るぅあんのブログ”晴れが好き!”

店情報『aboutRouen』に続く、日々の雑感をつづっています。スウイーツの情報などの交流の場にしたいと思っています。

「参院選までは、安全運転で行く」の先は?

2012年12月30日 | 日記


26日以前から、もう組閣の情報が流れていく。
つくづく、この国は大企業と組織票を持つ団体のもの、
株価が上がることが何よりも大事と考えるお金持ちの人たちのもの
ということが、分かった。

自民を飛び出し、何かやってくれるかと期待した民主党は、
「やらせてみたが、やっぱり党内で空中分解、自爆解散だしちゃったね。」と片付けられ
卒原発、反増税、反TPPを掲げた庶民の味方、未来の党は
「だから、ポピュリズムはダメなんだ。」と決めつけられてしまった。

衆院選で自民が圧勝したその日に、敏感な市場は瞬く間に円安になり、株高になった。
だが、これで中小、零細企業は救われるのか?
輸出関連企業だけは一息つけるかもしれない。
しかし、「給料が上がれば、景気は上昇する」という説、どこの世界の話かと思う。

民主だろうが、自民が返り咲こうが、
町の小さな店には、何の変化もない。相変わらずパッとしないままだ。
車社会になり、町を人が歩かなくなった頃に、もうとっくに取り残されている。

前からそうではないかと思ってきたが、個人の物事は政治では動かない。
動くのは、お金持ちの「個人問題」だけだ。
貧しい庶民は、曾野綾子氏が言うように、
個人各々が、政府など当てにせず、
自分の出来ることをせっせせっせとやるしかないのだろう。

パティシェは言う。
政治家は官僚の天下り問題、公務員の定数を減らす等の案は、
積極的とは言えなくとも、手をつける。
しかし、自分の身を切る『議員定数の削減』や『一票の格差』は、結局棚上げ。

立法府が、かくの如き「我が身大事」の、支持者の顔色ばかりを見ている者の集団ならば、
そして今回、圧倒的多数を占めた政党は、自分の思う通りの政治を行うことははっきりしており、
それは可能だ。

しかし、民主党の失敗に学んだ、「希望を政策にしない」政治とやらに期待しよう。
お手並み拝見、と。

話は変わるが、内部被爆をしているかもしれないと言った友の母上様の話。、
友と自分とのやり取りを、「そんな恐い話、おやめなさい」とおっしゃった。
自分たちの手の届かないところで進んでいる政治や、領土問題。果てはエネルギー問題まで、
「昔から私ども(庶民)が何か言って、変わることなどなかったですよ。」と、言葉少なに語る。
これがかの戦争を切り抜けてきた、82歳の母上様のご意見だ。

頭脳明晰でそつのない夫が残していってくれた、老人施設での生活。
自分の子も孫もひ孫も、自分のそばにいてくれる。
これ以上何を望もうというのか。

実際、自分の去ったあと、子や孫やひ孫の未来に何があっても
過去の自分がそうだったように、なるようにしかならない。

そういう母上様は、子と孫に促され、施設の送り迎えまでされたので、
衆院選の一票を投じた。
誰に、どの党に入れたのか、自分は知らない。お聞きする勇気(?)もなかった。

とりあえず、復興と経済対策を急がなければならないのは、確かだ。
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泣いた。パティシェも泣いた。映画『フリーダム・ライターズ』

2012年12月28日 | 日記


2007年のアメリカ映画。主演の女優。どこかで見たと思った。
ヒラリー・スワンク。『ミリオンダラー・ベイビー』のあのボクサー役だった。
実話に基づいて制作されたというこの映画。
スワンクは主演ばかりでなく、製作・総指揮もしている。

一口で言ってしまえば、熱血女性教師の話。
1994年、カリフォルニア・ロスアンゼルス。
ロス暴動直後のロスアンゼルス郊外のロングビーチにあるウィルソン高校203教室。
ある日、真珠のネックレスをした白人の国語教師が赴任してくる。。

203教室には、様々な人種の生徒たちが通ってくる。
問題行動が多く、基本的な学習能力さえない生徒たち。
その生徒たちの間には、人種間の対立が激化しており、
何かといえば空しい争いと衝突を繰り返している。

衝撃的なのは、生徒1人1人が、
周囲も自分自身も、暴力や殺人の危険に常にさらされて生きているということ。
その現実を、教師エリンが初めて目の当たりにするシーン。
生徒たちを二つのグループに分けて、中心に線を引いて行うゲームの場面が下だ。



