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羚英的随想日記

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■大河は流れる…光明の中に■

2005-12-12 17:12:39 | 大河は流れる



新しき国へ…

死して八百十余年、源義経は人々の心に幾度もよみがえってはまた繰り返し生を終えてゆく…、その終焉を知っている我々は、尚もまたその悲運の最期をこれでもかと繰り返し思い知らされるのです。

光明の中から生まれたアフラマズダ、その光明の神の名をもらった遮那王・義経は光の魂(たま)となり、新しき国へと天駆けていきましたね。
義経主従の魂(たましい)も、平家の魂も、そしてこの物語に新たに宿っていった魂も、あの光の珠のように昇華していったのでしょうか…。


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2 コメント

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義経 (とらねこ)
2005-12-13 12:12:14
大河義経、エンディングでの描写は私なりですが、あれでよかったと思っております。

北へ逃れるとか、また別な表現も有りかな思ってましたが、かえってくどくなくて、違和感なく最後は感じました。

ヒーロー義経は当時の人々、さらに後の人々の心の中に居る、これでいいと思うんですよね。

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オーラ (羚英)
2005-12-13 16:31:46
とらねこ様



本文中にあるアフラマズダのアフラはオーラの意味で、マズダは大いなる、という意味です。

http://blog.goo.ne.jp/ryou-ei/e/bd740554464b7268650e533ac8c97fc5

に私なりの解釈があります。



私もこの終わり方でよかったと思います。

私は、残念ながらどうしても、いつも平泉以北に義経の形跡を感じることが出来ません。

本当はそう望んでいるのに、生きて逃れていてくれたらと願うのに、頭の中のさめた一点では平泉が終焉の地だという強い感覚が常にあるんです。



万物には魂が宿る、たとえ命のないものにもと感じる自分は、大河の、もちろん他のドラマの最終章の時にも、そのドラマに宿った大いなる魂がどうぞ昇華しますようにとの祈るような思いと共に観ています。

大河「義経」も、観ていた人々の天にかざす手の中にある暖かい祈りの力で、昇華出来たことと思います。



有神論者で無信教者の私の、勝手な解釈です
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