大河内山荘での記念写真 2008年10月28日 | Weblog 10分ほどの散策コース、なんて書いてあったので、気軽に歩き始めたものの、曲がりくねった上り坂。 登りきったところの茶室で一休み。 「大河内傳次郎って知ってる?」 「うちのおじいさんがよく物まねでやってたよ。シェイハタンゲ、ナハシャジェン・・なんてね」
大河内山荘 2008年10月28日 | Weblog 大正・昭和期の映画俳優、大河内傳次郎の山荘。 戦前から活躍した時代劇スターで、「丹下左膳」は特に有名。 昭和9年(1931年)、傳次郎34歳のとき、永く消えることのない美を追究するため自身で設計しこの庭の造営を始めた。 映画出演料の大半を注ぎ込み64歳で亡くなるまで30年の歳月をかけてこつこつと作り上げたものである。 場所は小倉百人一首でも知られる小倉山の南東面、嵐山公園(亀山公園)に挟まれた約2万平方メートルの荒地であったところに位置している。 (立っている人はいわきの大河内傳次郎こと村田寿和)
集合写真 2008年10月28日 | Weblog 天龍寺での集合写真。 京都五山の第一位であるこの寺は、霊亀山天龍資聖禅寺(れいぎざんてんりゅうしせいぜんじ)といい、1239(暦応2)年に吉野で不遇の中に崩御された後醍醐天皇を慰めるために、足利尊氏が高僧夢窓国師を開山として、嵐山を背景とする亀山離宮を禅寺にあらためたのがはじまりである。 天皇が幼少の頃を修学に過ごされた地に、敵味方の別なく南北両朝の戦死者の英霊を慰めること、「怨親平等の精神」もこの寺の開創の目的であった。 これまで長く中絶していた中国との貿易を再開して、その利益をこの寺の建立資金とした夢窓国師の、この造天龍寺船による貿易事業は、その後も室町時代を通じて行われ、わが国の経済や文化に寄与するところが多かった。 創建以来650余年、その間に8度も兵火にかかって今は殆ど古建築をみることができない。(寺院案内パンフレットより)
渡月橋をバックに記念撮影 2008年10月27日 | Weblog 2日目、午前10時。 既に細川は渡月橋で待っていた。 では、集まってくださ~い。 渡月橋をバックに記念写真を撮りますよ~。 カメラさ~ん、私にはメイクアップモードで撮ってね! わたしは美肌モードでお願い! そんなの付いてないよ (注:メイクアップモード・美肌モードとは、焦点を合わせた人のみ美的修正加工を自動的にしてくれる機能)!
翌日(10/19) 2008年10月26日 | Weblog 2日目の朝です。 京都駅烏丸口に向かう一行の後姿です。 この日に帰る組は、コインロッカーに荷物を預け、京都駅から四条大宮まで向かいました。 天気も上々、というより暑過ぎます。9月中旬の陽気だそうで、半袖でもいいくらい。 今日は、嵐山巡りをするのです。 「今日も歩くのかなあ~!」
記念撮影2 2008/10/18 23:00 2008年10月25日 | Weblog 記念の写真を撮りましょう。 なぜか知久のカメラが失敗続き。 何故かハレーションおこしちゃうんだ。 遠山のカメラで撮ろうよ。 お姉さん、シャッターお願いできます? はいよろしいおす! (※細川は電車の時間が来たので途中退席しました)
貸切 2008年10月25日 | Weblog ここって貸し切ったの? ほかに誰もいないよ。 いえ、そんなこと言ってないけど・・ 団体様向きの店ね。 なんかお見合いパーティー企画の貼紙があったよ。 でも、ここのおねえさん、カンジがいいし・・ カンジ(幹事)がいいからだよ・・