【もみじ饅頭】
1980年代、漫才ブームが到来した。いや、「漫才」というよりは、
「MANZAI」と表現したほうがよいだろう。それまでの漫才は、
どちらかと言えば、お年寄りの娯楽として漫談や落語と同じカテゴリ
に分類されていたかと思う。それが・・・、あの騒動である。あれは
いったい何だったのだろうか。
ブームのトリガーとなったのは1980年 4月 1日にフジテレビで放映
された『THE MANZAI』である。この番組は火曜スペシャル
の枠でスタートしたのだが、その構成の斬新さや出演タレント(漫才
師という語はなぜか似合わない)のネタの新鮮さで、視聴率も急激に
上昇した。小林克也の英語のDJに紹介されタレントが登場するスタ
イルは、まさに「お笑い新時代」の象徴であった。
この番組に登場するタレントの常連は、ツービート、B&B、のり
お・よしお、ザ・ぼんちである。なにしろテンポが速い。次から次へ
とマシンガンのように繰り出されるトークは、それまでの「笑い」の
常識を確実に覆したと言えよう。この現象を「お笑いの革命」と表現
するのは言い過ぎであろうか。
1.ツービート
東京都足立区出身のたけし(北野武)と山形県出身のきよし(兼子
二郎)のコンビ。「赤信号みんなで渡れば怖くない」「寝る前に必ず
しめよう親の首」等、ブラック・ユーモア(!?)的な標語ネタがウ
ケた。たけしが矢継ぎ早に「コマネチ」「カリギュラ」等の一発ギャ
グをくり出す反面、相方のきよしは「よしなさいって」、あるいは、
うなづくだけ。後に松本竜介、島田洋八とともに「うなづきトリオ」
を結成する。
2.B&B
広島県出身の洋七(徳永昭広)と岡山県出身の洋八(藤井健次)の
コンビ。「もみじ饅頭!」と洋七が言うだけで当時はなぜかウケた。
もっぱら広島の長所と岡山の短所を取り上げて笑いを取るのが彼らの
パターンであった。「なんでやねん」。
3.ザ・ぼんち
ぼんちの特徴は、おさむのしつこさとまさとの絶妙なツッコミであ
ある。当時、他のコンビがおおむね「スピード」を武器に観衆を圧倒
していたのに対し、彼らは「漫才のうまさ」を武器にしていた。おさ
むのハデさに対するまさとの距離感、「間」が秀逸であった。「そ~
なんです」。
4.西川のりお・上方よしお
この二人の漫才はひとことで言えば「わけがわからない」内容であ
った。とにかくのりおが一方的にボケまくり、相方のよしおではなく
観衆を勢いで圧倒する。のりおとよしおの掛け合いはほとんどない。
実は、「わけがわからない」中で冷静に聞くと彼らのスタイルが一種
の「ぼやき漫才」であることがわかる。ネタも政治・社会のテーマが
多かった。ぼやきが続くからオチがなく、のりおのマシンガン・トー
クが目立つのである。「ホ~ホケキョ」。
5.オール阪神・巨人
「しゃべくり漫才」。これがオール阪神・巨人のスタイルである。
「漫才のうまさ」では、当時若手№1であったであろう。「話術」で
観衆を巧みに誘導しながら盛り上げていく「漫談」は、秀逸であった。
「く~るまにポッピ~♪」
6.今いくよ・くるよ
一見美人風痩身のいくよのツッコミと、太鼓腹をバシンバシン叩く
ドラえもんのようなくるよのボケが、当時ハジけていた。特に毎回、
奇抜な衣裳で舞台に登場するくるよの「パワー」には圧倒されっ放し
であった。
◇◆◇
その他、島田紳助・松本竜介、おぼん・こぼん、ゆーとぴあ、セン
トルイス、春やすこ・けいこ、太平サブロー・シローらが、『THE
MANZAI』で活躍していた。
・・・で、この記事。オチはありまへん。ええかげんにしなはれ♪
仔熊くん、熱さがったかな?
もみじまんじゅう~、うまそうだしょ~(^^)
>島田洋七のおばあちゃんをモデルにした
映画
おっ、それは耳よりなハナシですね♪
綺麗な百合もさることながら
私は紅葉饅頭に釘付けになりました
島田洋七のおばあちゃんをモデルにした
映画があるみたいですね。
ちょっとおもしろそうかな~なんて思ってます。
例のポーズで決めていますね。出演者一同♪
ttp://www.flix.co.jp/image/N0008517_l
あの得意のポーズも何度も何度も出ています。
もちろんゴムパッチンシーンもあって笑っちゃいました。