このゲームをきっかけに、現実に打ちのめされ、未来を諦め、ただ教室に通ってくる生徒に、、
『自分を変える』何かをつかみ取らせたいと、エリンは決心する。

近頃涙もろくなったパティシェだが、偶然同じテレビを見ていた。
どこに感動しましたか?と聞くと、
居るんだか居ないのか分からないぐらい、大人しい少年がいた。
1年生から一緒のクラスメートに、2年になっても名前も思い出してもらえない少年。
その少年が、先生に渡された『ノート』に書いた、「自分の今の思い」を読む場面だそうだ。
この教室こそが、自分の居場所だという所から、とおっしゃった。

熱血教師は、生徒に入れ込み過ぎて、あちこちで摩擦を起こす。
家庭内で、学校の同僚教師との間で、教育委員会とも。
この成り行きは、当たり前といえば当たり前の展開。

生徒に「教材」を与えるために、女性教師は、2つもアルバイトをかけもちをする。
このため、家にいる時間が少なくなって、結婚生活が破綻する。
「自分が、離婚するなんて!」と落ち込む。

パティシェに対して自分が泣かされたのは、この離婚した娘を父親が奮い立たせる場面だ。
神が、お前に重荷を与えたんだ。そんな娘を持った自分を誇りに思うよ。
こんなことを本気で言わせるお前にね。」

教師が教科書に選んだのは『アンネの日記』。
そこで、生徒たちは
ホロコーストを知る。
人種差別が生んだ、冷酷な過去の出来事に戦慄する。本気で怒りを覚える。
生徒の日常にもあった、人種間対立の最悪の極限。

教師は、生徒を「旅」に連れ出す。
旅費は、教師持ちだ。
ホロコースト博物館の見学、
そしてそのホロコーストから生還した人たちの体験を聞く、ホテルの場面。

生徒たちの学びの高まりは、ついにはアンネ一家を匿い、現在も存命中とわかった女性を、
ドイツから招き、講演会を企画するところまで行く。
この女性の飛行機代や滞在費を捻出するために、チャリティパーティを企画するのも生徒たちだ。

クラスの中でも、もっともエリンに懐疑的で人種偏見の強かった少年が、
この女性をエスコートするシーンは、
どんな感情表現も超える場面だ。

『フリーダム・ライターズ』は、生徒たちの学びの集大成「作文集」につけたタイトル。
この映画の原作でもある。
その後、このタイトルは教師の意志を受け継いだ生徒とともに設立した
『フリーダム・ライターズ基金』につながっていく。

久々に感動した映画だった。
この映画を生んだアメリカという国はやはり、
結果が出ていなくとも、もう一度オバマ政権を選び直す国だった。
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「安倍政権に望む」から、太陽電池市場の行く手まで。

2012年12月22日 | 日記


昨日の読売新聞の、「安倍政権に望む」(北岡伸一 政策研究大学院大学教授)の中に
どうしても気になる部分があった。

「反原発・反増税」を掲げた日本未来の党を、究極のポピュリズムだとして、
国民の健全な判断によって惨敗したとしている部分。
(何か未来の党に対して、特別な感情があるのではと勘ぐってしまった。
惨敗の理由は、ポピュリズムなんかではなく他にあると思うから)

もう一つは、
具体的な方法論を示さずに「2030年代に原発ゼロ」と言うような政党は信頼できない
と述べている部分。(この政党は、民主党を指しているのだと思う)

なぜなら、2030年代を目指してメガソーラーをはじめ、
あちこちで再生可能エネルギーへの研究開発・商業化が、
すでに動き始めているからだ。

今年7月1日から、固定買い取り制度が導入されるようになったのも、
「2030年原発ゼロ」を打ち出した、民主党の政策ではなかったか?

自民党が何故あんなに圧勝しなければならなかったかも理解できないが、
未来の党や民主党があんなに惨敗するのも、納得できない。
それは、北岡氏によれば、「小選挙区比例代表並立制」のなせる技だとの指摘だ。
だから、定数3、計150選挙区のような中選挙区制が良いという提案、
これは「なるほど」と思った。

反原発でも卒原発でも原発ゼロでもどれでも良いのだが、
原発の究極の問題点は、日本が地震帯の上に載っている国だという点と、
使用済み核燃料をどうするのだという点だと思う。

これは原発が導入されてから60年たった今でも解決できていない難題だし、
~年までに解決すると約束できることでもない。
放射能はまだ「神の領域」にあり、また研究途上の制御不能の『凶器』であって、
政策等で安全が保障されるものではないのだ。

