自然の癒し ホメオパシーセラピールームSAHHO クラシカル

代替医療の最後の切り札としてホメオパシーが浮上しています。ミラクルな癒しの技を堪能してみませんか。

日本クラシカルホメオパシー協会JAOCH

2008-12-28 15:57:32 | Weblog

日本にホメオパシーが入って来てからはや10年経ちました。

皆様もご存じのように、それまでは2つしかなかったホメオパシースクールがあちこちにでき始めています。ホメオパシースクール春秋戦国時代の到来です。これは限られた企業団体に営利が集中しがちだった以前に比べれば、とても喜ばしいことです。

現在存在するホメオパスは某大手ホメオパシースクール出身者がほとんどなのですが、世界事情からはかけ離れた日本特有のホメオパシーレメディの使い方に違和感を感じる方たちも多くなってきている今、やっとホメオパシーの閉鎖的後進国だった日本も世界水準に突入しようとしているという兆しが見え始めてきたということになります。

こういう状況の下で、日本に健全なホメオパシーを根付かせたいという運動が起きてきました。

現存する営利企業母体のホメオパシースクールを公平な視点で総括するミッションビジネスです。非営利団体のホメオパス認定団体を作ろうとする動きです。ホメオパシーは皆様もご承知のように、代替医療の金字塔とも言える力を持っています。同時に人間の健康を扱う分野ですから、当然厳しい倫理規定が必要になります。

現在は有志が設立準備に入っていますが、すでにホームページの概要ができていますのでアクセスしてみてください。

日本クラシカルホメオパシー協会JAOCHhttp://jaoch.org/は、協会に賛同する皆様から、メールを受け付けています。

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愛と憎しみは同じ。きれいと汚いは同じ。ホメオパシーのポラリティ・極性・矛盾

2008-12-19 00:16:32 | Weblog
愛と憎しみは同じエネルギーです!

といっても、まさか、愛と憎しみは同じこと、なんて、誰も思いつかない?

そうだよね、愛と憎しみは反意語で決して同じものではない!と・・・

でもあんなに愛していた人にいったん裏切られると殺したくなるほど憎くなったりする人って多いですよね。愛した男性の性器を切り取ってしまった阿部定tぽいう歴史的な女性もいたし・・

対極図という、あの太極拳や気功をやる人たちのシンボルマークはご存じですよね。陰極まれば陽になる、という白と黒の勾玉みたいなのが絡み合った図です。この思想がホメオパシーの哲学にもしっかり表現されていることになるのですね。

ホメオパシーでレメディを選んで行く時の指標の一つに、どうすれば症状が悪化し好転するかをリサーチする場面があります。

たとえば頭痛が寒さで悪化する人がいたとします。そうするとこの人は当然温かさで頭痛がよくなるということになります。寒暖のスケールのどこにその人がいるかで頭痛がおこったりおこらなかったりする、ということになりますから、頭痛という症状を起こす・起こさないエネルギーは温度変化そのものになっていくわけです。

つまり寒暖の差という現象そのものは、頭痛という表現を起こす起こさないということでは同質ということになってくるのですね。

これは人を愛しているときのエネルギーが憎しみに変わっていくときのエネルギーと同質である、ということになっていくのを指しています。

わかったようなわからないような?

わからなくてもいいのですが、これが宇宙の真理だということを、対極図は表現しています。開けない夜はないし、追い詰められたネズミは猫を噛み、丸い地球のスタート点は終点になる。

こうした円環の中にありとあらゆる現象はちりばめられて混沌としながらも秩序の中で一切を溶かしこみながら循環している、ということになっているようです。

人を呪わば穴二つ、ということわざがあります。呪いの気持ちは自分に帰ってきて自分を攻撃してくるということでしょうか。呪いを受けるはずの人が素知らぬ顔をしている限り、思いは丸い地球を一周して自分に戻ってきて、自分を呪い始める?

こういった心理を昔の人たちはとっくに知っていて、そういう穴に入り込まない手段を持っていたのですね。恐るべし、ことわざ!

