![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/cc/f1a3b4053434619dae3a3553c6603009.jpg)
大阪城公園の桜が満開で、この週末は絶好のお花見日和。そんな中、公園のすぐ近くにある日生球場の跡地を見に行ってきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/44/87bea8f26ce18f786ed92ad6fbe0736b.jpg)
この日は黄砂がひどく、晴れているはずなのに視界が非常に悪くなっていました。西日もご覧の通りで、明るさはほとんど月と変わりません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/de/cd0c49bc36226f2fce2d0cd4c17bf625.jpg)
森ノ宮でJRを降りて球場へ。足元を見ると、球場をかたどった敷石が歩道に敷き詰められていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/0b/7fa662d30170908f15cbc9995ebf44c5.jpg)
中央大通の坂を少し登ると、日生球場の跡地に着きました。
これは東側(レフト外野席付近)の側壁です。ブロック塀の向こう側に見える草の生えた構造物がスタンドの跡です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/e1/d4f6eab582ea3be52d2821159ba35d16.jpg)
東側から3塁スタンド跡を望む。階段づたいに上がって行けば太陽がつかめそうな、なにやら幻想的な感じがします。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/c4/7ba1235240a4bc49acf98ee3c84468f7.jpg)
バックスクリーンがあったであろう付近から、ホームの方角を写してみました。もう少し上から撮ることができればよかったんですが……
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/fb/d8f229be801372c53cf37c3bae806c3a.jpg)
1塁側に来ました。こちらは一般向け駐車場の出入り口になっています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/a8/80074bc1ba8ffe9d763eca617a80a868.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/d3/b4a8e15ed678077f9a155281438d5b7f.jpg)
よく見ると、当時からのものと思われる注意書きがまだ残っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/93/e6e7c6181719bc79ac04a0d85e36170b.jpg)
入口から中を覗いてみました。グランドのあったところが駐車場になっています。かつてとは似ても似つかない姿ではありますが、野球場の形を遺してはいます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/11/bfda19e3106eb34f424bd825acc0c4b9.jpg)
1塁側内野出入口の跡です。
ゲートの手前と奥とで側壁が違うのにお気づきでしょうか?手前側はもともと入場券売場でしたが、これが撤去されて新しく壁ができたということのようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/30/f1289ff11180541f3b1c6a0c9e5f1ab2.jpg)
北向きに少し歩くとこんな看板がありました。一部文字が消えてしまっていますが、「日生球場」の文字は今もしっかりと残っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/48/e7733502c9f1746818dc2a41032e5977.jpg)
正面入口に続いていた階段も残っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/9c/52f8affe40930e98672f03b85e34e81d.jpg)
「上からやったら跡地が見渡せるかな」と思い、すぐ近くの歩道橋に上がっていました。
ですが、ご覧の通り壁に阻まれ、何も見ることができませんでした……
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/59/0fe853e9ce2210008fffcd0339b6107a.jpg)
気を取り直して、今度は球場北側を見て歩きます。こちらは側壁にでかでかと掲げてあったマンションの看板。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/d9/6b7b1f1afacc8246cf3e4be95cd1caa8.jpg)
モデルルームの地図には「日生球場跡地」の文字。球場の形がはっきりと書かれています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/7c/91ff6787ffe79899c85cf7a41613538e.jpg)
