「11年前の9月19日、何をしてましたか?」ミスチルファン1974さんのエントリが問いかけてきた。
いきなりでなんだが、ぼくはこの日のことをちゃんと覚えているわけではない。この1年の中のこの日は、ぼくにとってごく普通の1日だったのだろう。
ごく普通に、焼け跡や倒壊した家並みがあった街での1日。
ごく普通に、高速道路の橋桁が抜け落ちていた街での1日。
ごく普通に、避難所や仮設住宅があった街での1日。
ごく普通に、喪失感が麻痺していた1日。
ごく普通に、次の恐怖に怯えていた1日。それでもみんな負けじと生きていた1日。
そんな普通でないことが普通だった街でも、誰もが特別に思ったことが1つあった。
あるプロ野球チームがリーグ優勝を果たした。それが大きな希望をもたらした。それがこの日。1995年9月19日。何で覚えていなかったんだろう。翌年の大島のサヨナラホームインは、今でもまぶたに張り付いているのに。
ともあれ、あれから11年が過ぎた。
まだ更地のままところも結構あるけど、焼け跡や壊れた家は消えたことは消えた。
高速道路はつながった。避難所も仮設住宅もなくなった。
失ったものへの思いは、大事な人や家や思い出を失った人ほど癒えることはなく、恐怖は薄れてもなくなったわけではないが、とにもかくにも、普通であるはずのことは、普通だと思えるようになった。
だけど―あの時ぼくたちの光だったプロ野球チームは、もうない。
ないどころではない。守銭奴とくだらない大人たちが殺した牛の皮を貼り付けられ、血まみれのまま逃げることも泣き叫ぶこともできず、生きながら死臭を漂わせている。
「普通」を取り戻しつつあるこの街で、このチームだけが、普通じゃないことを普通として押し付けられている。あげくのはてに、この街から引き離されようとしている。
まとまりのつかない想いの中で、大島のサヨナラホームインだけが輝いている。
いきなりでなんだが、ぼくはこの日のことをちゃんと覚えているわけではない。この1年の中のこの日は、ぼくにとってごく普通の1日だったのだろう。
ごく普通に、焼け跡や倒壊した家並みがあった街での1日。
ごく普通に、高速道路の橋桁が抜け落ちていた街での1日。
ごく普通に、避難所や仮設住宅があった街での1日。
ごく普通に、喪失感が麻痺していた1日。
ごく普通に、次の恐怖に怯えていた1日。それでもみんな負けじと生きていた1日。
そんな普通でないことが普通だった街でも、誰もが特別に思ったことが1つあった。
あるプロ野球チームがリーグ優勝を果たした。それが大きな希望をもたらした。それがこの日。1995年9月19日。何で覚えていなかったんだろう。翌年の大島のサヨナラホームインは、今でもまぶたに張り付いているのに。
ともあれ、あれから11年が過ぎた。
まだ更地のままところも結構あるけど、焼け跡や壊れた家は消えたことは消えた。
高速道路はつながった。避難所も仮設住宅もなくなった。
失ったものへの思いは、大事な人や家や思い出を失った人ほど癒えることはなく、恐怖は薄れてもなくなったわけではないが、とにもかくにも、普通であるはずのことは、普通だと思えるようになった。
だけど―あの時ぼくたちの光だったプロ野球チームは、もうない。
ないどころではない。守銭奴とくだらない大人たちが殺した牛の皮を貼り付けられ、血まみれのまま逃げることも泣き叫ぶこともできず、生きながら死臭を漂わせている。
「普通」を取り戻しつつあるこの街で、このチームだけが、普通じゃないことを普通として押し付けられている。あげくのはてに、この街から引き離されようとしている。
まとまりのつかない想いの中で、大島のサヨナラホームインだけが輝いている。
>「さらば青春さらば青波」私もあの日球場へ行ってました。
あの日は最終戦というのもありましたが、果たしてあの日球場に詰め掛けた満員のファンは、今何を思うでしょうか?
私は未だに違和感をぬぐいきれずにいません…。
その歪みは、現場がどれだけ頑張っても露呈してしまいますし、私が目をそむけようとしても見えてしまう。
といって私に何ができるでもないのですが、せめて私にとってのブルーウェーブというチームを、時に記憶の中から甦らせることぐらいはしていきたいと思っています。
1995年を阪神間で生きたものとして。
しょっぱなから千葉ロッテの先発したヒルマン(監督にあらず)がイチローにぶつけたりもしたなぁ。
皆に喜んでもらえたチームだったのが、何で11年後にこうなっちゃってしまうんでしょうね。。。
それにしても、10.19といい去年の日本シリーズといい、関西球団は大一番になるとロッテにやられるんですよね(苦笑)