にわか日ハムファンのブログ記念館

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【2013北海道・東日本の旅】(15)宗谷岬(後)

2013-12-25 06:43:07 | さすらいブロガー旅情編
 丘の上に登る。荷物もあるが、ただでさえ列車に乗るだけで身体を動かしていないのだから、このぐらいの運動はしておかなければなるまい。



 坂道を登ったところで、岬の灯台が見える。



 今でこそ観光地となった宗谷岬だが、樺太・サハリンと北海道に挟まれ、太平洋側と日本海側とを結ぶ宗谷海峡一帯は、かつて軍事的な焦点であった。今も重要ではあろうが、冷熱双方の戦争の時代とは比べものになるまい。
 そのせいで、この鐘や碑のように、戦争や衝突に翻弄された人々を悼み、平和を願う施設がいくつも設けられている。



 碑の向こうには「世界平和」の文字。そのさらに向こうには、戦時ならひとたまりもなかろう風車が回っている。



 ひときわ大きな祈念碑が、1983年に起きた大韓航空機撃墜事件の犠牲者を悼む慰霊碑。



 事件の経緯を示す解説文。
 当時まだ幼かった私だが、緊急着陸したと言われた飛行機が実はソヴィエトによって撃ち落され、乗客・乗員全員が犠牲となったと知った時の衝撃は、薄れてないとは言えないが、今も残っている。



 旧海軍の望楼跡。ここから海峡を監視していたという。しかし戦後68年、建物は風雪に晒されていて、中に入ることはできないようだ。



 望楼跡の傍らにある碑。



 宗谷海域では、第2次世界大戦で米軍の潜水艦との戦闘が繰り広げられた。碑は、その戦闘による犠牲者を慰霊するものだという。



 世界各地への方角と距離を示す標識。中には、ほど近いサハリンの各地の地名もある。
 その近さこそが、人々の心に恐怖と警戒心を植えつけ、育んでいた時代は、決して遠い過去ではない。



 趣は変わって、こちらは18世紀末、ヨーロッパ人として初めて海峡を渡ったラ・ペルーズの記念碑。



 氏の功績をたたえ、宗谷海峡は国際的にはラ・ペルーズ海峡と呼ばれる。命名の経緯を記すプレートが、レリーフとともに据えられている。



 宮澤賢治の歌碑。



 北海道の酪農の発展を記念した「あけぼの像」。戦後の北海道の歴史は、日本の酪農の盛衰を物語るものでもあろう。
 さて、流石にバスの時間が近づいてきた。丘を降りてバス停に向かうと、ほどなく稚内行のバスが到着。



 1時間もない短い間の滞在を終え、宗谷岬を後に。ここからは南下あるのみだ。


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