3塁側内野席に通じる階段の跡。こういうのを見ると無性に登りたくなります(笑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/1e/b8fedabe93104d15b856d8e43fa12ff1.jpg)
これで球場周辺を一周。近くにあった地図には「日生球場」の文字が今も残っていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/30/3ad79d45e6ced1293a6906e9fc0dfce8.jpg)
こちらが拡大写真です。
ここまでいろいろと書きましたが、実は日生球場を訪れたことはそれまで一度もありませんでした。
日生球場という名前の球場が森ノ宮にあることは知っていたものの、幼い頃はどんな球場か全く分かっておらず、「近鉄は日生と藤井寺と2つも球場持ってるんか、すごいなぁ」とすら思っていたほどでした。
甲子園球場のすぐそばで育った子どもが、2つの本拠地にこもる苦悩の歴史を知るのはずっと後のことだったのです。
その2つの球場のうち、藤井寺は跡地利用のめどもつき、急ピッチで解体が進んでいます。バファローズを生命のない歴史の遺物へと押しやろうと躍起になっているかのように。
ですが、日生は昔の姿こそ失ったものの、そのよすがを偲ばせるには十分な手がかりを今も残しています。ここがこの先どうなるかは分かりませんが、しばらくは関西パ・リーグの名残を私たちに見せてくれることでしょう。
【参考にしたページ】
・ 球場風土記「その後の日生球場」
・ タイガース歴史研究室~猛虎歴研~「思い出の日生球場」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/44/87bea8f26ce18f786ed92ad6fbe0736b.jpg)
この日は黄砂がひどく、晴れているはずなのに視界が非常に悪くなっていました。西日もご覧の通りで、明るさはほとんど月と変わりません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/de/cd0c49bc36226f2fce2d0cd4c17bf625.jpg)
森ノ宮でJRを降りて球場へ。足元を見ると、球場をかたどった敷石が歩道に敷き詰められていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/0b/7fa662d30170908f15cbc9995ebf44c5.jpg)
中央大通の坂を少し登ると、日生球場の跡地に着きました。
これは東側(レフト外野席付近)の側壁です。ブロック塀の向こう側に見える草の生えた構造物がスタンドの跡です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/e1/d4f6eab582ea3be52d2821159ba35d16.jpg)
東側から3塁スタンド跡を望む。階段づたいに上がって行けば太陽がつかめそうな、なにやら幻想的な感じがします。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/c4/7ba1235240a4bc49acf98ee3c84468f7.jpg)
バックスクリーンがあったであろう付近から、ホームの方角を写してみました。もう少し上から撮ることができればよかったんですが……
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/fb/d8f229be801372c53cf37c3bae806c3a.jpg)
1塁側に来ました。こちらは一般向け駐車場の出入り口になっています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/a8/80074bc1ba8ffe9d763eca617a80a868.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/d3/b4a8e15ed678077f9a155281438d5b7f.jpg)
よく見ると、当時からのものと思われる注意書きがまだ残っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/93/e6e7c6181719bc79ac04a0d85e36170b.jpg)
入口から中を覗いてみました。グランドのあったところが駐車場になっています。かつてとは似ても似つかない姿ではありますが、野球場の形を遺してはいます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/11/bfda19e3106eb34f424bd825acc0c4b9.jpg)
1塁側内野出入口の跡です。
ゲートの手前と奥とで側壁が違うのにお気づきでしょうか?手前側はもともと入場券売場でしたが、これが撤去されて新しく壁ができたということのようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/30/f1289ff11180541f3b1c6a0c9e5f1ab2.jpg)
北向きに少し歩くとこんな看板がありました。一部文字が消えてしまっていますが、「日生球場」の文字は今もしっかりと残っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/48/e7733502c9f1746818dc2a41032e5977.jpg)