話がどんどん広がっていきましたが、要するに何を言いたいのか、というと、ひとりの人の中には必ず相対極するものがあり、驚くことはない、それは宇宙の真理であって、内なる宇宙を持つひともまた、そのことわり道理に、それから無縁で生きるわけにはいかない、ということです。

ホメオパシーを実践していると、常にそういう、一見矛盾にみえることを併せ持つ人に出会います。ほとんどすべての人がそうかもしれません。ただそのスケールのどこにいるのか、ということだけが現時点のその人物を規定しているに過ぎない。その人は何か起こったら殺人鬼になっても全く不思議ではない、のです。

ホメオパシーはそういう厳粛さを常に提供してくれます。それはホメオパシーが人間を丸ごと受け止める医療体系に立脚しているからなのです。ホリスティック医学の金字塔といわれるのも、人間の全体性を見て初めてレメディを決定していく医学だからなのでしょう。

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魂いの食べ物・画家詩人宮迫千鶴の、冥福を祈ります

2008-12-17 17:35:11 | Weblog
神からの授けもの、と呼ぶのに何のためらいもなくあげられる同時代の作家を去年、今年と相次いで二人も失いました。

去年は「3匹の蟹」で芥川賞をとった大庭みなこhttp://www.jlpp.jp/writer/detail.html?w_id=255、
今年は画家・エッセイスト宮迫千鶴http://camunet.gr.jp/bookclub/new/s045.htmlです。

彼女たちの作品を読む時には、誰にも邪魔されない空間でおいしいお菓子を少しずつ食べるのに似た至福を味わいました。

魂の食べ物というものがもし存在するとしたら、魂をきちんと自分の言葉や表現手段で料理することができる人たちが丁寧にお皿に盛りつけてくれたようなもの、のような気がします。

思えばなんと多くの人たちが人生の中で魂の食べ物を欲しがっていることか。そういうことに早めに気がついた者たちは、自分のいく道を示す一条の光がどんな種類のものなのか、それはどうすれば手に入れられるものなのか、一生の時間をどのように使えばいいのか、おのずとわかってくるような気がします。

ホメオパシーをライフワークとし始めた時は、今まで食べた魂の食べ物を、今度はそれを必要としている方たちに差し出す行為に移行していく瞬間だったような気がします。

もちろんホメオパスは同時に自分の新しい魂の食べ物を食べ続ける必要があります。こうした大いなる循環の中で生かし生かされていくスピリチュアルな旅は、新鮮な魂の料理を永遠に必要としているのです。

来年はどんな魂の食べ物を手にとれるのでしょうか、そして自分からもどんな食べ物を指しだすことができるのでしょうか。

大いなる円環は閉じられることなく、死と再生をことほぐように、クリスマスをまじかにした今も続いていきます。

メリークリスマス!

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ストーブでスープ・冬の定番!

2008-12-15 17:03:34 | Weblog
冬の料理はやっぱり実だくさんの鍋!というのはとっても定番ですが、実だくさんのスープというてもあります。

この前レストランでトマト味のスープ・ミネソトローネを注文して飲んだのですが、これがおいしい!のですね。野菜とコンソメ味のあっさりトマトスープですが、とっても体が温まりますし、パンによく合います。でもほんのちょっぴりなんで、なんとも物足りない。

やっぱり「おうちでスープ」に勝るものはない!

と再確認したので、ど~んとポトフ(西洋おでん?)を作りました。中に入れるものは何でもいいのです。野菜もごろごろいれます。ベーコンとPALシステムのおいしい鶏肉も入れます。ローリエとローズマリーもいれます。香りづけはスープに欠かせない。これがあるないとでは天国と地獄、必ず必ず入れましょう。

こうやってできたものをスートーブの上に放置します。冬はストーブを活用できるのでうれしい!あれこれとっちらかして家で仕事をしているストーブ2スープ.jpgお茶の時間ものぐさホメオパスには好都合の料理です。

ぐつぐつ煮えますから、形のある野菜を楽しみたかったら、煮崩れする前にご飯にかけたりしてリゾットです。そのまま具だくさんスープでもOKです。

時間がたつに従って、しっかりと野菜も崩れるから、新しく野菜を追加するなり、どろりとしたスープにトマトジュースなんか加えると、また新鮮な味が復活。あるいはカレー味にしてカレーで楽しむこともできます。

ポトフ→トマトスープ→カレーと、いろいろ変わるので、何日でもストーブの上のスープは活躍です。

野菜からにじみ出たエキスが冬の寒さの疲れた体を優しくいたわってくれますから、冬は毎日スープと暮らそう!

でもでも、これってホメオパシー?  野菜のエネルギーとストーブの火とたっぷりと時間をかけたスープは、ミネラルを溶かしこんだ体にいい湧水や温泉のようなものです。似たもの(渾然一体としたエネルギーの泉)で似たもの(体にはあらゆるミネラルが体温で温まって貯蔵されています)を癒す!

