光に透けると どんな色?

様々ゆえに色々あるのか、色々ゆえに様々なのか。
不可分のそこで にっこり真顔。
皆みな様に愛と美と調和と笑いを。

鯛が釣れたから縁起がよいの

2009-09-30 | 暮らし
日本初のシルバーウィークを境に
我が家は激動期に突入しました。

それは9月20日、
たれたらこと小6二女が、
神戸に魚釣りに行く日の事でした。

わたしも朝5時に起きて、
「一緒に行く...いやお留守番しとこかな...」 と
眠い目をこすりながら迷っていたのですが、





一緒に魚釣りに出かけ、
家を釣って帰ってきましたとさ。

そういうわけで、長年住み慣れた大阪を離れます。
『いや実は、これには深い理由があってね、』
というようなクドクドしたワケもイキサツもありません。

目の前には、海がバーン!
背後には、山がドーン!
わたしの故郷にそっくりな町。
ここで暮らせたらなぁ。
暮らしたいなぁ。
...あ、暮らせばいいんじゃん。

ノリノリの女3人をよそに、たれたらこだけは、
もっと熟考すべきでは波動を発しようとしていました。
でも、「いいのかそれで。本当にいいのかぁ~?」 と
笑いながら言うてる時点で、本心丸見え。




その後、最終決断を下すため、
みんなで近くの浜辺へ出向きました。
目の前に広がる海を見たたれたらこ、あえなく観念。

「あぁあ、だから、ここに来たらアカンって言うたのにー。
 こんなん見たら、あぁもう、もう、あああっ!」
と、両腕で頭をもみくちゃにするたれたらこ。
食後の梅酒でトロリンチョするみたいに
気持ちよーく浜辺に崩れ落ちていきました。




現状維持か、激動の移住か。
秋の気配を含んだ浜風を受けながら、
家族全員一致で、激動するほうを選択しました。

あれから10日。
移住先でのヴィジョンがどんどん見えてきて、
「確かに、アレするにもコレするにも最適な場所だね~」
という発見とわくわくがたくさん。
新しい住居との巡り合わせに、心から感謝です。

引越しは、年内11月下旬くらいかなぁ。
たれたらこは、ここに遊びに来るたび
浜辺の清掃に励んでいます。



ランドセル背負ったおじさんみたい。

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ピンクライオン

2009-09-29 | 暮らし




9月最後の日曜日は、小6次女の運動会でした。
たれたらこは、ハッピーハロウィン仕様で
大人の綱引きに参加しました。

歩く先々で子供達にせき止められては
素性を詰問されるたれたらこ。
そのたび、たれたらこは怪しい動物になりきって、
子供達を脅かし喜ばしていました。


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姉 脳出血からの・・・

2009-09-15 | 暮らし
姉が脳出血で倒れてから、早一年が経ちました。

「こういう記念日は、なんて言うたらいいんやろうね。
 とりあえず、一周年おめでとう? かな。
 あの日生まれ変わったも同然やもんね、
 誕生日みたいなもんやね」

わたしが電話でそう言うと、姉は 「そうやな~」 と笑っていました。

脳出血による半身不随から、ものすごい勢いで回復した姉。
もちろんその間には、精神的、肉体的な紆余曲折はあったのですが、
医師やリハビリ療法士さんたちから、
「奇跡の回復ですね」 という絶賛を浴びて、半年後に退院しました。

姉もその気になって、「わたしは奇跡の患者になる!」 と、
まだまだ全治には及ばない不自由な左半身を引きずり、
退院後もかなりハードなリハビリに励んでいました。

倒れる前なら徒歩5分で行けたスーパーへ
片道40分かけて買い物へ出かけ、ご飯をつくり、
家族6人分の重たい洗濯カゴを抱え、干し、取り込み、たたみました。
「今日は仏壇の奥のほうに花を供えれた!」 などと
毎日必ず一つは新しいことにチャンレンジして、
わたしに報告してくれました。
その頃の姉はまるで、奇跡の患者になるために、
日々生きているようなものでした。

