goo blog サービス終了のお知らせ 

Counter Clockwise Trip

神奈川の海沿いでちいさな「辻堂」の町から発信。近所の江の島、鎌倉かいわいを自転車でめぐるお散歩Blogを発信します。

鎌倉近代美術館へ

2004年11月28日 | 鎌倉かいわい

って来ました。鎌倉近代美術館。インダストリアルデザインの異才ジャン・プルーヴェの企画展があるらしい。不勉強なので名前は知らないが、工業デザインということでちょっと興味が湧いたし、ここのところ美術館に足を運んでいなかったので。腰が痛くて遠乗りは無理っぽかったこともあり、手軽な鎌倉へ昼前に出発した。

辻堂大平台から引地川を下り、鵠沼消防署横に出て、134号線を若宮大路入り口の滑川三叉路からあがる。動かない車の列をゆっくり抜けるようにして三の鳥居前で自転車をおりてくぐる。きょうは晴れ着とかブレザーを着た子供達をつれた家族が多い。七五三のお参りなのかな。

出店の並ぶ境内のなかを少し進んで左に曲がると美術館の建物が目の前に。本殿までの路をすこしはずれただけなのに喧噪はこちらまで届かない。ひっそりとした感じがする。でも目の前はすぐ八幡宮の別の入り口だ。人が忙しくよぎっている。
入り口のそばには駐輪場がちゃんとあって、バイクや自転車でも来られるようになっている。美術館にはいらなくても停められそうなので、八幡宮へ散歩に来たときに使わせてもらおう(^_^;)

1階の入り口脇でチケットを求め、2階のエントランスから入場というちょっと変わった造り。エントランスの扉は、これが近代美術館なのかなあと思ってしまうようなふつうの扉。なにか古い病院のようだとか考えながら受付でチケットをもいでもらう。ここもまたなにかの事務所の受付のようだ。
展示室が3つあり、それぞれは外気にふれる短い廊下でつながっている。展示室2から3へ移動する途中で、平家池を臨む休憩所を通る。池のむこうがわから建物を臨むと写真のような見栄え。坂倉準三の代表的な建築物という。1,2本たばこをつけて、最後の部屋に。
壁の説明文をあまりくわしく読まなかったので、だいたい30分くらいで終わった。
鋳鉄や鉄を主材にしたごつい造りの椅子付き2人用机とか、そうかと思うとアルミ材を多用した屋根の付いた建物など。建物にはそれほど興味が湧かなかったが、机とかキャビネットなどの家具とかは、昭和40年ぐらいに高校や大学で使われていたような感じがあって、それなりに郷愁に誘われた。フレームのごつい自転車もデザインしたようで、展示されていた。

家に帰ってからチケットをみると、上の方になにか半券がまだついている。
いっしょにもらってきた案内書に鎌倉別館にも入れるとあった。電話して訊くと、入れるけど当日のみとのこと。先に言ってください。(TДT)


鎌倉近代美術館

2004年10月29日 | 鎌倉かいわい

奈川県の近代美術館は、ご存じの方もおおぜいいると思いますが
鎌倉にあります。本館はなんと鎌倉八幡宮の中に。
(本館と別館が鎌倉に、
そしてさらに葉山に新館があります)
HomePageはここ

あす30日から新しいプログラムが開催の予定。
この土日は恨めしいことに雨になるようですので
11/3にでも行きたいです。

せっかくなので、
鎌倉館→逗子のゆうき食堂→葉山館
というコースでできたら自転車で行きたいのですが、
駐車場のある葉山館はともかく、鎌倉側に自転車を
留められるところがあるのでしょうか。すこしく不安です。

[颱風22号で鎌倉のがけ崩れは372カ所とか]

2004年10月19日 | 鎌倉かいわい

堂は、きょう昼ごろから雨になりました。げんざい沖縄あたりを通過中の颱風23号の影響で、強くなったり弱まりながらも降り通しで、あすは夕方あたり先般の22号と肩を並べるくらいの暴風になりそうです。

神奈川新聞によれば、颱風22号によって鎌倉に生じたがけ崩れは372カ所とか。
先週末でかけた先々でみかけた地くずれは、いたるところすごいものでした。
途中で北鎌倉エリアで通った七切通しのひとつ「亀が谷坂切通し」は、ごらんのとおり。
普段から四輪車は通ることのできない箇所ですが、どうやって土砂を取り除くのか、すこし心配です。


[今泉台の散在ヶ池]

2004年10月17日 | 鎌倉かいわい

Blog第1回としてこんなマイナーなところを選定してどうかと思うけど。
あんまり人が多いところは好きじゃないもので。せっかくそばに住んでいるわけだし。観光案内というよりは、お散歩日記というコンセプトから、マイナー上等という切り込みで行こう。そうしよう。(´ー`)

散在ヶ池公園は、鎌倉の今泉台という北鎌倉でもかなり奥まったところにあります。
北鎌倉の駅からはちょっと遠くてほかの観光場所につなげるのはむつかしく、観光に来る人はあまり目当てにしていないでしょう。
「池」というけど、鎌倉湖という別の名前もあるくらい大きい。江戸の昔、農業用の灌漑用水として作られたらしい。
散策路(山道だ)の始まる前の箇所に立っていた札を読んでみる。

--------------------------------------------------
「江戸、明治の時代、今の大船・岩瀬の一体は大船千石という大水田が拡がっていました。しかしその水田に必要な水は近くの砂押川だけしかなく、雨の少ない年など水争いが多くあったようです。明治二年小菅谷村の名主梅沢与次右エ門という人が高知用水の確保のため岩瀬村の栗田源左エ門と話し合い当時、参勤交代などで江戸にのぼる大名の馬の草刈場として今泉、岩瀬、大船の3ヶ村に分散開放されていた称名寺の山(入会林)の谷あいに土俵などで堰を作り水をためたのが散在ガ池です。散在ヶ池という名は、3ヶ村の持山がこの辺りに分散して在ったため名づけられたものです。また、当時の池は非常に小さく、その後も水争いが絶えなかったため、昭和に入って大船、岩瀬の水利組合が改めて造り直したものです。なお、この池は当時から湧水が多く、中心辺りは非常に深くなっているため、昔から子供の水死事故が多く、近くのでは「神次(しんじ)の話」という悲話をつくって子供たちがこの池に近づかないようにしていたそうです。」
--------------------------------------------------

入会林(いりあいりん)…。むかし学校で習ったはずだが、忘れていた単語だ。たしか共同で権利を持っていて利便(薪とか)を得ることができる山だったろうか。記憶が怪しい。(;´д`)

先日の颱風22号の爪痕がやっぱり残っている。池を巡る散策路に至るまでの小径脇の斜面に、倒木がかなり無理な角度で寝そべっている。

散策路は3キロ程度。ゆっくり時間をかけて歩いてみる。
それにしてもよく晴れた日曜だというのに、散策路で会った人は両手で数えられるほど。ほんとに観光地からは離れたところにあるんだな。

しばらくして散策路が終わり、また池のほとりに戻ってくる。
休憩のテーブルの上にたばことメガネケース置いて雑誌を読んでいる壮年の男性がいた。さりげなくそばを通り雑誌を確認したら「日経ビジネス」だった。('A`)
ヤスミノヒクライ…。まあ自宅の書斎で根詰めてページを繰るよりははるかに健康的なのかも知れないけど。

場所は、こちら