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マザーテレサと祈り・ノーベル平和賞・癒しとホメオパシー

2008-12-11 23:35:26 | Weblog
ノーベル賞授賞式が昨日オスロ大学でとり行われたことにちなんでか、かつて平和賞を受賞したマザーテレサのことをTVで紹介していました。
マザーが生活の信条としていたのはイタリアアッシジの聖フランチェスコの祈りでした。

散文ではなく端的に詩的な言語で紡がれる祈りの言葉は、いつの時代にも多くのことを教えてくれます。

祈りは、私たちに詩的な感慨をもたらしてくれる大切な言葉の宝庫です。

癒しを行うものは、いつでも心の奥底に、先人の残した祈りのこばを抱き温めていたいものです。決して毎日の眼先のことに振り回されて、心が疲弊してしまわないためにも・・

祈りの言葉をヒーリングの泉に。そしてその泉が枯れてしまわないように、祈りの時間をいつも毎日の瞑想の中に組み入れていきたいものです。


アッシジの聖フランチェスコの祈りⅡ

主よ、わたしを、あなたの平和をこの世にもたらす道具にしてください。

憎しみのあるこころに愛の種を播くための道具に、

害を加える者に赦しを、

分裂には一致、疑いには信仰、

絶望には希望の、

暗闇には光の、

悲しみには喜びの、種を播くことができますように。

 

ああ、聖なる主よ、どうか

慰められるのをもとめることよりは、慰めることを、

理解されることよりは、理解することを、

愛されることよりは愛することを求める、その心をお与えください。

なぜなら、与えることによって多くを受けとり、赦すことによって赦され、

死ぬことによって、永遠の命が生まれるのですから。

                               斎藤和明 訳

小塩節・小塩トシ子・斎藤和明・田辺保 == 編 : 「祈りよ 愛の言葉よ」 : 日本基督教団出版局


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ホメオパシーとハーブとアロマテラピー

2008-12-09 02:00:04 | 健康
飯能にある生活の木に行ってきました。東京から秩父の山荘へ行く途中に立ち寄るスポットの一つです。

飯能美杉台団地にアロマのお店「生活の木」が初めてできたころからちょいちょいでかけてはいるのですが、ずいぶん庭もきれいになったし、設備も充実してきました。ここはあちこちにあるお店の本部です。

ここは基本的にアロマテラピーが主ですから、ホメオパシー関係のものは一切置いてありません。アロマテラピーやハーブの方がホメオパシーよりずっと具体的で目に見えるものですから、ここからホメオパシーに関心が移る人もあまり多くは無いのです。お花やにおい、それだけで人はいやされるものです。わけのわからないホメオパシーに興味などわくはずもありません。

かくいう私もその一人でした。ホメオパシーはなんだかけったいな感じで見向きもしなかったのを覚えています。

しかし、世をあげてのスピリチュアルブームです。成分が一切入っていないホメオパシーレメディがヨーロッパでは当たり前に使われていて、あげくは圧倒的な健康感を取り戻せる、魂の癒し、気づきと同時に生き方まで変わるとしたら、体験してみないわけにはいきません。それに高価な漢方もいまいち効果がなかった、という場合には、もうホメオパシーの独壇場!です。

ホメオパスになってますますホメオパシーに興味がそそられてきました。知れば知るほどホメオパシーは面白いのです。アロマテラピーの面白さやかぐわしさとは次元を異にする面白さなのです。

ホメオパシーレメディはクラシカルの方法できちんと使えば深いレベルの癒しをもたらしてくれます。多種多様のレメディを使うと、これは対症療法に過ぎないので、癒しも中途半端で終わってしまいますが、クラシカルホメオパシーの癒しの基準、完治という概念には2年間の経過をみてぶり返すことがなければ完治とみなす、とイタリアのマッシモは語っています。

それほどきちきちと実証を要求する科学的な姿勢は、ホメオパシーが世界中でつかわれる説得力のある土台を作るのです。そしてまた、ホメオパシーを実践するには、芸術的なセンスも必要になってきます。小児科で有名な毛利タヌキ先生も、20年もホメオパシーを勉強しているけれど、さっぱりわからない、と述懐しています。

こうしてみると、ホメオパシーを実践する人たちの視野が幾重にも広がらなければとうていホメオパシーを使いこなせないことがよくお分かりかと思います。ホメオパスを学ぶ人たちがが医療従事者の枠を超えて多岐にわたっていくのも、こうした背景があるからなのですね。

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