再稼働は、これ以上使用済み核燃料を増やすことだし、
新設にいたっては、福島の事故をめぐってのこれまで議論が
何のために行われてきたかということになる。

福島の事故を経験した日本は、
「廃炉」に向けての研究・開発・技術でフロントランナーになるべきで、
それと、再生可能エネルギーの分野で、
例えば、最近「低水力発電」も伸びてきているが、
世界6位の排他的水域を持つ立地を生かした洋上風力発電の商用化で、経済の活性化を図る
この方向に向かう方が、「賢明なエネルギー対策」への道だと思うようになったからだ。

ところでわが家の太陽光発電、
冬至の翌日の今日、午前は雪などちらつく天気で全体的に曇り。
9時から10時の間にやっと0.1kW発電したきり、沈黙している。
厚い雲のある日はまったく発電しないし、パネルに雪が載っていた9日と10日は
たとえ空が晴れても、0kWだった。

わが家の太陽光発電システムは、10年なんかでは「元手」を取り返せないだろう。
確かにパネル自体の保障期間は10年だが、
世のトラブル・故障の大半は10年以内に発生しており、
故障箇所はパネル以外の部分に原因があり、
その修理は、ほとんどが有料の対象
になっているからだ。

「これまでに比して、一ヶ月の電気料が安くなった」ぐらいに考える方が、
精神的にも安定していられる。

福岡のパネル業者が倒産したそうだ。
世界の太陽電池市場は30GWに対して、生産能力の方は50GWもある。
この供給過剰。そして価格競争が激しく、利幅が薄いという悩み。
一方に、太陽電池には技術革新の可能性が残っているが、
将来性は狭まった感じがしている。
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夏目漱石『坊ちゃん』を、赤シャツの立場から観て。

2012年12月19日 | 日記


名作も、立場が違うと見方も解釈もこんなに違う。
今日は、2ヶ月に1度の演劇の会の例会。
青年座の『赤シャツ』を見た。

最後のカーテンコールは、スタンディングオーベーションだった。
自分といえば、なんだか形容しがたい感覚にとらわれて、ぼぉーっと座っていた。
泣いていたかもしれない。

帝大卒の文学士、教頭として前途洋々のエリート。
しかし狡猾で厭味なヤツ
として描かれた漱石の「赤シャツ」
このイメージしかなかった自分にとって、
この「赤シャツ」の側から描くという手法は、新鮮と言うよりも、突飛な感じを受けた。

しかし・・・

徴兵される前に、兵役免除地域の北海道に住民票を移し、
まんまと『兵役免除』された。
上手くやったと思い、戦争で殺されなくて済んだと思ってきたが、
ある日、変化が訪れる。

なじみの芸者の兄の戦死。
自分の家で長い間自分らの世話をしてしてきたお手伝い『ウシ』の兄の戦死。
人間関係に角(かど)を立てるのが、何よりも恐い八方美人の赤シャツが、
この二人を襲った弔事で、他人事で済ましていられなくなる。

いや実は、長い間。後ろめたさに苦しんできたことが明らかにされる。
戦地に行かなかった自分の代わりに死んだかもしれない人々に、
実は負い目を感じていたことを。
妾腹の弟の反抗を通して、また「告発」によって。

部下(ウラナリ)の許嫁(マドンナ)を、横取りした。
そしてその部下を、遠い延岡へ追いやった。
(実際は失恋の痛手から逃れようと、ウラナリ自身が望んだことだった。)
坊ちゃんと山嵐を、親族を使って喧嘩に巻き込み、
知己のいる新聞社に、事実関係を歪曲した記事を書かせた。
(実際は、弟のいたずらとそれを利用した記者の悪意によるものだった。)

これらの誤解が誤解を、事件が事件をよんで、
それまでの当世流円滑紳士『赤シャツ』の日常は一変する。
『赤シャツ』はただ、人と争うのが何よりも苦手だったに過ぎないのに。

あんなに一方的にのぼせ上がって言い寄っていたマドンナは、
自分よりも将来性のある男との見合い話に、ころりと鞍替えする。
マドンナの自分勝手さ、打算的なところは最初から見破っていたはずが、
誤解と事件にずたずたにされた『赤シャツ』にとっては、最後のとどめになる。

赤シャツほど優秀ではなくとも、人は皆、
「坊ちゃん」のような痛快な生き方に惹かれながらも
自分の能力や環境、世間と折り合いをつけ、
精一杯、自分なりのやり方で人生に立ち向かっている。

しかし思いもよらない誤解や事件に巻き込まれたら?
戦争を、誰かが始めてしまったら?
すべてが自分の意図したこととは違う方向に動き出したら?