わたしはそんな姉を、頼もしいような、がどこか危ういような
ハラハラした気持ちで見守っていました。
でも姉の生きる張り合いが、
奇跡の回復という目標に支えられているのなら、
わざわざその支えを、わたしが挫くことは出来ません。
何より、姉の明るさがとても嬉しかったのでした。

ところがその2ヵ月後、姉は外出先で全身けいれんに襲われ、
搬送された救命救急センターで、こん睡状態になりました。

2日後、意識の戻った姉の落ち込みぶりは凄まじいものでした。
わたしにしてみれば、今回意識が戻ったというだけで奇跡なのに、
姉はそのことには気がいかないようでした。
というのは、姉の半身麻痺は、脳出血で倒れた直後のような状態に
戻ってしまっていたからです。

「けいれん来るまでは出来ちょったにぃ、なんで出来んの...」

昏睡状態から戻ったものの、自分の片麻痺ぶりを思い知らされて
姉は事あるごとに泣いていました。
姉からはすっかり、回復そのものへの熱望が削げ落ち、
これから何を目標に生きていったらいいの? と
いわんばかりの落ち込みようでした。

「奇跡の復活めざして毎日頑張りよったにぃ。なんで...」
入院していた1週間、姉は口癖のようにそう呟いて、
その先は言葉にならず、毎回そこで泣き崩れていました。

姉が退院した翌日、わたしは大阪へ戻る事にしました。
姉はようやく一人歩きが出来るようになった幼児のように
危うくふらつきながらも玄関まで歩いて見送ってくれました。

姉は、動く方の右手で杖を持っているから、
涙がポタポタ流れていても、拭うことは出来ません。
杖で踏ん張って、泣きながら立ち尽くしている姉を見て、
わたしは思わず駆け寄り 「生きててくれてありがとう!」 と
生まれて初めて、姉をギュ~っと抱きしめました。
そして 「も、大サービスしちゃる!」 と
姉の麻痺している左手を持ち上げてブチューっとキスしました。

何もしてあげられなくて、ごめんね。
姉に対して、わたしが味わっている無力感を
今の姉は、自分自身に対して味わっているのだろう・・・
だからどうしても伝えたかった。
奇跡の復活なんて、どうだっていい。
姉ちゃんがどんな状態でも、ただ生きてくれていることで、
わたしがどれだけ幸せか。
姉ちゃんのおかげで、どれだけたくさんの
大切なことに気づかされたか。


大阪に向かう電車のなか、姉の小さく佇む姿が目に浮かび、
何度も胸が詰まってグーっと涙を押さえ込んでいると、
姉からメールがきました。




姉の穏やかな立ち直りに、ふいをつかれ、
わたしの涙腺はぶっ壊れました。
泣いた泣いた。




あれから気持ちもすっかり落ち着いた、この夏の姉の笑顔です。
いろんな思いを呑み込んで笑う、姉の深い瞳が大好きです。
姉ちゃん、奇跡は、生きてることそのものだよね。
大好き、姉ちゃん、万歳♪


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その方をどなたと心得る!

2009-09-05 | 暮らし


高1長女の文化祭に遊びに行ってきました。
とっても暑い今日。
夏のうちにかき損ねた汗を、搾り出されるようでした。

たくさんの保護者にまみれ
校庭のテント下でやすんでいると、
誰かがわたしの名を呼び、近づいてきました。
見ると、確かにどこかで会ったことのある女性。

が誰だか思い出せず、内心オロオロだったのですが、
とりあえず女性の笑顔に応えようと
わたしも満面の笑顔で、親しげに手を振りました。
そして大声で、
「わぁ久しぶり! 元気ぃ?」
とリアクションしました。

その場で2,3会話を交わしたのですが、
その間も女性が誰だか思い出せず、
結局最後まで思い出せないまま、わたしは
「バイバーイ、またね~♪」
と元気よく手を振って
その女性を見送りました。

で、誰だったんだろう。



思い出した!

高1長女の担任の先生だ・・・

その女性が誰だか思い出したと同時に、
その女性と何を話したかブっ飛んでしまいました。

「久しぶりぃ、元気ぃ?」 「バイバーイ、またね~♪」、
自分が放ったその二言だけが、
やけに鮮明に記憶に残っている、
文化祭あとの祭りなのでした。


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