最近、毎日の利用や定期的な泊まりの依頼がきたことで、考えることがある。
「利用者さんや家族のニーズに対して、私たちがどこまで対応するべきか」
つい最近までは、「多様なニーズに最大限に応えることが自分たちの使命だ」と考えていた。
「デイサービスに毎日通ってほしい」と家族が言う。
私たちにとっては、本人の日々の状況を把握でき、何より経営的に大きなプラスになる。
通っている本人が嫌でなければ、家族、私たち、本人にとって何の問題もないのかもしれない。
でも、本人や家族の私たちに対する依存度は、必然的に上がってくる。
実際に「デイに行かない日は落ち着かなくなる」と家族から言われたり、
近い将来に定期的な泊まりもお願いしたい、と依頼されている。
今までは、頼られる存在になれたことを喜んでいたが、在宅生活を支えるという視点で見たときに、
果たしてそれが最善策なのだろうか、と考えるようになってきた。
もちろん、家族だけですべてを抱え込む必要はなく、私たちのや他のサービスを使いながら、
皆で在宅生活を支えていかなければならない。
ただ、私たちが最大限応えることにより、むしろ在宅生活から引き離している面もあるのではないだろうか?
今日届いた『ブリコラージュ』(通販のみの介護雑誌)に、鳥取県の竹本さんという方が、こう書いていた。
「僕たちがいい介護をすればするほど、家族が僕たちに寄りかかってくるという現実です。毎日デイサービスに来て、夜だけ、または週末だけ家に帰る生活、それで在宅って言えるのだろうか。」
「在宅生活を支えるためには何をするべきか」このことを考えずに、
安易に「ニーズに応えます」では、私の自己満足に過ぎないのかもしれない。
この竹本さんの話に、井戸端げんきの伊藤さんが出てくる。
私も開設前に聞いた「物語をつくるケア」をしようという話。
その話を聞いてから丸二年になる。
伊藤さんに、6月のセミナーの講師をお願いして正解でした。
自分なりの考え、疑問をぶつけてみたいと思う。
「利用者さんや家族のニーズに対して、私たちがどこまで対応するべきか」
つい最近までは、「多様なニーズに最大限に応えることが自分たちの使命だ」と考えていた。
「デイサービスに毎日通ってほしい」と家族が言う。
私たちにとっては、本人の日々の状況を把握でき、何より経営的に大きなプラスになる。
通っている本人が嫌でなければ、家族、私たち、本人にとって何の問題もないのかもしれない。
でも、本人や家族の私たちに対する依存度は、必然的に上がってくる。
実際に「デイに行かない日は落ち着かなくなる」と家族から言われたり、
近い将来に定期的な泊まりもお願いしたい、と依頼されている。
今までは、頼られる存在になれたことを喜んでいたが、在宅生活を支えるという視点で見たときに、
果たしてそれが最善策なのだろうか、と考えるようになってきた。
もちろん、家族だけですべてを抱え込む必要はなく、私たちのや他のサービスを使いながら、
皆で在宅生活を支えていかなければならない。
ただ、私たちが最大限応えることにより、むしろ在宅生活から引き離している面もあるのではないだろうか?
今日届いた『ブリコラージュ』(通販のみの介護雑誌)に、鳥取県の竹本さんという方が、こう書いていた。
「僕たちがいい介護をすればするほど、家族が僕たちに寄りかかってくるという現実です。毎日デイサービスに来て、夜だけ、または週末だけ家に帰る生活、それで在宅って言えるのだろうか。」
「在宅生活を支えるためには何をするべきか」このことを考えずに、
安易に「ニーズに応えます」では、私の自己満足に過ぎないのかもしれない。
この竹本さんの話に、井戸端げんきの伊藤さんが出てくる。
私も開設前に聞いた「物語をつくるケア」をしようという話。
その話を聞いてから丸二年になる。
伊藤さんに、6月のセミナーの講師をお願いして正解でした。
自分なりの考え、疑問をぶつけてみたいと思う。