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七夕の花にみる日本の伝統文化・いけばな(概要)

2007-08-10 11:28:01 | Weblog
TOSSランド>教師ランド>教科外>伝統文化>小学校4年

作成者:TOSS大阪みおつくし 田村ちず子

tamura@toss-mio.com
七夕の花にみる日本の伝統文化・いけばな 指導案


年中行事といけばな 一月一日は「お正月」、三月三日は「ひなまつり」、五月五日は「こどもの」、七月七は「七夕」、九月九日は「重陽」と、年中行事である「節供」が生活の中に息づいている。明治6年、「五節供」廃止後も、多くの行事の担い手は、子どもに移って伝承されている。
「節供」は古来から稲作を中心とした生活の歴史の中で、神を迎え祭る日本人の伝統的な年中行事であった。
 神への供華として、四季々の花を手向け「時の花」を育んできた。中でも、「七夕」の花は特別であった。

「いけばな」は、「節供」の中で誕生し、五行思想を花態の中に盛り込み発展してきた。それぞれの節供の花には名前があり、さまざまな華道の流派を通して季節を愛でる「伝統文化」として現在に伝えられている。
 しかし、現在、「お稽古事」として、子どもたちが「いけばな」に触れる機会は少ない。だから、それぞれの行事のいけばなに込められた思いに触れることもまた少ない。これらは、生活様式の変化が大きな要因と考えられる。まずは、行事花の授業を通して日本の伝統文化「いけばな」と出会わせたい。
 一瓶の「花態」の中に、古い時代から伝えられてきた日本人の供華の心、願いの心があることを伝えたい。
 
 今回は、「七夕の花」を取り上げる。「七夕」に宮中に届けられていた「七夕花扇」、七夕会の池坊立花を一般の民衆が見に行くなど、「七夕の花」は日本の風土の中で生まれた。
 七夕の祝儀花、「七夕對船」は、「織姫と彦星」の七夕伝説が入った花態だ。五色の糸(願いの糸)をかけ、織姫星と牽牛星に手向け、「七夕」を祝う花である。

 七夕に二星が会うためには、船がなければならないとする古き歌人たちの歌もある。(万葉集の歌 織女し 船乗りすらし 真澄鏡 きよき月夜に 雲起ちわたる   大伴宿禰家持)
 織女を乗せ天の川をわたる妻迎え船、牽牛が織女を対岸に送っていく妻送り船等、中国の「かささぎの橋をわたる」織姫ではなく、船で渡る日本風の七夕伝説を作り出した。
 船を花器に用いる「七夕對船」は、江戸時代、日本の民族性と自然が生み出した伝統のいけばなである。

総合 伝統文化・いけばなに関する授業計画 「伝統行事の花」7時間

ねらい 神仏への供華のから室町時代に花開いたいけばなの担い手は、僧侶や専門家であった。江戸時代に一般民衆にも広がり、行事の花がいけられるようになった。江戸時代に制定された五節供(節句)は明治6年に廃止された。しかし、重陽の節句を除いて祭りの担い手が子どもに移り、五節句廃止後も庶民の生活の中で発展し、伝統行事の花も伝承されてきた。次の行事花を授業で取り上げ、行事花に込められた日本人の心(季節ごとに、邪気を払い人々の幸せを願う)に触れさせたい。

①、端午の節句の花(5月 子どもの日 菖蒲、蓬、花菖蒲の花 )
  男子のたくましい成長を願う花、長く伸びる菖蒲の葉と蓬をいける端午の節句の花。
端午の端は「はじめ」の意、中国では5月最初の午の日を厄日として、厄払いに蘭湯に浴し、厄除けの薬草を用いて邪気を払った。聖徳太子は5月、薬草を狩る競技を行っている。今でも香のある菖蒲湯に入る習慣が残っている。

②、七夕の花(7月 七夕 秋の七草のから数種 木物 )・・・本時

③、重陽の花(9月 菊)
  「菊の五色いけ」で長寿を祝う。「白・黄・赤の菊の花と青色は葉、黒は水」で五色とする。齢草の異名をもつ菊は、長寿を祝う花として平安時代から人々に愛されてきた。中国の故事、重陽(9月9日)に置く露は菊酒を飲んで長寿を祝う慣わしが日本でも行われた。

④、元旦の花(12月 若松、水引)
  千歳の寿を現す松で新しい年を祝う。特に若松を使った七五三 注連の伝(しちごさん しめのでん)は、年頭を祝う伝統花である。7本の若松の枝で七、五胎を現す腹籠りの枝(次の命がお腹の中で生まれている)の五、体、用、留の枝とそれぞれの添え枝を加え陰陽三箇所の三で七五三という。体・用・留の枝は「天・人・地」の三才を表す。天は万物を動かす才、地は万物を生成する才、天と地の恵を受けて成長する人は考える才を持つ。若松は三才格にいけて金銀の水引7本を足元にかける。
   また、古くから、御神体とした巨木、巨岩に注連縄を張ったり、天皇と一般の狩場の区別に縄を張ったりしてきた。今でも、新築の工事の土地に注連縄を張る。正月を迎える神社や家の入り口に注連縄を張っている。その注連縄の子の藁を七・五・三に垂らす。

