私の記憶と感性 そして 下書きのない日記 №52

多可が50 去れども半世紀の人生で この三百六十五段の湯けむり漂う
町に来てからの記憶と感性です

神道            私の 信じる 道 ・・・

2015-09-02 21:05:12 | 日記

それは 心の中で人に感謝の手を合わせることですけしてオ-バ-アクションの出来ない日本人ならではの
神の道です本来 神道は どんな宗教が来ようとも拒み受け入れない言は 有りません
但し 履物を脱ぎ礼儀作法の元に話し合う此れが神の道で有り争い事は 好まない大和民族です
でも 相手が必ず攻めてくると分れば知恵を生かす技の数々を用いる 大和民族でもあります
そこには 日本古来から伝わる 古武術が有ります
戦後 進駐軍GHQ占領軍のマッカ-サ-元帥は 日本人の自尊心を破壊し奪い取る 為に大和民族の言葉すらを
忘れさすには 先ず武道を全て廃止に決めました 
そこで 武道家達が講義を入れたところジャ米軍の兵士と戦って勝てば武道廃止は 無くす但し米軍の兵士は
銃剣を付けた 小銃で日本の武道家は 竹刀で闘えと言われそこに 呼ばれたのが茨城は 鹿島神道流の国井善弥館長
でした 米軍兵士は 銃剣術で国井は 竹刀で勝負は 話しにも成らない国井の早業一本でアット言う間に勝負は
アメリカ軍の大敗に終わりました
銃剣術 対 銃剣術でアメリカ兵と日本兵が戦えば勝ち目は 無いと読んでいたアメリカの浅はかさが裏目に出た
勝負だったと私は 思い増した
武道は 相手が大きい 相手が鋳物を持っている 一人対3人でも勝てる 日本人の武道此れは 何だと戦後海外で
研究されますが何の武道でも極めない限り結論は 分らない事に気が付いた 国々は 学校の授業に合気道を取り入れたり
柔道や空手を軍隊の肉弾戦に取り入れたり様々な武道が世界のあらゆる用途に持ち入れられて行きました
今 アメリカ海兵隊は 自衛官が銃剣術の指導をしています


鹿島神道流第18代目館長 国井善弥


1894年福島県いわき市に生まれ戦後の宮元武蔵と呼ばれた男

s10683726@ybb.ne.jp

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