かみかみの徒然草

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藤田嗣治展

2006-04-17 21:09:49 | アート
我が家が某新聞を取っている関係上、藤田展のチケットを頂きました。
ええ、昨日早速行って来ましたさ。
さすが藤田嗣治。悪天候にも関わらず、結構な混みっぷりでした・・・


藤田嗣治の絵画と言うと、日本画の手法を応用した乳白色の肌と藤田自身のおかっぱ頭が有名ですが、今回の展覧会では、いい意味で裏切られました。
藤田嗣治という名前を聞くとまっ先に出てくるキーワード「エコール・ド・パリ」
ちなみに、エコール・ド・パリとは・・・・
パリ派。第一次大戦後、繁栄と安定を回復したパリに来住した外国の美術家群を指す。特定の流派に属さずにそれぞれ個性的な作風を形成した。
シャガール・モディリアニ・スーチン・キスリング・藤田嗣治など。
(『広辞苑』より)


いやぁ、ナルホド。確かにこの時の藤田の作風には自由な雰囲気とこの時代ならではの夢いっぱいな雰囲気があります。
この時代に描かれた裸婦像や肖像画はどれも溜息モノの美しさです。
ここまでは誰もが知っている藤田作品だと思いますが、この後の展開がまた驚きです。
パリを経て、中南米へ旅立つのですが、中南米に渡ったら渡ったで、今度は原色バリバリの絵がズラリと並ぶ。
切り替え早いっすよ、フジタさん・・・
中南米時代の一連の藤田作品には、パリ時代「これでもか!!」と出しまくっていた乳白色の色彩・透明感は一切なく、どんな状況でも貪欲に生きる人々のエネルギーを象徴すべく、原色が使われている。
いや、びっくらこきました。今までの手法を一旦、封印して新たな作風を生み出していく貪欲さには頭が下がるばかりです。
そして、二年にもわたる中南米旅行を経て日本に帰国。
パリ時代の作風で銀座の洋菓子店の壁画を描いたり、沖縄に旅して現地の人たちの日常を描いたり・・・
そして、太平洋戦争に突入し、戦争昂揚画を数多く描く。
あまりにもグロかったのでここのコーナーは飛ばしました

戦後、藤田は戦時中の行為について日本画壇で批判を受け、
逃れるようにパリに戻り、終生、フランスに過ごす。
再びフランスに戻った藤田は子供を描くようになり、子供に関する絵を多く発表する。
そして、カトリックに改宗し、藤田嗣治改めレオナール・フジタになる。

今回の展覧会は藤田の生い立ちに沿った形で作品が展示されていて、藤田自身の変革を恐れない姿勢が窺えた。
エコール・ド・パリの柔らかな色彩が施された作品のみで終わると思っていただけに、今回はとても良かったです
とはいえ、エコール・ド・パリ時代の藤田の作品はどれも美しいものばかりなので、実物については一度見る価値あります。