にわか日ハムファンのブログ記念館

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〔2011夏 東北・北関東の旅〕第2部(14):鷹巣大劇場経由、秋田内陸縦断行

2011-10-28 19:28:27 | さすらいブロガー旅情編
 大鰐温泉からJR奥羽本線で南下。再び秋田県に入った。



 電車を降りたのは鷹ノ巣駅。ここからは秋田内陸縦貫鉄道を乗り通して角館に向かう予定である。



 現在は北秋田市の一部となっている旧鷹巣町は、世界一の大太鼓を誇る町、そして、球界一の大劇場作家、中嶋聡捕手を生んだ町である。
 私が今回の旅を企画した際、可能であればぜひこの町を散策してみたいと思っていた。しかし、他の予定を考慮すると、滞在時間をほとんど作れず、乗り換えの合間に駅の写真を撮るぐらいしかできなくなってしまった。
 ところが、鷹ノ巣に着いて秋田縦貫鉄道の鷹巣駅に向かってみると、すでにホームにいるはずの列車がない。待合室も人であふれている。
 不思議に思って駅員氏に聞いてみると、大雨の影響で到着が26分遅れているのだそうだ。となると、折り返して発車する時間も遅れることになる。
 これはもっけの幸い、観光まではできないまでも、駅前付近を見て回るぐらいの時間はあるはずだ。何より、昼ご飯を買いに行ける!
 すでに切符は買ってあったのだが、これ幸いと駅前へと繰り出した。



 秋田縦貫鉄道鷹巣駅。ログハウス風に作ってある。



 JR鷹ノ巣駅がこちら。見るからに地方の割合大き目な駅という感じである。
 ところで、両社の駅名が微妙に違うのにお気づきだろうか。JRの駅名には「ノ」が入っているのだ。ちなみに、現在の地名は「鷹巣」となっており、JRの方が古風な感じである。
 ちなみに、似たような例は私の身近にもあって、神戸では阪神・阪急・地下鉄が「三宮」なのに対しJRは「三ノ宮」。我が故郷西宮でも、3年前までJRの駅は「西ノ宮」となっていた。



 太鼓はポストの上にも乗っている。キャッチャーミットというわけにはいかないのだろうか。



 駅前通り。屋根つき歩道に縦型の信号機、東北の他の町でも見る駅前通りである。



 駅からほとんど歩かないうちに喫茶店を見つけた。



 その喫茶店で見つけたチラシ。北海道だけではなく、秋田と言えば熊。そして今の中嶋聡と言えば熊である。
 ともあれ、喫茶店に入ってみると、なんとメニューによってはテイクアウトができる。助かった!16時にして昼食の調達に成功し、心も軽く鷹巣駅に戻る。
 ところが、駅に入ると、あれほど人がいた待合室が空っぽになっている。なぜだ!?……いや、問うべくもあるまい。彼らは列車を待っていたのだ。列車が来たから乗り込んだ。それに違いない。
 しかし、私が駅に戻ったのは16時過ぎ。本来の発車時刻から10分ぐらいしか経っていない。鷹巣に向かう列車は26分遅れではなかったのか。なら折り返しの列車の発車も26分遅れる……
 とは限らない!!列車が到着してすぐに折り返すこともあるではないか。だとすれば26分遅れではなく、もっと早くに駅を出ることだってあるではないか!!
 とすると、呑気に買い物に出ていた私は列車に乗り遅れたのか!?まさか……



 と思った時に駅員氏の声、
 「もうすぐ列車が出ますよ。乗りますか」
 乗らいでか!!慌てて改札を抜け、ホームに入って列車に乗る。ほどなく列車は角館に向けて発車した。
 乗り換えだけのはずが予想外の滞在時間ができ、のんびりできると思ったら危うく列車に乗り遅れる一歩手前まで追い込まれる。この時の私は、まさに二転三転の状態であった。
 そう、これこそが劇場。劇場主のふるさと鷹巣の大劇場である。ダイヤの乱れが原因なだけに、私の自作自演とも言えない。もう劇場と言うほかないのだ。鷹巣、かくも恐ろしい街とは……



 ともあれ、乗ってしまえばこちらの勝ち。気分も落ち着かせて、先ほど買った昼食を頂く。
 ホットドッグと豆腐サラダ、ここまで来て何ともな取り合わせだが、サラダは地元で作ったものだし、ホットドッグを封じたシールも地元っぽいので、それで良いではないか。



