私の記憶と感性 そして 下書きのない日記 №52

多可が50 去れども半世紀の人生で この三百六十五段の湯けむり漂う
町に来てからの記憶と感性です

散った地平線        を 見届けて 居たのは・・・

2015-09-02 01:55:52 | 日記
私とは いったい誰でしょうか母親イャ軍国主義の波に倅を乗せて終った父親 
それとも奥さん許婚イイナズケ彼女ですか・・・
良く日本は 軍国主義だったから悪いんだ何て馬鹿な日本人が居ますが
正しくは 日本も軍国主義の道を歩まざるしか仕方がなかったです
日本は と 日本も では 日本だけは と 日本も他の国と同じくの違いが有ります

当時 愛媛県に特攻を1番最初に行って終った 二十歳の青年が居ました 彼は中流家庭の農家で
長男として生れますが軍国主義教育などには 関係なく家族を守りたい国土を絶対に侵略は指せないと
父親に願いを入れます今 日本には 戦わなくては 成らない兵隊が必要なのです私が航空隊を志願して
戦闘機乗りに成って闘う事を許しては 頂けないでしょうかと父親は 何も今 お前が戦争に逝かなくとも
良いだろう私は 反対だと ですが二度三度の倅の願いに父親は 条件を出しました
航空隊を志願するので有れば何も戦闘機に乗らなくとも闘える それは 整備兵だ其れならば許す
お前の成績ならば間違いなく合格すると許しを受けた 青年は 何ら問題が無く南方の航空基地て
整備兵として任務に就いていた 時に突然上官室へ呼び出されてお前の任務と担当は 何だと聞かれ
お前の成績ならば問題なく一発で操縦ソウジュウ士に成れるぞ其れなのに何故に整備兵なのだハイと青年は
直立不動で佇タタズんで居ると上官は 戦闘機に乗らんかと言い 青年は 待ってましたとばかりの返事で
整備兵から特殊任務を背負った 戦闘機乗りに成り出撃しましたが爆弾で敵艦を沈める 事の出来なかった
青年は 敵艦めがけて突入して行きました この事実が日本発の特攻兵の物語として本土日本で
新聞にも報道されて行き実家の町、農村でも青年の勇気と愛国心を称え実家の庭に村が慰霊碑を建て
町の人々や此れから出征をして行く青年達が参拝に来る 様に成り反対をして居た父も倅を亡くした
後から尚更と寡黙カモクな生き方を選び国の為ならばイャ長男、倅の供養トモライの為に働き始め増したが
日本が敗戦を向え庭に立てられていた 慰霊碑は こんな物が進駐軍GHQ占領軍に見つかったら村が何を
去れるか分からないと村人達に寄って壊されて終います
私は この実話、物語を読んだ時に父親は 何も軍国主義の波に乗せられて我が子を殺して終った 訳では
無い軍国仕儀を村で先導した訳でも無い其れなのに何故 倅の慰霊碑を壊すのだと思ったと この父親を想像しました
当時 資源の無い無い無い尽しの日本は 航空機燃料の代用品として松から取れる成分を燃料にする 研究などが
進められて居て父親は 倅が戦死してから松の根を掘り起こし燃料を作る作業を一人で遣っていました
終戦を迎えて必要と去れなく成った 松の根を掘り興し燃料作りを続けます

散った地平線の作品とこの物語、実話とは 関係なく私は 書きました
ただ ふっと思い出しました 見届けて居たのは 誰かは 読んでくれた 人の想像力で自分成りの
物語を作って貰いたいです できれば想像力の乏しい現代日本人に見て頂き何でも良いですから
考えて貰えればと思います


大黒敏男ラバウル航空隊藪島隊5番目の機を操縦して
米軍 空母セントロ-に特攻で撃沈 20歳で戦死

s10683726@ybb.ne.jp  

俳優             その 老人は・・・

2015-09-02 01:08:47 | 日記
   当時 終戦直後の日本地獄絵図を語れた先人の一人でした
   毎年 語りべの皆さんが亡くなり尚更と現代日本人達が何も聞かずに何も事実を知らぬ真間に増えて行く
   悲惨で悪かった 時代を伏せずに語れる 人達が居るからこそ確かな真実を知る事が出来るのでは・・・

   日本人の毅然キゼンたる 姿と滑稽コッケイで微笑ましい情景を調度良く演じて居た大滝秀治さんは
   私の好きな俳優の一人でした

   

   B‐29の爆撃に去らされた 終戦まぎわの東京
   
   

   昭和26年に放映された 映画少年期の笠智衆リュウチシュウ演じる 大学教授一家が東京の空爆を避けて山梨に
   疎開ソカイをして戦前から終戦を迎える 子供達の精神状態と戦争には 行かない父と長男のわだかまりや
   昭和の文化や日本人の純朴な心が表れている 映画です
   
                  s10683726@ybb.ne.jp