
阪神戦を観に行ったことのある方ならご存知でしょうが、阪神戦では相手投手が降板する時に、阪神の応援席から必ず「蛍の光」の大合唱が湧き上がります。
これについては以前から阪神ファンの間で賛否両論があったのですが、先月タイガースOBでもある江夏さんがデイリースポーツのコラムで痛烈な批判を行って以来、否定的な考えのファンが大勢を占めるようになりました。この辺りの経緯についてはgoo ニュースで拾った神戸新聞の記事にまとめられています。
そのような中、阪神タイガース私設応援団は今月10日に新しく「オペレーションビクトリー(通称ビハインド)」なるものを発表しました。これはタイガースが同点か負けている時に、相手投手交代の場面で「蛍の光」に代えて使われるとのことです。
あくまでもタイガースが勝っている場面ではないという点からしてアレな応援パターンなのですが、阪神タイガース私設応援団のHPで歌詞を確認すると、もう泣く子も笑う私設クオリティ全開。
これまでの「ジェストレヴォリューション」「ネオヒーロー」「根性魂」などといった名文句からするといささか小粒ではありますが、それでも歌詞だけで十分お腹いっぱいで、曲の再生ボタンをクリックする気になれません。
ただ、私はまだいいとして、これを歌わされる方々には、なんと申し上げればよいのやら……
私設の話はさておくとして、この「蛍の光」論争というのは、簡単なようで実は結構難しい問題です。
応援であれなんであれ、対戦相手に対する思いやりやリスペクトを欠いた行為が認められないというのは、当ブログでも再三申し上げた通りです。
その一方で、ユーモアや冗談の範囲で許されそうなものまで切り捨てるのはやりすぎではないか?とも思います。なんの「お遊び」も許されなければ、プロ野球は娯楽や文化としての生命を失うからです。
そして一番厄介なのは、「リスペクトを欠く応援」と「ユーモア」との間の境界線をはっきりと決めることは、誰にもできないということです。
何をもって「リスペクトを欠く応援」と断ずるか、あるいは「ユーモア」を捉えるかの基準は、個人・地域文化・時代によって差があります。そして、その中で常に正しいといい得るものは、おそらく存在しません。
「蛍の光」一つとっても、もし江夏さんのコラムが20年以上前に載ったとしたら、おそらくほとんど誰の賛同も得られなかったのではと思います。
さらに申し上げれば、私は甲子園ではビジターファンの立場になることがほとんどですが、それでも「蛍の光」については容認派ですし、別段腹も立ちません。むしろ気分が悪いのは前フリのサヨナラサヨナラコールの方ですし、あれさえなくなれば、それで別にいいんじゃないの、と思います。
とはいえ、「蛍の光」を聞いて気分を害するビジターファンの心情は理解できているつもりですし、それを踏まえた上で「蛍の光」を否定する阪神ファンの方がいれば、そのお気持ちも尊重すべきだとは思います。そう考えていくと、この問題についてはなかなか考えがまとまりません。
ですが、阪神ファン以外の方々が1つ認識しておくべき点は指摘させていただきたい。
それは、この問題は決して他人事ではないということです。
ここまでは阪神の応援が問題となっていましたが、ファイターズもホームゲームでは、相手の投手交代の時にある種相手を揶揄していそうな音楽が流れるわけです。関西であれば「贈る言葉」を応援団が演奏するわけですし。
ファイターズ以外では、カープのホームゲームで、相手の投手交代の場面では「夕やけこやけ」を球場が流す例があります。さらに音楽以外でいえば、「○○電車で(あるいは「環状線で」)はよ帰れ!」などというコールもあります。
これらは曲の違いはあっても、本質的には「蛍の光」似たようなものです。むしろ、ファイターズとカープの場合は球場が流していますし、「はよ帰れ」というのはそのものズバリな表現ですから、余計にタチが悪いと批判することだって可能なわけです。
そうなると、「蛍の光」だけを叩いて他はスルーするというのはフェアではないでしょう。少なくとも、どれに対しても同じ基準で批判するなり、容認するなりというのがあるべき姿ではないでしょうか。
そして話をさらに広げれば、議論の的になりそうな応援パターンはいくらでもあります。相手がアウトになった時のテーマはいまやチームの応援で取り入れられていますし、牽制時のブーイング(鴎)、相手が四球を出した時やエラーした時のアホコール(関西公)など、問題にしようと思えば例はいくらでも出てきます。
これらのうち、どれを批判してどれを容認するかはひとそれぞれご意見があることでしょう。私自身はというと、自分の応援する球団かどうかを問わず、基本的にこういう応援には甘い方です。さすがにアホコールはちょっと気が引けて来ましたが(;^^)ゞ
ただどういうスタンスを取るにせよ、「蛍の光」のような問題はどのチームでもあり得ること、そしてある応援パターンを批判することは、同時に自分たちにも批判の矛先を向けることでもあるということは、阪神ファン以外の方々にも認識していただければ、と思います。
これについては以前から阪神ファンの間で賛否両論があったのですが、先月タイガースOBでもある江夏さんがデイリースポーツのコラムで痛烈な批判を行って以来、否定的な考えのファンが大勢を占めるようになりました。この辺りの経緯についてはgoo ニュースで拾った神戸新聞の記事にまとめられています。