会報の本劇解説の最後にあったように、
『赤シャツ』は今の自分や、あなたなのかもしれない。

漱石自身も、「『赤シャツ』のモデルは自分かもしれない」と言っていたのを
何かで読んだことがある。
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軽減税率も、官僚の天下り先になる!お前もか・・・

2012年12月17日 | 日記


自民党の歴史的圧勝に、
「その自民党を選んだ日本人」が嫌になって、
ふてくされた気分に落ち込み、しばらく口を利けないほどだった。

だが、官僚政治は相変わらず続くだろうし、
民主政権よりも、強気だけで虚弱体質の安倍総理への「管理」はもっと強くなろうから、
分かりやすいと言えば、分かりやすいのかもしれない。

このような結果を招いたら、
大橋巨泉氏は、日本人を見放すと書いていたが、
本当に見放されることになってしまった。

その官僚政治。嘘のような話を見つけた。
こんなところにも、天下り先を見つけるのか・・・
復興予算が、復興とは何の関係もないところに使われていたこと。
実は官僚の仕業だったことに、世間が大騒ぎし激怒したばかりだというのに。

誰も喜ばない消費増税。
しかし、低所得者への配慮・対策として、
「食料品などには『軽減税率』を適用するので、問題ない」

ということではなかったか?

それなのに、悪魔はやはり細部に宿っていた。
「食料品など」の「など」に、つけ込む『隙(すき)』を見出していた。

外食業界などが、この「~など」のなかに、自分の企業も認めてくださいと、
これから財務省へ陳情を始めるのだそうだ。

すると、財務省はどうするか。
認めてあげる見返りに、自分たちの天下りポストを用意するよう要求する、
という。

ある人のコラムによると、
外食業界は、消費税が10%になると、
業界全体で、6千億円分の損失を蒙ることになる。

しかし、天下りポストを差し出して、軽減税率が認められれば、
仮に数十人引き受けたとしても、1人当たり年間1億円(!)用意すればよいのだから、
6千億円に較べたら、問題にならない負担だ

というのだ。

庶民の懐から、あまねく薄く徴集しておいて、
問題にならない負担とは、一体どれだけ外食産業は儲けていらっしゃるのだろう?
(確かに千分の数十という割合で考えれば、そうかもしれないが・・・)
「年間1人一億円が問題にならない」とは、一体どういく金銭感覚なのだろうか。

また同コラムでは、読売新聞社のことも載っている。
読売新聞社では、
2010年7月まで財務省事務次官の地位にあった丹呉泰健というお人を、
同年11月に、『社外監査役』として受け入れているそうだ。

ヨーロッパなどの消費税率が高い国では、食料品や医薬品に始まり、
新聞なども税率が低く抑えられていたりする。
それで、新聞各社やテレビが、日本でも同じようにこの税率が適用されるようになればと考え、
陳情に動き出すだろう事は、当然といえばあまりにも当然の成り行き。

そう考えると、大手新聞社やテレビ業界が
「消費増税やむなし」と大々的に、執拗に宣伝流布に努めていた理由がはっきりする。


もっとも、新聞やテレビに関しては
「マスゴミ」と揶揄され、現在でも特に若い層での売り上げが落ち込んで来ている。
読者の活字離れなどと指摘されるが、実はネット社会になればこその自然な成り行き。

消費増税がなくとも、今後はどんどん新聞やテレビを見ない人が増えていくだろう。
ゆえに、スポンサーはネットに広告の効果を見出して、そちらに流れて行く。
結果、今までの新聞・テレビの業界は収入は減る。

本当に庶民の側にたった報道をせずに、政府の尻馬に乗って消費増税を煽っても、
ツケは所詮自分たちが払うことになる。

自分はしばしば、図書館のお世話になるが、
いつ利用しても、必ず各新聞社の綴りに目を通している年配者が、数人いる。
この現象は、新聞代が値上がりするたびに顕著になってきたように思っている。

ところで最近、電話と高速ネットのセットで、
「今お使いの月使用量よりも断然お安くなります!」との勧誘電話が
断っても断ってもかかってくる。

通信会社の尋常でない「本気」を感じる。
それでつい、この本気の通信大手企業は、
ネット社会を実現させるために、一体どのぐらいの天下りポストを用意したのかと、勘ぐってしまう。
いやな世の中になったものだと思う。
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