紅茶 Tea Time

紅茶輸入、株式会社ROWANのオフィシャルブログでございます。

国策を発動し、忘れ、止めなかった!

2024年02月12日 15時41分35秒 | ROWAN文芸部

科学万博つくば'85の写真です。

1985年に開催され、2000万人以上が来場したつくばEXPOが無傷での折り返し可能地点だったが、もう40年近く過ぎてしまった・・・

国策を発動し、国策が発動されていることを忘れ、国策を止めることを忘れた!

外国人と話しをすると、洋の東西を問わず、特に久しぶりだと、自身の近況だけでなく、父母や家族の息災も語り合う。一種の挨拶代わりにもなっている。ところが、日本では家族の話などほとんどしないので、海外と仕事をするようになった最初の頃、面を食らった・・・

敗戦後、農家の次男三男が地元で就農・就漁するのを止めさせ、都会の工場の労働者として動員するための国策が発動された。日本は狭くない。広い。地域によっては、親も親戚も友人も知り合いもいる地元で就農や就漁した方が遙かに有利な人生を送れる場所もたくさんある。地縁血縁社会。それを親や地元から引き離し工場に動員するために、
「親と一緒にいることは、みっともない」
という社会風潮に作られた。地縁血縁を基軸としていた社会から職場の縁で繋がる職縁社会へと切り替えが進められた。

三木内閣当時、ライフサイクル論が盛んとなり、労働者のライフサイクルの計画表も作られた。高校を卒業し、就職から退職までの人生計画。必要な耐久消費財、ローンでの住宅の獲得時期、子供は何人作るか、どこまで進学させるか、そして老後の生活保障。

途中、親子の縁を希薄にさせるための、
「マザコン」
などという言葉もマスコミ等でもてはやされ、この国策に拍車がかけられた。

そして、この計画通りに進み、発展していった日本。
「職縁社会が上手く機能していて、職場で結婚相手の世話もしてくれた」
そして今では、景気低迷による終身雇用の日本型資本主義の崩壊で、職縁社会も崩壊。職場など、結婚に繋がるマトモな恋愛の邪魔をする場になっている。
「早く結婚しろ」
という人間としてのマトモな言葉をセクハラにしてしまったのも、孤独死の大量発生に社会を向かわせた。

敗戦後、日本を復興させた政界、官界の能力は途方もなく高かったが、高度経済成長期以降を担った政官は、その頭脳を受け継がなかった。受け継いでいれば、この国策がそのまま暴走すればどうなるか?が、わかっていたはずである。ある程度成功した時点で、核家族化へと向かわせた国策を止めなければならない。しかし、日本を復興させた次の人たちは、国策が発動され、効き過ぎるほど効いていることも忘れ、
「子供を数多く持つよりそのぶん高級な車を買おう、親戚を訪ねるより海外旅行に行こう」
つまり、
「家族・子供・親戚がいる幸せよりも消費を尊ぶ方角」
への財界による国民誘導に政官も乗ってしまった。

国策が発動されたことも忘れ、国策が暴走し、止まらなくなった。光が丘、旭が丘など、全国各地に造成された住宅団地、年をとって老夫婦だけで過ごすようになり車の運転が出来なくなったら、日々の食料の買い物すら出来なくなる陸の孤島になってしまった住宅団地も、この国策の夢の跡。

公費の補助、介護保険で成り立っている全国津々浦々にある姥捨て山システムの完成でこの国策が完結した。

誰の目にも分かっていたこの国策の成り行き。これを止める折り返し可能地点、潮時が、つくばEXPOが開催された1985年あたりだった。40年遅きに失した。

どう立て直すか?まずは、賄の多寡で政策が左右され決められてしまうのをなんとかしないと、立て直しどころか、また同じ轍を踏む。

 

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重要政策のひとつのはずだが・・

2023年12月14日 20時52分31秒 | ROWAN文芸部

「家の近くに老人ホーム、介護施設が出来たから、気候の良い日など、車がほとんど通らないあの道を、年寄りが散歩でもするかと思っていたら、誰一人として外に出てくる年寄りがいない。いったんあそこに入ったら、二度と外には出てこないのか・・・?」

 介護施設に入って上げ膳据え膳、狭い部屋にこもりっきりになり、リハビリや作られた娯楽はあるだろうが、家で過ごすよりも遙かに行動範囲が狭まり老化を早める。さらに、施設では安全をたてまえに新鮮な鮮魚、お刺身などはほとんど食べさせてもらえない。その結果、血管系の病気や認知症になりやすくなり寿命を縮める。

