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しるべない旅

幼い頃の思い出と日々の雑感気まぐれに綴っております。

アコーディオン継続記(12)

2023-12-10 13:55:47 | 日記

転居先は、コンクリート造りのアパートになりました。父は、小学校の教師でしたから、アパートには、仕事繋がりのお仲間のお子さんが、私の級友でもありました。音感や役者肌があると周りから認められると、学芸会で役をもらったり、合奏ではアコーディオンを弾かせてもらうチャンスをもらったり、楽しい時間を過ごしました。友だち付き合いもうまく行くようになり、学校が楽しくなりました。公園で遊ぶ時も、楽器の話をしながら、楽しく活動していました。

父の転勤先の近くにいよいよ戸建が完成し、アパート住まいから広い家に転居、僅か1年でまた、転校となりました。小4の2学期から小6卒業まで、高学年の期間をそこで過ごしました。私が楽器に興味があったり、クルマや鉄道に興味がある子だと、噂が広まり、転校先でも、友だち付き合いには苦労しませんでした。


アコーディオン継続記(11)

2023-12-10 13:48:49 | 日記
転校した小学校は、合奏活動が盛んでした。月一度の全校集会では、全学年が合奏のパート分けされ、教室での練習の成果を発表する場がありました。1年生から3年生までは、ハーモニカ、リコーダーパートを担当、今のようにピアニカ(鍵盤ハーモニカ)はポピュラーでない時代でしたから、縦鍵盤の合奏用のアコーディオンは、憧れの的でした。先に、ソロ用に慣れていた私にとって、片手しかない合奏用は物足りない感がしましたが、4年生になれば、合奏用で加わるのが期待の的でした。

アコーディオン継続記(10)

2023-12-10 13:30:33 | 日記

オルガン教室で習った弾き覚えのある曲をアコーディオンで手探りで弾き始めていました。この頃には、長和音、短和音の感覚までつかめていました。やがて、リズムを作るには、薬指と中指、人差し指を互い違いに押したり、離したりすればいいらしいと学びました。オルガンの指より簡単に思えて来ました。和音を合わせると、曲が明るくなったり、暗くなったり、感性がわかり始めました。
和音の響きがわかると、オルガンがめきめ上達しました。やがて、卒業演奏を無事乗り越えました。先生に誉められ、ピアノへの移行を誘われました。しかし、父に厳しく言われた夜のことが忘れられません。「音楽が好きになったのはいいが、勉強と両立出来る自信はあるのか?好きだけではごはんが食べれない。覚悟がないなら、止めるのは今だ。よく考えなさい。」結局、ピアノへの移行は諦め、このあと、楽器への憧れは封印しました。それでも、好きなことが見つかったから、楽器への欲望は続いて行きました。
父の転勤先が決まり、そこそこと、引っ越し準備を進めていきました。お兄ちゃんのお家に出入りし、バイクやアコーディオンに触れさせてもらう日々は続きました。


アコーディオン継続記(9)

2023-12-10 13:17:19 | 日記



左手の和音の列の探求を始めました。窪んだボタンを薬指で押しながら、その下のボタンを中指で押してみました。蛇腹が広がり、ドミソの和音が鳴りました。手首を返すと蛇腹が閉じて同じ音が鳴りました。そのまま下に平行移動させるとファラド(ドファラ)が鳴りました。また、窪んだボタンを薬指と中指で押して、そのまま上に移動させるとソシレ(シレソ)が鳴りました。これで、指2本でベース音と長和音が鳴らせるのがわかりました。右手で好きな曲を奏でながら、左手で和音を伸ばして合う、合わないを聞き分け、遊んでいました。合わないと指を好きな場所に上下させ、お兄ちゃんに判断してもらい、音合わせを楽しんでいました。リズムを取るのはもっと後でした。


アコーディオン継続記(8)

2023-12-10 13:14:39 | 日記

オルガン教室通いは、小3春まで続けました。当時の新潟市内は、今より雪がたくさん積もり、幹線道路でさえも、バスが遅延しました。通っていた幼稚園のオルガン教室を続けたから、郊外からは小一時間かかりました。学校が引けてから週1で通うのですが、積雪にもめげず、母が渋っても行きたいといい、休まず続けました。お兄ちゃんのアコーディオンに触れた楽しさが忘れられなくなっていました。