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六川亨のフットボール覚書

フットボールジャーナリスト、六川亨がディープなサッカーファンに贈る、取材の裏側、覚えておきたい話など

W杯共催と宮沢氏の思い出

2007年07月04日 12時01分36秒 | Weblog
 元首相の宮沢喜一氏が、6月28日に老衰のため死去された。個人的な付き合いはもちろんないが、同氏はW杯招致国会議員連盟の会長として日本のサッカー界に尽力された恩人でもある。
 
 忘れもしない96年5月下旬。スイス・チューリヒでのFIFA本部で02年に開催されるW杯の開催地が決定された。日本か韓国か。「共同開催はFIFAの規約にない」というアベランジェ会長の言葉に従い、長沼健会長(現日本協会最高顧問)をはじめとする関係者は6年間に及ぶ招致活動のゴールを目指していた(招致活動のスタートは、90年イタリアW杯のプレスセンターで、村田専務理事や中野事務局長が、02年W杯の招致をPRするパンフレットを配ったのが最初だったと記憶している。村田氏や中野氏はIDがないためプレスセンターに入れないので、代わりに日本人記者が海外のプレスにパンフレットを配ったのだった)。
 
 96年当時、現地チューリヒで取材していた僕は、記者仲間とお互いに仕入れた情報を交換しながら、ブレーンストーミングで日韓のどちらが有利な状況か、事あるごとに話し合ったものだ。FIFA本部の近くにあるドルダーグランドホテルのバーで、FIFA理事の誰と誰が密会していた。事務局長のブラッター(写真/現FIFA会長)がある理事と密談したようだ。票の取りまとめをしていたのではないだろうか……などなど。噂の域に過ぎないものも多かったが、とにかく情報が錯綜していた。
 
 開催国の決定は、本来なら6月1日。理事の投票によって決定される。その3日前の深夜、宮沢氏と衛藤征士郎・議員連盟事務局長(現衆議院議員)らがチューリヒ入りした。翌5月30日には、日本の招致委がベースキャンプにしているカールトン・エリートホテルで記者会見が開催された。日本の招致活動をサポートしてきた、サー・ボビー・チャールトン氏が「いよいよ残り2日。今日を入れて3日だが、今日オープンした日本のメディア・ハウスには、海外からのメディアも大勢取材に来ていただいている。遠慮なく、答えられる質問にはきっちりと答えたい」と挨拶すると、続いて岡野俊一郎・招致委実行委員長、衛藤氏、釜本邦茂・議員連盟常任幹事(現日本協会副会長)らが挨拶や質疑応答に答えていた。

 衛藤氏は「現地での手応えでは、(招致活動委の)長い間の友好と親善の経過があり、そのバックグラウンドの上に、いい感触をつかんできた。わが国は青少年のサッカーが盛んで、開催を希望する自治体も条件を揃えている。スポーツは未来の象徴。日本は戦後50年、平和に発展もしてきた。神戸では(震災後)チャリティーマッチもしてくれたし、そのお礼もした。世界の平和のために努力してきたので、是非とも日本で開催してほしい。21世紀に青少年の健全な育成、そのための準備が日本にはある。決定に際してはルールに則り、フェアプレーでベストを尽くす。有終の美は勝利と確信している。確かな手応えもある。議員連盟はFIFAの求める規約と手続きに則り、粛々と頑張ってきた。日本はFIFAと共にある。議員連盟も日本の招致委員会の協力に従ってきた。後は人事を尽くして天命を待ちたい」と挨拶。実は前夜、チューリヒ市内にある有名なビアホール「ツォイクハウスケラー」で、衛藤氏が上機嫌でビールを飲んでいたという情報を入手していた。日本のリードを確信させる情報と思ってもいいのではないか?

