは、長年着古した自分の外套がすでに修理不能なほど傷んだので、食費を節約し、やっとこさ外套を新調するが、ある夜、宴会から帰宅の途次、原っぱで追いはぎに奪われてしまう。アカーキーは盗られた外套を取り返そうと百方手をつくし、「お偉方」に頼み込むが、剣もほろろに追い返されてしまう。外套なしで吹雪の中に追い出された彼は風邪をこじらせ、失意のうちに病死する。
 それ以来、その原っぱには通行人から外套を奪う幽霊が出るようになった。ある晩のこと、「お偉方」がその原っぱを馬車で通り過ぎようとした。すると、アカーキーの幽霊が現われて「お偉方」の襟首をつかまえ、「とうとうやってきたな。その外套をよこせ」とさけんだ。「お偉方」は青くなって外套をほうり出し、全速力で馬車を走らせた。それからというもの、幽霊はぱたりと姿を見せなくなったという。 この小説は、社会の下積みの人間への作者の暖かい思いやりを反映している。そしてまた、怒りと抗議がその中に込められていることによって、19世紀ロシア文学のすぐれた特徴の一つ、ヒューマニズムの礎石を築いたものとして大きな意義を持つ。ドストエフスキーが、「われわれはみな、ゴーゴリの『外套』から生まれた」と言った言葉を額面通りに解するのは正しくないかもしれないが、彼を含めた19世紀の作家たちが、ゴーゴリの散文の手法と精神の延長線上で各自すぐれた仕事をなしとげたことは、換言すれば、ゴーゴリがロシアの散文(近代小説)の父であることを裏書きしているといえよう。

『鼻』 『外套』と並び立つ名作、コヴァリョ少佐がその主人公である。ある朝、コヴァリョフは鏡を見て、あっと驚く。顔から鼻が消えてなくなっているではないか。まだ結婚前のことでもあり、鼻が失せたとあっては社交界に顔を出すわけにもいかない。困った彼は鼻を探しに出かける。体裁が悪いので鼻があった場所はハンカチを当てたままである。街で顔見知りの婦人に出会っても、今の彼はお世辞をふりまくどころか、逃げだすことしかできない。 …… しかし苦労の甲斐あって、彼はついに鼻を見つけ出した。コヴァリョフは、軍服すがたの自分の鼻が、立派な馬車から降り立つのを見た。けれども、なんと、鼻は彼よりも官等が上の少将である。いかに自分の鼻だとて、呼び捨ては具合が悪い。「恐れながら閣下!」と十分敬意を表しながら彼は鼻に元の場所に戻ってくれるよう哀願する。しかし鼻は取り合わず、人ごみの中に消える。
 がっかりしたコヴァリョフは、新聞社へ行き、尋ね人欄に鼻のことを載せてくれように頼みこんだが、係りの者は、そんな広告を載せたら新聞の信用がなくなると言って取り合わない。
 コヴァリョフは、もしかすると、これはだれか自分に悪意を持つ人間の仕業かもしれないと考える。そこで、彼は思い当たる某夫人に抗議の手紙を出すが、それに対してはとんちんかんな返事しか返って来ない……。
 困り果てたコヴァリョフ少佐のところへ、ある朝巡査がやってきた。その鼻は、コヴァリョフ行きつけの理髪師が、紙にくるんで橋の上から川に投げ捨てようとしたのを、怪しいとにらんだ巡査が尋問して取り返したものだった。届けられた鼻を見てコヴァリョフは喜んだが、次の瞬間、はたと途方にくれてしまった。どうやって鼻を顔につけたものか? 元の場所に息を吹きかけて鼻をくっつけても、すぐに床(ゆか)に転がり落ちてしまう。医者にも頼んで見たが無駄だった。彼は泣きたい思いである。
 しかしある朝とつぜん、彼は自分の鼻がいつしか元通り顔におさまっているのに気づいて、やれやれと安心したという。 だが、この話はどうもおかしい。いろいろと辻褄の合わないところがある。しかし、だれがなんといおうと、世の中には、こうした奇妙なことがある。たしかにあるのだと、作者は話を結んでいる。

