昨夜件の女史の公演が有った…………
演奏者を迎えての寺山修司の『書を捨てよ町へ出よう』からの後半と『われに五月を』を朗読…………「御客さん スクリーンの前でずうっと待ってたって何にも始まらねぇよ」って有名な行…………「薄汚れた映画館の中で何を待って居るんだい?!」「しゃがんだってスカートの中身何か見えやしねぇんだよ!」…………
十代に突き刺さった言葉を青森訛風に語る…………
女優活動の折には寺山作品には縁無かったと云う事で初の挑戦…………依頼主からの五月の日程と寺山修司の命日五月四日と併せて公演場所も没した病院と近い事も手伝い寺山作品の朗読に踏み切ったとの旨…………
深くは無いが憑依型の彼女に鬼気が現れる!恐ろし位の姿が露わと為る…………
此の世に彼女一人だけ居れば他には何にも居れ要ら無いと思えて終う残酷さ?!
僅かな客の数に狭い場所での公演を執行した意思は【便所のマリア】にでも成る決意なのか? 更に言えばマダム・エドワルダ…………
先の公演と云い昨夜の公演と云い「亭主を大切にして」の円満な家庭の女がどうして空虚なる世界観を選ぶるのや??
自分が空虚なる世界観を行う事は『既に自分には何の希望も無い』から空虚感を重んじる事は必然性に有るのだろうけど…………何故彼女がそうした虚しさのみを重んじるのや?!
心の奥底はわたくしには全く判ら無い…………
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