そのような中、阪神タイガース私設応援団は今月10日に新しく「オペレーションビクトリー(通称ビハインド)」なるものを発表しました。これはタイガースが同点か負けている時に、相手投手交代の場面で「蛍の光」に代えて使われるとのことです。
あくまでもタイガースが勝っている場面ではないという点からしてアレな応援パターンなのですが、阪神タイガース私設応援団のHPで歌詞を確認すると、もう泣く子も笑う私設クオリティ全開。
これまでの「ジェストレヴォリューション」「ネオヒーロー」「根性魂」などといった名文句からするといささか小粒ではありますが、それでも歌詞だけで十分お腹いっぱいで、曲の再生ボタンをクリックする気になれません。
ただ、私はまだいいとして、これを歌わされる方々には、なんと申し上げればよいのやら……
私設の話はさておくとして、この「蛍の光」論争というのは、簡単なようで実は結構難しい問題です。
応援であれなんであれ、対戦相手に対する思いやりやリスペクトを欠いた行為が認められないというのは、当ブログでも再三申し上げた通りです。
その一方で、ユーモアや冗談の範囲で許されそうなものまで切り捨てるのはやりすぎではないか?とも思います。なんの「お遊び」も許されなければ、プロ野球は娯楽や文化としての生命を失うからです。
そして一番厄介なのは、「リスペクトを欠く応援」と「ユーモア」との間の境界線をはっきりと決めることは、誰にもできないということです。
何をもって「リスペクトを欠く応援」と断ずるか、あるいは「ユーモア」を捉えるかの基準は、個人・地域文化・時代によって差があります。そして、その中で常に正しいといい得るものは、おそらく存在しません。
「蛍の光」一つとっても、もし江夏さんのコラムが20年以上前に載ったとしたら、おそらくほとんど誰の賛同も得られなかったのではと思います。
さらに申し上げれば、私は甲子園ではビジターファンの立場になることがほとんどですが、それでも「蛍の光」については容認派ですし、別段腹も立ちません。むしろ気分が悪いのは前フリのサヨナラサヨナラコールの方ですし、あれさえなくなれば、それで別にいいんじゃないの、と思います。
とはいえ、「蛍の光」を聞いて気分を害するビジターファンの心情は理解できているつもりですし、それを踏まえた上で「蛍の光」を否定する阪神ファンの方がいれば、そのお気持ちも尊重すべきだとは思います。そう考えていくと、この問題についてはなかなか考えがまとまりません。
ですが、阪神ファン以外の方々が1つ認識しておくべき点は指摘させていただきたい。
それは、この問題は決して他人事ではないということです。
ここまでは阪神の応援が問題となっていましたが、ファイターズもホームゲームでは、相手の投手交代の時にある種相手を揶揄していそうな音楽が流れるわけです。関西であれば「贈る言葉」を応援団が演奏するわけですし。
ファイターズ以外では、カープのホームゲームで、相手の投手交代の場面では「夕やけこやけ」を球場が流す例があります。さらに音楽以外でいえば、「○○電車で(あるいは「環状線で」)はよ帰れ!」などというコールもあります。
これらは曲の違いはあっても、本質的には「蛍の光」似たようなものです。むしろ、ファイターズとカープの場合は球場が流していますし、「はよ帰れ」というのはそのものズバリな表現ですから、余計にタチが悪いと批判することだって可能なわけです。
そうなると、「蛍の光」だけを叩いて他はスルーするというのはフェアではないでしょう。少なくとも、どれに対しても同じ基準で批判するなり、容認するなりというのがあるべき姿ではないでしょうか。
そして話をさらに広げれば、議論の的になりそうな応援パターンはいくらでもあります。相手がアウトになった時のテーマはいまやチームの応援で取り入れられていますし、牽制時のブーイング(鴎)、相手が四球を出した時やエラーした時のアホコール(関西公)など、問題にしようと思えば例はいくらでも出てきます。
これらのうち、どれを批判してどれを容認するかはひとそれぞれご意見があることでしょう。私自身はというと、自分の応援する球団かどうかを問わず、基本的にこういう応援には甘い方です。さすがにアホコールはちょっと気が引けて来ましたが(;^^)ゞ
ただどういうスタンスを取るにせよ、「蛍の光」のような問題はどのチームでもあり得ること、そしてある応援パターンを批判することは、同時に自分たちにも批判の矛先を向けることでもあるということは、阪神ファン以外の方々にも認識していただければ、と思います。
「蛍の光」ですが、自分は現地で歌いません。
失礼じゃないか!とかいうのは、かつて大阪球場で近鉄や南海の試合をしこたま観て育った自分としては、「そう?」みたいな感じに思えて、どうにも感覚が鈍くなってて判断できません…(汗)
歌わない理由はリスペクトがどうとか、ややこしいことじゃなく、単に「しゃれとしてイケてない」からです。
ワンポイントで出てきた相手投手が、ビシャッと一人抑えて交代する時にも「蛍の光」。
なにそれ?やられとんのこっちやん!
