「さかはし」さん集まれ~*苗字は歴史の小宇宙

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はじめまして! 全国、いや、全世界の「さかはし」さん、「さかばし」さん、集まって~~*

2018-08-17 06:23:46 | 日記
初めまして。
私の旧姓が「さかはし」でした。「さかはし えりこ」と申します。

私の「さかはし家」は、現在北海道在住。

それ以前は、どこに暮らしていたのだろうか?・・・と疑問になり、戸籍を調べてみました。

現在から遡りますと

札幌 ⇒ 釧路 ⇒ 岩内 でした。

それ以前は
新潟県 (今の)見附市という所に居ました。

ここから北海道へ渡って来たのです。

見附で、どのようなことをしていたのかはわかりませんでしたが、

祖父は釧路では「パーラー カネサキ」という甘味処、喫茶店を開いておりました。

お汁粉はもちろんのこと、その当時(昭和初期?)まだ珍しかったアイスクリームの機械があって、アイスクリームも出していたそうです。

幾つかのエピソードがあります。

息子4人の父であった「さかはし 政由」とても厳しい父で、学校から帰宅した後は必ず手伝いをさせていたそうです。
また、息子4人には店の「甘み」もめったに口に入らなかったようです。

が、遊びに行った親戚の女の子には、チョコレート・アイスクリームなど珍しい甘みを「食べてみるかい~」とめちゃくちゃ甘い、やさしいおじさんに変身。

また、研究熱心で釧路からその当時おしゃれだった小樽の街に、今何が流行しているかを調べに行っていたそうです。
それがパフェだったり、するわけです。

それらを取り入れて釧路で新しい甘味として提供していたそうです。

そうそう、コーヒーも薫り高く、ココアもバンホーテンのココア、など飲み物にも凝っていたそうです。
少しチョコレートの香りのするコーヒーもあって、美味しかった!そうです。


戦争直後、お砂糖が手に入らないときに祖父は良いことを思いつきました。(第二次世界大戦直後)

それは干し柿を入手し、そこから煮詰めて蜜を抽出することでした。

きっと新潟から送ってもらったのでしょう。

この方法は見事に功を奏し、甘みを欲していた人々のヒット!となって、毎日列ができるほどお店が流行ったそうです。

朝の早いうちから小豆を煮て…夜までお店という生活、働き者だった祖父は50歳代で引退します。
そして、以前から好きだった「庭いじり」に熱中します。

ほどなくして、庭の木から落ちてしまい(脳卒中か?)そのまま亡くなってしまいます。

私には、いつも珍しくて面白いおもちゃを買ってきてくれる、とてもやさしい素敵なおじいちゃんでした。

憶えているのは、いろいろな果物のおもちゃと、それらを量る「ちいさな本物の量り」
まだ4歳のころだったようです。

弟には、ねじで動く太鼓をたたくインディアンのおもちゃ。
弟にとってはこれが恐ろしくて…ふすまを閉めて、その隙間からのぞくのがせいぜい。
2歳のこどもには迫力のありすぎるおもちゃだったようです。

~~~*~~~

皆さんの「さかはし」「さかばし」さんは、どちらのご出身でしょうか?

どのような漢字を書くのでしょうか?  私の家は「坂橋」です。

家紋は?  私の家は「蔦紋」丸も付いていたかなぁ??

由来・歴史・伝承? 
なんでもご存知のことがあったら、いや、無くても、コメントをいただけますとうれしいデス。

お待ちしております。

Hawaiiに移住した「さかはし」さんも、いらっしゃるようです。

どのような経緯で移られたのかも、教えていただけますとうれしいデス。

それでは、皆さま よろしくお願いいたします。   








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