私の記憶と感性 そして 下書きのない日記 №52

多可が50 去れども半世紀の人生で この三百六十五段の湯けむり漂う
町に来てからの記憶と感性です

★信念と勝利そして武士道    で勝てるのか・・・ 

2015-08-28 18:38:41 | 日記
苦戦に次ぐ苦戦でたがいに大量な戦死者を出し勝ち取った二百三高知それは 旅人港に写る厳しく辛い此れからの日本の姿でした
正しく突き進んで居た日韓併合も叩かれ日本海海戦へと火事場泥棒ロシアを誘き出した日本の武士道は 絶えぬく信念を・・・
陸と海の戦いに向け圧倒的な勝利を勝ち取りロシアや他国の汚さと日本、大和民族を以下に見縊ミクビって居たかを日本は 
知り世界は あの日本がロシアとの日露戦争に大勝利を向えた等とは 信じられなかったそうです
増してロシアの無敵を誇っていたバルチック艦隊を・・・
イギリスは 日清戦争、日露戦争に何故 日本が勝ったのかを検証して日本は 島国で独自の文化、伝統、武士道そして
教育と道徳心を大事にして技を頭と指先に生かし国民一丸ガンと成り敵と戦う規律神と団結力を生み出す民族だと分かりました
当時のイギリスは 日本の教育関係の書物や道徳に関する資料や武士道精神を本国で器官を創り調べたところ子供達が学んでいる
教科書を紐解き日本人、大和民族の優秀さは 個々にあると考えイギリスは 子供の教科書に日本の教育を取り入れ
日本から教育と道徳を教えられる人物達が招かれて行きました
日本の正しい歴史と本との日本人を知らずに育って来た現代の日本人に知って欲しい 世界の子供達が使っている 教科書は
効した日本の教育信念が元に成り70%は 隠れた日本の教育が取り込まれています
アメリカは 戦後日本は 悪い国だとして日本を封じ込めて着ましたが日本が使っていた 明治から戦線までの教科書を一つの
本として販売されています 又 アメリカ国会図書館には 日本でも手に入らない書物が保存されています終戦時に占領軍GHQが
貴重な大和民族に冠する書物などを60万冊焼き払い神社仏閣も少しづつと取り壊されまし大和民族の精神を奪い二度と復活させない様にです靖国神社も焼き払う計画と作戦が有り実行する専門の部隊も日本に居ましたが
日本の尊重で有る靖国神社を焼き払ったりしたらアメリカ合衆国の汚点に成るのでは ないかと言う事で取り止めに成りました 

日本海海戦の時に日進と言う軍艦にアルゼンチン海軍の将校が乗員して居ました
そして 彼は 海戦が始まる前から日本の国民や軍人の事を日記にまとめて居て日本がロシアとの戦争をするに措いて以下に心が
一つに成り纏まっている民族だと町を歩けば市民は 早足の様に歩き物事を手早くこなし商人などは 走り周り兎に角 働き者で
勤勉な民族で有り水兵や軍人は 規律を守り影日向なくどんな演習でも何ら変わりなく遣りこなす習慣を持ち艦内には ゴミの
一つも無く常に清掃をする習慣を持ち綺麗好きで礼儀正しいこの民族が兵隊達がイザと戦いに成ったら度の様な姿を身せて暮れる
のだろうと私は 思い考えつつ日本海決戦を見届けましたが兎に角 規律の元に手早く動き一発一発の砲弾を確実にバルチック
艦隊に命中させて行く手早さと測量計算の正しさには 驚きを知りバルチック艦隊の砲弾は まず一発一発が遅いそして 殆んどの砲弾が命中しない そして 日本艦隊は 逃げるかの様に思わせて一成に艦の舵を切りバルチック艦隊に軍艦の脇腹を見せ
其の時には 軍艦の大砲は 全てバルチック艦隊に向けられて居て一成に日本艦隊の集中砲火が始まり大日本帝国海軍の作戦
勝ちと演習の積み重ねだと私は 知りました
後々に この将校の日記は アルゼンチン海軍の作戦方法の参考に成り軍人の心得にもつながるとして日記は アルゼンチン海軍の貴重な史料として基地に保管されています

日露戦争は 1904年 明治37年2月8日から1905年9月5日で 乃木希典陸軍大将
      乃木稀祐は 戦いで2人の倅を戦死させて後々に多大なる日本兵を戦死させて終った責任を取り乃木坂の自宅で
      古来から伝わる左方に乗っ取り短刀で脇腹から腹をはじ間で裂き其処から短刀の刃を上に向け立に腹を切り
      最後は 首の頸動脈を切断して自ら致命傷を与え解釈人なしの切腹で自決しました
      解釈人なしで武士の左方に乗っ取り切腹をしたのは 軍人で乃木希典大将が最初で最後だと言われています
      乃木大将の奥様も切腹で自決しました

日本海海戦(対馬沖海戦)は 1905年 明治38年5月27、28日で 東郷平八郎海軍大将
             
一 一列談判 破壊して
二 日露戦争始まった
三 さっさと逃げるは ロシアの兵
四 死んでも尽すは 日本の兵
五 五万の兵を引き連れて
六 六人残して皆殺し
七 七月八日の戦いに
八 ハルピンきでも攻め込んで
九 クロボトキン(ロシア軍の大将)の首を取り
十 東郷元帥 万々才 十でとうとう大勝利
此れは 当時 子供達がお手玉遊びをして居た時に唄われていた歌ですが
火事場泥棒のロシア人、ロスケに大ぶ日本人の気持ちが風姿フウシ去れていますね

明治5年8月から 小学校は8年生を取り 中学校は6年生で 大学へと

江戸時代は お寺や町の小屋などで子供達に読み書きを教える寺小屋制度てきな物が普及していました


東郷平八郎


イギリス留学生時代


右の立っている白いス-ツの若者が・・・
この当時 同じ若者達は 日本刀に着物、袴ですが東郷平八郎は ですね・・・
でも イザト言う時に身を守る為にコウモリ傘や仕込み杖を持ち歩いて居たとの説も有ります

★この作品は 観覧人数が一位に成りまして 有り難う御座いました

s10683726@ybb.ne.jp

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