みたいな。
え?君ら今の観てた?ちゃんと野球観てる?
みたいな、アホさ加減が、どうにも…。
この辺、ロッテの牽制ブーイングにも通じるものがあるかなと。
足の速い選手と、牽制の上手い投手との、息詰まるコンマ何秒の戦い。
え?今のおもろいやん。これもブーイング?
え?君ら今の観てた?ちゃんと野球観てる?
みたいな。
あっ、すみません。記事の趣旨とかなりズレたコメントになってしまいました…。
しかし、このビハインド…。どうなんやろ…。
「ムチャクチャ したれ!」 力の限り…か…。
阪神の場合、少しぐらい応援手法を見なおしてもいいんじゃないでしょうか?
そうでなくても最近手詰まり感がしてて盛り上がりにかけてる様に感じます。
ichikenさんが仰ってるように、「いや、今蛍の光はかえってかっこ悪いでぇ」みたいな場面で聞くと失笑してしまう程度です。
ちなみにBuが連続最下位だった頃に、たまたま試合に勝って「弱い○○にまた勝った~」というのは自分で言いながら「いやいや、弱いのこっちやし」とセルフつっこみしたりもしてましたねぇ(懐…)
こういったものって、むりに規制しなくてもと思う一方、無くなったからといってイコール「味気なくなる」というほどのものでもない気がしています。
ところでビハインド歌詞見ましたが、やっぱりBuの「紅」の歌詞の方がいろんな意味でスゴかったと思います…。
「負けるか、いわすぞ」ですからね~。「いわすぞ」ってアンタww関西以外で通用しない言葉使用ですか。
(でもチャンステーマで「紅」が一番好きでした。あれもビハインドでしたが)
むしろ最近自分の応援している球団が相手投手交代時にやりすぎというような演出をやっているので苦々しく感じています。
以前は「運命」の一部を流して応援歌でしたが最近は「夕焼け小焼け」か「さよなら」を流すので長ったらしくてたまらないです。
ちなみにこれは応援団が演奏するのではなく球団がスピーカーで曲を流しています。
結構否定派が多いのに球団が頑固に続けています…。
よく読み返してみるとちょっと話がずれてしまいました。失礼しました。
で、私も歌うのが選手に失礼だとはあまり感じなかったりします。昔の「○川の耳はロバの耳」「岡☆の鼻はブタの鼻」というような集団ヤジ合戦に比べたら、まだかわいいもんやと(^^;)
ただ、なんでもかんでも『蛍の光』では、確かに芸がないといえばそうですね。
だからこそ私設も新しいのを考えたんでしょうが、なんというか、ナントカの考え休むに似たりというか、ごにょごにょ……
これも賛否両論ありそうな気がします。「選手に失礼だ」とも言えますし、「プロなんだからミスをしたらヤジられるのは当然」とも言えますし。私は、どっちかというと後者です(^^;)
>阪神
私設がすべて牛耳るようになってから、すべてにおいてセンスがなくなったような気がします。
特に私の場合、阪神の応援から(チームとしての阪神からじゃないんですが)心が離れるようになった大きいきっかけが、新応援歌の救いようのないダサさだったりします。
別に中虎の肩を持つ気は毛頭ありませんが、少なくとも私設の専横が応援の質の低下を招いたというのは言えてそうです。
阪神が弱い頃に讀賣に勝った時も、よくこういうコールが上がっていましたね。言ってて悲しくならんのかといつも思っていましたが(苦笑)
で、こういう類の応援なんですが、確かに今あるのがなくなったとして、それ自体で味気なくなるということはないとは思うんです。
むしろ心配なのが、「マナー」や「リスペクト」というのが暴走して、ある種の「言葉狩り」だったり、過剰な自主規制が働かないかという点ですね。
少しでもおかしく思えるのは排除してしまえという風潮になっては息苦しくなるだろうな、という危惧はあります。
>「紅」
私もあれが一番好きでした。曲もカッコよかったですし、一番Buらしさを感じる応援だったなぁと思います。
むしろ歌といい画面といい、いい意味で昭和プロ野球の残り香を今に伝える市民球場らしくて感心したぐらいです(笑)
案外こういう応援は、自分たちが思うほど相手が嫌がってなかったり、あるいはその逆だったりというのが多いのかも知れませんね。
ノリがいいのはけっこうですが、次から次に応援歌乱発して使いこなせるのかとやや心配です。
基本的にはパ・リーガーですが、最近の阪神の応援は、タガはずれっぱなしでいつか何か起こりそうな気がします。
(だって、抑えられてるんですよ)
ということは私は「蛍の光」を、揶揄と解釈してるということになりますね(と分析)。
実際個人的には腹は立ちませんが、あまりセンスのいいものでないと思います(贈る言葉も同様です)
ささっと「サイナラ」と交替する投手を送り出し、「六甲颪」なり「幸せなら手を叩こう」なりすればいいのかな、と。
「相手へのねぎらい」という記事を見て「そんな訳ないやん」と思いました・・・。