喜劇『検察官』 ゴーゴリはまた、『検察官』という戯曲によって、ロシア演劇史に不朽の名を残した。『検察官』は、市長をはじめとする、小さな地方都市の「名士」連が、都からやってきたやくざなペテン師にさんざんしてやられるという風刺喜劇である。劇のヒントはプーシキンによって与えられたという。以下、あらすじを紹介する。
  ロシアのとある辺鄙な小市の市長で、収賄・汚職など、あらゆる不正を働いている市長アントン・アントーノヴィチのもとへある日、首都の友人から、このたび地方巡視のため中央政府から検察官が派遣されたというニュースがもたらされたので、市長の狼狽ぶりは大変なもの、判事・病院長・視学・郵便局長・地主など、市の「名士」を集めてどうしたらいいか対策を練る。彼らはいずれも市長と同様、すねに傷もつ徒輩だ。
たまたま市の旅館にフレスタコフという若い男が泊まっていた。この男は都から郷里に帰る途中、カルタ賭博で持ち金をすっかり巻き上げられて文無しで宿を出るに出られないでいる。市長の取り巻き連のひとりがこれを知り、てっきりお忍びの検察官と思いこみ、市長に注進する。市長はすぐ彼を迎えに行く。フレスタコフは最初、無銭飲食のため牢屋にぶち込まれるのではないかと心配するが、どうやら市長は「おれをお偉いさんと間違えた」と気づく。彼はくそ度胸をきめた。
市長はフレスタコフを賓客として自宅に招き、山海の珍味を馳走し、「袖の下」(賄賂)を出す。取り巻き連も市長に右へならえする。フレスタコフは、常日ごろ不正を働いている彼らの弱みにつけこみ、したい放題、市長夫人と娘にちょかいを出す。そして潮時を見てどろんをきめこむ。
フレスタコフは逃げるのにさきだって、あらかじめこの愚かしい市に起こった一部始終を都の友人にあてて知らせるが、この手紙がたまたま、他人の親書の開封癖がある郵便局長の手に渡り、フレスタコフが偽の検察官だったことがばれてしまう。郵便局長はさっそく市長のところに駆けつけて、くだんの手紙を読んで聞かせる。真相を知って市長はじめ取り巻き連一同、大騒ぎとなる中、憲兵が現われ、「ただいま検察官どのが到着なされました」と、今度こそ本物の検察官の到着を告げたので、一同はびっくり仰天、色を失い、市長は両手を空(くう)にさし上げたまま棒立ちになり言葉も出ない。こうして登場人物一同が活人画のようなポーズをとったまま幕が引かれる。
 喜劇『検察官』に描かれているのは、農奴制下のロシアにおける官僚機構腐敗のすがたであるが、この作品はそのユニークな様式においても、その深い社会的内容においても、グリボエードフ の『知恵の悲しみ』と共にロシア喜劇最高の作品に数えられる。

『死せる魂』 ゴーゴリは1836年からローマに滞在して、大作『死せる魂』を書き続けた。作者の構想によれば、それは、ダンテの『神曲』にならった三部作となるはずだったが、こんにち残っているのは、『神曲』の『地獄編』にあたる第一部と、『煉獄編』にあたる第二部の断章である。第一部は主人公チチコフが死んだ農奴を買い集めるために、地主たちの領地を遍歴する物語である。チチコフは人口調査のあとで死んだ農奴がつぎの人口調査まで戸籍面に残っており、地主にとって納税上の負担になっていることに目をつけ、死んだ農奴の名義を二束三文で買いとり、これを抵当として銀行から金を借りようとするが、この計画は死人買いという違法が事前に暴露されたため、チチコフの目論見が失敗に終わるという筋書きである。
 チチコフが歴訪する地主のなかにはけちんぼうあり、乱暴者あり、大ほら吹きあり、センチメンタリストあり、とバラエティーに富んでいる。読者の前には、農奴制地主のグロテスクな生活がまざまざと暴露されるので、読んでいて思わず同書に引きずりこまれる。たとえば、野獣のようなソバケーヴィチ、軽薄な放蕩児ノズドゥリョフ、徹底した握り屋プリューシキン、迷信に凝り固まった女地主コローボチカ、甘い感傷家マニーロフなど。彼らの名は今日もなお、こうした否定的人格の代名詞になっている。
 第一部の成功に満足した作者は第二部の創作に取りかかった。そのころ彼は高尚な思索や宗教的内省に専念して精神の浄化に努める。そうすることによって初めて肯定的な人物、つまり善人の形象が描けると考えたのだ。ゴーゴリは教会に日参して熱心に祈った。こうして1845年に第二部を脱稿するが、彼はそれをに満足できず破り捨ててしまう。無理もない。否定的人物、つまり悪人を描くことに成功したゴーゴリも、善人を描くことは不得手で、描いた形象から生きた人間の息吹が少しも感じられないのだ。それはまるで蝋人形だった。
 このように、第二部の断章は失敗に終わり、そのあとゴーゴリの精神病的症状は日ごとに顕著となり、やがてそれは宗教的神秘主義に転化する。1852年に精神異常が急速に進行し、せっかく脱稿した第二部の改稿も焼き捨ててしまう。彼はそのままベットから起き上がれず、祈りと断食のうちに同年2月、44歳の生涯をとじた。
 こうした悲劇的最期にもかかわらず、『死せる魂』第一部はデザインの奇抜さ、内容の複雑さにおいてまれに見る大作である。ゴーゴリの的確な描写と巧みな語り口は、読者に、小説を読む楽しさを心ゆくまで味わわせてくれる。ロシア文学はゴーゴリの『死せる魂』において本格的なロマンを持つに至ったといって過言ではない。学生諸君もぜひ読破してほしい。


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