 列車が角館を出たのは14分遅れ。そして12分遅れで阿仁合駅に到着した。



 阿仁合には車庫があるので、いろいろな車両を見ることができる。こちらは普通列車用の車両。



 秋田内陸線には、ローカル私鉄には珍しい有料の急行が走っている。その専用車両がこちらである。



 この車両も急行用に作られたものである。



 これも急行用だが、窓が大きくなり展望が良くなっている。「宝くじ号」という名の通り、これは日本宝くじ協会が寄付して作られた車両とのことだ。
 列車が阿仁合を出たのは、行き違いの列車が着くのが遅れたため6分遅れ。ただ、これでもダイヤはだいぶ回復している。ここからは山間地を突き抜けて走っていく。
 それはいいが、沿線を見ると杉林が延々と続く中で、駅の周囲を除いて集落や民家をほとんど見かけない。ここまでいろいろなローカル線に乗ってきたが、その中でも沿線人口がかなり少ない部類に入るだろう。
 秋田内陸線は国鉄時代には南北に分かれていて、一日数本の列車が細々と走っていただけだったが、第三セクター移管後に南北の両端を結ぶ区間が完成し、急行の運転まで始まった。バブル華やかなりし頃の話である。
 しかし、もともと沿線人口の少ない区間である。厳しい経営が続くのは避けられないことであった。乗客は平成に入って以来減少が続き、赤字は年々積み重なっていった。
 そんな中、最近では秋田内陸線の存続について取りざたされることが珍しくなくなってしまった。実際、沿線自治体からの支援がなくなれば、鉄道が維持される見込みはなくなるだろう。
 ただ、それでいいのだろうか、とも思う。沿線のほとんどの区間で、並行する道路はある。ただし、そうでない所もあるのだ。
 それに、はたして鉄道がバスに代わったとして、十分な輸送力を提供できるのか。それに、雪深い東北内陸のこと、冬場はどうするのか。
 もちろん、バスで十分、あるいはバスの輸送力すら過大となる可能性もある。沿線の過疎化がさらに進んでいった場合がそうだ。
 だが、日本の各地で今まさに進んでいるその現象は、我々にとって本当に望ましいことなのだろうか。
 ローカル線を旅するごとに、これでいいのか、と思う。我々は、自分たちの依って立つ基盤を、自分たちで掘り崩しているのではないだろうか、という疑問にとらわれる。
 もとより都会住まいの私がこんなことを考えるのも、変なことなのだろう。
 ただ、ある種のベース=いずれ「帰る」場所を瀬戸内の島に残す者として、自分の国の農山漁村を成すがままにし続けることに、不安や危機感を感じないではいられないのだ。



 雨がまた降りだす中、終着駅の角館に着いた。遅れは3分に縮まっている。道路状況に左右されない鉄道の強みだ、と思う。



 秋田内陸縦貫鉄道の角館駅。雨が降るとこういう撮影が大変になるから嫌なものだ。



 角館は秋田新幹線(JR田沢湖線)の接続駅である。こちらがJRの駅舎。
 さて、さすがにこの時間になると夕食の調達が必要になる。しかし駅前のレストランに入るほどの時間もなく、駅内のコンビニでは弁当系のものがほとんど売れ去っている。とりあえず地酒だけを買っておく。



 駅に戻ってみると、こんなポスターがあった。以前秋田が韓国ドラマのロケ地になっていた、という話を思い出した。IRIS。私自身は見たことがないが、確かに名前はよく聞くドラマである。
 そういえば、以前イ・ビョンギュ、ではなく、イ・ビョンホンの写真が大写しになったパッケージの「IRIS韓国のり」なるものを見つけ、海苔なら海苔らしいパッケージの方が良いな、と思ったことはある。



 秋田内陸線のJR乗り換え口にはこんなポスターもあった。同じくロケ地巡礼者向けのものだろう。
 このドラマ自体については、見ていないだけに何とも言いようがない。ただ、韓国ドラマの巡礼だろうがなんだろうが、地域にお金が落ちるのが悪いことなはずはない、とは思う。
 地域振興だ村おこしだ町おこしだというが、すべてお金のかかることである。そして、結局はその地域にお金が落ちて、そのお金が回るようにしなければ、話にならないのだ。
 だから、僅かなりとも金回りを良くするのに貢献することの方が、凡百のスローガンや運動よりはるかに役に立つ、と私などは思う。ただし、この辺は地元の人々がどう思うかが、何より優先されるべきではある。
 もっとも、ドラマやアニメの効果が長続きすることはあまりなさそうな気はするのだが……その辺もまた、地元の人が自分たちで考えることである。



 角館からは田沢湖線でいったん西へ向かう。時間があれば観光もしたいのだが、もとより鉄道優先の旅である。



 列車は大曲に着いた。今夜はこの街で泊まることになる。8月の大曲と言えば花火。こんなキャラクターまでできているとは知らなかった。



 大曲駅には神輿が展示してあった。この旅では各地の駅で神輿や山車を見ることが多い。東北といえば夏祭り、ということか。
 いずれのんびりした旅ができるようになったら、祭りをはしごするのも……と思ったが、これがフラグになるのも嫌なので、途中で止めておく。
 その大曲で厄介な話を聞いた。明日のルートに含まれる奥羽本線の一部が、雨で運転を見合わせているらしい。しかも、道路も冠水していて、代行バスの運転もないのだそうだ。
 これが明日も続くとなると困る。ルート変更もさることながら、新幹線を使わなければならなくなるのは木が重い。特急料金と運賃の出費が痛いのも事実だし、何より鈍行の旅だと思うと、癪に障るのだ。
 ともあれ、明日になってみないと分からない話ではある。夕食を調達し、宿に向かったのだった。


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2 コメント

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私が小学三年生まで過ごした町 (瑞浪男)
2011-10-29 15:34:21
祖父母と同居していた時期に暮らした町では
主要バス便が廃止され、高校生は自家用車で送り迎えされているそうです。どこの皇族かVIPかと思いますが、決して珍しい話ではありません。
私の卒業した高校とその町を結ぶ便が廃止されたため、その町の優等生で進学実績を上げていた我が母校の没落振りは凄まじく、涙が出ます。もっとも、バス便がなくなってしまったためにかろうじて残った一路線に乗って鉄道駅まで行って、それからまた小一時間という通学を強いられる子供たちもかわいそうです。
瑞浪男さん (ルパート・ジョーンズ)
2011-10-29 18:26:59
私の母の郷里も、最近小学校がついに閉校になったんですよ。
実際、盆暮れの帰省時でもなければ子供の姿はまるで見かけませんし。
このままでは集落自体の存続も危ぶまれるわけで、
なんとかしなければ、と考えている人もいるのですが……