⑤、成人の日の花(1月 枝若松 千両 二分の一成人式の一環として)
  社会人としての門出の日。これからの将来を祝い励ます祝福の花を枝若松や千両等、おめでたい花を使っていける。1月15日、元服を祝う名残として、10歳になる子たちを
  2分の1成人式で祝う地方もある。本校でも4年生が2分の1成人式をして、自分の将来を語る日にしている。

⑥、節分の花(2月 節分 榊と梅) 神の木、榊と三冠の花、梅で新しい年の幸福を祝う。
  節分とは、春夏秋冬、1年を四季に区切る日で、本来は年に4回あったが、現在は立春の前日のみの行事が行われている。暦の上では立春からは新しい年の初めである。柊の枝にいわしの頭を刺し戸口に立て、豆まきをして邪気を払い、幸福を願う行事は今でも
盛んである。

⑦、桃の節句の花(3月 ひなまつり 上巳の花 桃 菜の花、チューリップ)
  今では女児の成長と幸福を願う日になっている。3月3日の前から、「雛祭り」の歌が流れ、女子がいる家庭で桃の花を飾り、お祝いをしている。桃は、中国では邪気を払う木として厄払いに使われてきた。また、厄払いの形代としての雛が雛人形として飾られるようになった。
  
1、儀式における供華 日本では、古くから宮中の行事に併せて神前や仏前に花を供え、それぞれの神をまつってきた。時代を経るにつれて、供華の風習は形を変えながら民衆の中に根付いてきた。室町時代には、花を立てることを専門とするものも出てきた。宮中や、将軍の前でしばしば花を立ててきた。また、道を究めた者に「阿弥」の称号が与えられ、いけばなへと発展してきた。

2、七夕の起源日本には、古くから「棚機津女」という7月6日から7日に関する信仰があった。
「棚機津女」は、は、水辺の機屋に、乙女がこもって、棚に機で織った衣服を供え、神を迎えて祭り、神を送る日には神に託して人々のけがれを祓う行事であった。これに、中国から伝わった「牽牛星と織姫星」の伝説、「乞巧奠(きこうでん)」(旗織りや裁縫の上達を願う)の儀式があわさったものが七夕だといわれている。
 
3、七夕と花
 飛鳥時代から儀式に季節の花を供えていた。奈良時代から行われてきた七夕行事「乞巧奠」にも花を供えている。平安の時代には「なでしこあわせ」といって花あわせをしていたが、まだ花よりも唐物の花器の美しさを競った。室町期に入り、七夕法楽として将軍家や公家の間で花合せがさかんに催され、華道が成立する中で、節供(節句)の花が生けられるようになってきた。「七夕」の花もその一つである。桃の節句、端午の節句(花しょうぶ)、菊の節句と、季節の移り変わりを祝う節句の行事は花と深くかかわっている。なかでも七夕には、牽牛・織女へ花を供え、技芸の上達を願うことから、いけばなの発展につながったともいわれている。 
 このころの七夕の花は、仙翁花、ききょうが主であった。しかし、平安時代の七夕の花は「なでしこ」であった。 江戸期に入り、七夕が五節供(句)の行事として庶民の生活に入っていき、家々に笹竹に飾る七夕飾りが行われるようになった。また、長い江戸期には諸流派が成立し、それぞれの流派が「七夕の花」を生け、庶民の生活の中にも「いけばな」が入ってきた。このころから、山上憶良が詠んだ「萩の花、尾花、くず花、なでしこの花、女郎花、また藤袴、あさがおの花」の秋の七草が花材になり七種いけや五種いけがされた。
 
 明治になって五節供(句)が廃止された後も、各地で七夕行事は続けられ、年中行事化した生け花は、子女のたしなみとしてその後も広く普及した。いわゆる床の間の花である。花伝書も多く出版され、「七夕の花」も現代に伝承されてきた。住宅の変化で、七夕の花も床の間の花からテーブルや玄関を飾る花になりつつある。しかし、行事ごとに季節の花を愛でる日本人のこころは受け継がれている。


参考文献  仙傳抄(富阿弥 思文閣) 挿花百練(未生斎一甫 思文閣) 華道古典名作選集  節句の古典(桜井満著 雄山閣)  図録・いけばなの流れ(華道家元池坊総務所 日本華道社)  祝祭行事の花、寄せ筒のいけ方 (楠一石 桐華社)  嵯峨御流伝書1・5巻(嵯峨御流華道総司所)  伝統をいける(嵯峨御華道総司所)  名所江戸百景(集英社)  日本の年中行事百科(岩井宏實 河出書房新社)  日本大歳時記(講談社)  行事の花ばな(中村俊子 保育社)  京の五節句(京都文化博物館)  五節供考(松伯華道文庫)   生花早満奈飛(南里亭其楽 /暁鐘成 蒼原社)   五節供の楽しみ(冷泉為人 淡交社)  七夕の紙衣と人形(石沢誠司 ナカニシヤ出版)  花籠と花入れ(木下桂風 思文閣)  たなばたものがたり(舟崎勝彦二 教育画劇)  荊楚歳時記(守屋美都雄訳 平凡社)

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