私の記憶と感性 そして 下書きのない日記 №52

多可が50 去れども半世紀の人生で この三百六十五段の湯けむり漂う
町に来てからの記憶と感性です

※#1 ご無沙汰しています   藍河進吾です ・・・

2014-08-02 08:15:54 | 日記

私が この三百六十五段の湯けむり漂う町に来て今月の12日で5年の月日と記憶、感性が過ぎます
明星と地位を 全て捨て去り この坂の多い町へ遣って来て 登り坂 と 降り坂 を海千山千で                   活きて来て当時 魔坂と言う魔の坂を知り半世紀、近かった日々と今後を一人で生きて行くとは                     魔坂想いませんでした
この 私の記憶と感性 そして下書きのない日記は約2年間でレポ-ト用紙13冊にまとめて自分が                    今までに過ごして来た 事実と経験 そして 耳と目から得た知識をこの町で辛く淋しく生きて居る                   感情を伸せて描いた 私の気持ちで 上書きをした物だけで今300以上の詩が有ります
そして このブログと言う自分の気持ちを知って頂ける場を知り観覧人数までもが分かる事が
私に取って大変 嬉しくて日々の面白みと明日の希望を知りました

私は この町に来るまで33年の職人ガテン業と年商3億以上の法人会社を経営して来て今は自給
850円と言う想像も尽かなかった私の時代錯誤(サクゴ)を知り 観るもの買うものが全て自給と釣り                   合わなく感じ まともには稼げない まともには給料が貰えない この湯けむり漂う町の生活で                     活きて行くギャップと記録を描いて活きたいと思っている私ですが・・・
子供の頃に自閉症と言語障害を克復して虐められ子だった私は2才の時からの悲惨で虐待の日々と
叔父、叔母の家や他人の家庭に預けられて育ち愛情と言う地図を知らなく殆んど一人で活きて来た
のと同じで今、現在が存在しますが私と10代の頃に悪く糞餓鬼(クソガキ)だった仲間達と良く北海道に
行って俺達 身たいな子供達を作らない様に何かをしないかと話し合っていて 私は32歳の時に60歳
からの人生は良し北海道に行き居酒屋が入り口の旅館か民宿を営み親と縁の無かった訳有りの子供達に
大人だって捨てた 者ではないと教えて遣り 海と山の倖そして恵みの有り難さを春夏秋冬の中で
挫(クジ)けても良い負けても良い唯(タダ)唯 前向きで人に尖(トガ)らずに優しく活きて欲しいと・・・
私の夢イャ現実で この町に来て何が有ろうと最終・目的は60歳に成ったら北の厳しさと一からの
出直しを知る為に北海道へ行くぞと辛い日々を過している 私ですが 去年2013年の夏に 
ある脳の病気を知り 今 カウントダウンが始まっていて約10年前後にはタイムリミットが訪れ
刻々と短針と長針の境をさ迷って逝く私ですが 難病を背負い この町を去るまでに
何が出来るか それは 記録であり如何に自分自身の感性を研き残すかに辿り尽いた
多可が50去れども半世紀の俺から私に代わった ツイこの頃の日差しを知った日々です

そして 今後 このブログを通じて作品を展示して逝きたいと思っていますが
永久と綴(ツヅ)るパソコンのキ-を弾く指先も振るえ少し脳障害も起きている                             この頭の脳味噌もマルコメ信州一味噌と変わり今、使ったキ-を探す様な状態が                            時たまに起きるので長文を作るには可也の時間が掛かる個とが有ります                                まして 脳の病気なもので視力も今までの半分 近くに下がりパソコンの文字が辛く見えます
過酷な人生と障害を二つも克復して来た私が 次は 難病 脳の病気だ何て信じられませんが
・・・藍河 進吾でした では又・・・

        s10683726@ybb.ne.jp


         







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