正面入口に続いていた階段も残っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/9c/52f8affe40930e98672f03b85e34e81d.jpg)
「上からやったら跡地が見渡せるかな」と思い、すぐ近くの歩道橋に上がっていました。
ですが、ご覧の通り壁に阻まれ、何も見ることができませんでした……
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/59/0fe853e9ce2210008fffcd0339b6107a.jpg)
気を取り直して、今度は球場北側を見て歩きます。こちらは側壁にでかでかと掲げてあったマンションの看板。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/d9/6b7b1f1afacc8246cf3e4be95cd1caa8.jpg)
モデルルームの地図には「日生球場跡地」の文字。球場の形がはっきりと書かれています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/7c/91ff6787ffe79899c85cf7a41613538e.jpg)
3塁側内野席に通じる階段の跡。こういうのを見ると無性に登りたくなります(笑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/1e/b8fedabe93104d15b856d8e43fa12ff1.jpg)
これで球場周辺を一周。近くにあった地図には「日生球場」の文字が今も残っていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/30/3ad79d45e6ced1293a6906e9fc0dfce8.jpg)
こちらが拡大写真です。
ここまでいろいろと書きましたが、実は日生球場を訪れたことはそれまで一度もありませんでした。
日生球場という名前の球場が森ノ宮にあることは知っていたものの、幼い頃はどんな球場か全く分かっておらず、「近鉄は日生と藤井寺と2つも球場持ってるんか、すごいなぁ」とすら思っていたほどでした。
甲子園球場のすぐそばで育った子どもが、2つの本拠地にこもる苦悩の歴史を知るのはずっと後のことだったのです。
その2つの球場のうち、藤井寺は跡地利用のめどもつき、急ピッチで解体が進んでいます。バファローズを生命のない歴史の遺物へと押しやろうと躍起になっているかのように。
ですが、日生は昔の姿こそ失ったものの、そのよすがを偲ばせるには十分な手がかりを今も残しています。ここがこの先どうなるかは分かりませんが、しばらくは関西パ・リーグの名残を私たちに見せてくれることでしょう。
【参考にしたページ】
・ 球場風土記「その後の日生球場」
・ タイガース歴史研究室~猛虎歴研~「思い出の日生球場」
「小便するな」はやっぱりみんな目に留まるんですね(笑)
ここと大阪球場は大阪で働いている人にとっては、立地的に甲子園よりも通いやすい球場じゃないのかなぁと思いました。
職場の同僚の方が近鉄ファンだったという事で、日生球場のエピソ\ードを聞かせて頂いた事があります。
トイレが男女共同とか、観戦しにいくと、いつも一緒の場所に特定の人がいる…とか。
改めて考えると、全部パの球場なので、スカスタも大阪ドームも、大事に残していって欲しいものです。
↓
http://kakutetsu.seesaa.net/image/D1010024.JPG
高校野球予選のメッカでもありました。
近くにおいしいパフェの喫茶店があるのですが、今はもうありません。
小ぢんまりと可愛い球場でした。
「小便するな」の注意書きも年季が入っていて、そんな感じを増幅させているような(笑)
さて、日生も大阪球場も大阪市内で働いている人にとっては都合のいい球場だったと思うんですよ。ただそれが仇となったという気もします。
何回も近鉄も親会社は電鉄会社ですし、電車に乗って球場に来てもらえるのがいい。
ですが日生は近鉄沿線にはありませんし、大阪球場も沿線住民でなければ南海電車に乗らずとも行ける球場でしたからね。
むしろ甲子園や西宮、あるいは藤井寺の方が立地条件としてはよかったのかも知れません。
西宮は早々に電光掲示板などを取り入れてスマートな感じを出していた一方、藤井寺は最後まで掲示板が手動式だったり、ネット裏も2階がなく対照的な感じがありました。
日生も一度行ってみたかったなぁと、今さらながら思ってしまいますね……
この日は別のところで夕食を食べましたが、今度森ノ宮かいわいに行く時には寄ってみたいですね~。
それにアマ野球やパの公式戦もあったわけで、日生に通った方も結構いらしたのではと思います。
それにしても、この辺りは昔からの建物が残っているようですが、それでも徐々に変わりつつあるんですね……
試合が終わってからのグラウンド整備に目を見張っちゃいましたね。
おっちゃんが一人ミニバイクの後ろにトンボをつけてマウンド(実際は給水栓の後ろかな)からぐるぐる回って土をならしていくんですよ。
そうそう、レフト入口にバッティングセンターがありましたねぇ。山本和範や新井宏昌になりきって打ち込みして帰りました。一番速いので120km位だったかなぁ?
地元贔屓か、ほとんど阪神の攻撃しか放送しておらず、点がなかなか入らない阪神に対し、あまり攻撃シーンを見ない広島カープが得点してゆくのをみて、春先の寒さと多少ほころびが目立ってきた日生球場とともに、かなり痛々しい思い出として脳裏に焼き付いてます。