 孫を連れて、危険のない川や池でヘラブナ釣り♪

 ひと昔前、ごく普通に見られた日常の光景・・・

 もっと高齢になり、魚釣りには出かけられなくなり、外出が億劫になったとしても、両親が帰ってくるまでの間、孫たちと一緒におじいちゃんおばあちゃん、家で楽しくお留守番♪ 子供だけ、年寄りだけで過ごすより遙かに安全であるし、親では伝えられない、年寄りならではの孫達に伝えるべきお話や心があるだろう。

 社会のベクトルが核家族に振れ、子供も孤独、年寄りも孤独になった挙げ句、託児や介護の社会保障費は無限大に膨らみ、国家財政を圧迫。このままだと日本は保たないことは、専門家でなくても容易に推測できる。


 核家族化に振れたには様々な原因があるが、昭和40年代後半からしきりと垂れ流された嫁いびりの昼ドラ番組なども大きく影響した。夏休み明けに小学校の担任の先生が、
「夏休みはどこに行きましたか?」
 などと聞いたのも、夏休みにどこかに旅行に行かないと非国民になる的な圧力となった。特に地方の田舎などは、家でおじいちゃんおばあちゃんと楽しく過ごした夏休みもあったはずだ。

 このような社会風潮の中でも、お盆には親戚一同集まり、お互いの無事を確認、困りごとがあればそれを相談する等の普通のことをしてきた、時代に流されなかった一族もあり、当然のことながらそれらは堅実に繁栄している。

 核家族化に向いたベクトルを大家族に振ることも、日本再生に向けた重要政策のひとつのはずだが、今現在の霞ヶ関や永田町はそれに気がついているだろうか・・・

   ROWAN文芸部

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文芸部goo初投稿

2023年05月27日 22時53分57秒 | ROWAN文芸部

 gooブログ、ROWAN文芸部からの初投稿でございます。

 5月3日に、オフィシャルTwitterにツイートした小話でございます。

 古い話になる。東大の理1に進学した友人Aと、東京神田の書店街に行くためにJR御茶ノ水駅前、明治大学方面の交差点で信号待ちをしていた時のことだった。たくさんの通行人がいる中、突然、風采の良い大学生位の女から、
「あなたの幸運と健康を祈らせてください」
 と、声をかけられた。
「いいです!私はもう十分に健康です」
 と、私が返答したら、その若い女が、
「バチが当たりますよ」
 などと言う。私は、
「もうとっくにバチは当たってます」
 と答えた。しかし、その女のしつこいのなんのって、信号が青になって交差点を渡りはじめても、何か申しながらついてくる。信号を渡り終えたところで、友人Aが、なにを血迷ったのか、
「ええ、幸運と健康を祈って下さい」
 と、おごそかにその女に言った。祈ってなんかもらわないほうが良いのにね!と私は内心思った。そして、その女が、祈りのための手かざしであろうか、友人Aの額の付近に手のひらを伸ばそうとしたら、友人Aもサッと手を伸ばし、その女の手のひらに自分の手をペタッと重ね合わせた!ビックリしたその女は手を引っ込めたが、すぐに気を取り直し、再び友人Aの額に手のひらをかざそうとする。そしたら、友人Aはまたもや女の手のひらにペタッと自分の手のひらを合わせた。何度やってもその繰り返し♪
「プーッ、ガハハハーッ!」
 と、吹き出して笑いそうになるのを私は必死にこらえた。
「ノーベルお笑い賞」
 とも思った。
 その女はどう思ったか知らないが、プイッと立ち去ってしまった。
 その後、明治大学の前を通り書店街に行き、友人Aは高分子に関する本、私はベン・ハーの原書、洋書を買った。まだ、スマホどころかガラケーすら普及してなくて、もちろんインターネットもなくて、情報や知識を得るには本屋さんが頼りの時代だった。

 私たちは愉快な仲間がいて良かったが、大多数は、地方から東京の大学に進学し、右も左も分からない、警戒心もない、孤独になって友達や恋人が欲しい・・・、そのような状況のところをカルトに勧誘され入信し、いったい何のために大学など行ったのか?行った意味がない・・・。 この1~2年後か、オウムの地下鉄サリン事件が発生した。信教の自由等を盾に、悪いことを悪い!と、言えなくさせられてた時代背景があった。今も大して変わらない。
 
 
そういえば今日は5月3日。憲法記念日だ♪日本人が作った憲法ではなく、敗戦し、マッカーサーが作った憲法で、正確に言うと、今日はマッカーサー記念日である。
 せいぜい、友達と仲良くしましょう、困った人を助けましょう、夫婦仲良くしましょう、温かい家庭を築きましょう・・・位は、学校の教室に張り出しておかないと、この国の崩壊は止まらない。

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