 というのも、アベランジェ=FIFAが否定する共同開催という選択肢が、万が一にもあると仮定すれば、それは日本からの提案で、日韓の政治的な決着方法として議員連盟が日本協会に譲歩を迫る可能性を捨てきれなかったからだ。
 
 しかし、衛藤氏の行動から、その可能性は除外していいのではないだろうか、と記者仲間と話し合ったものだ。
 
 その後、岡野氏は、韓国記者からの質問について可能な限り紳士的に対応した。
――共催の可能性について、日本はどう考えているのか。
岡野「W杯の共催はFIFAが決める問題です。今のところ何の連絡もないので、今まで通りに招致を進めるしかない。共催は仮定の問題です」
――共催が可能となった場合はどうするつもりなのか。
岡野「それも仮定の話です。FIFAがどう決めるかですね」

中略

岡野「W杯アメリカ大会の時に、ある大会関係者が大会後に言っていました。「W杯は窓である。窓を通して世界中の人々が米国を見た。そしてまた、サポーターを通して米国民は世界を知った」と。W杯日本開催は、大きな刺激と勉強と、そして仲間作りができると確信しています」(以後略)。

 岡野氏は、挨拶の冒頭で「地元スイスの人も、(これまで曇天が続いていたのに)東から素晴らしい太陽を(日本は)持ってきてくれた、アルプスの山並みも見えて素晴らしい。いま、緊張はあるが心はすっきりしている。大事な決定だが、重要なゲームに臨む前と同じ気持ちでいます。心はすっきりしている」と話し、記者の質問には「私はリアリストではないので願は掛けない」と話していた。

 ところが5月30日夜、事態は急変を告げる。FIFAは、ブラッターを窓口に共催を受け入れるかどうかを日本に打診してきたのだ。

 FIFAの打診を受け入れるかどうか。長沼氏、川淵三郎氏(現日本協会キャプテン)、小倉氏(現日本協会副会長)、釜本氏らによる鳩首会談は紛糾したという。嫌な予感はあった。日本開催のバックボーンであるアベランジェ会長がFIFAにいないという。どうやらローザンヌにあるIOC(国際オリンピック委員会)本部で、サマランチ委員長(当時)と密談しているとの噂が流れた。ブラジル出身のアベランジェ氏、スペイン出身のサマランチ氏、そして当時国際陸連の委員長はイタリア出身で、世界の3大スポーツ界を牛耳る「ラテン・マフィア」と揶揄されたものだ。この後に及んで、アベランジェはサマランチに重要な相談事をしているらしい。もしかしたら、磐石とも見えるアベランジェ体制に綻びが見え始めているのか。

 宮沢氏は、歴代首相で最も英語が堪能な首相として、W杯招致国会議員連盟の会長として白羽の矢を立てられた。同氏は、ブラッターからの電話による共催可能の打診について、まず文書でやりとりをするようアドバイス。そして、紛糾する鳩首会談についても、「この問題は政府がとやかく言う問題ではない。これは純粋にスポーツの大会であって、皆さんが決めるのが正しい。私は皆さんの意見を尊重します」と穏やかに話されたそうだ。
 
 共催になっても、半分は日本で開催できる。釜本氏の「もともとW杯は16チームでやっていたのだから」というアドバイスも、共催を受け入れる準備があると答える日本の後押しとなったのかもしれない。

 本来は6月1日のFIFA理事による投票で決まることになっていた02年の開催国は、前日31日の理事会の冒頭で、アベランジェ会長自らが共催を提案したことで、一日早く決定した。サマランチ会長のアドバイスを受けて、アベランジェ会長が自己保身を図った結果だったようだ。

 共催決定後、5月30日のカールトン・エリートホテルでの韓国記者団の質問も納得できたような気がしたものだ。彼らは、最初から共催となることを知っていたのだろう。それしか韓国がW杯を開催できる可能性もないことを。だからこそ、岡野氏に対して共催に関する質問を立て続けにぶつけてきたのではないか。

 結果はご存知の通り。02年W杯は日韓の共催となり、大成功を収めたと言える。もともと共催は、94年に日韓のどちらかを選択できないピーター・ベラパンAFC事務局長が発案したものだ。その後、AFC会長(当時)だったアーマド・シャーが96年に再び提案する。恐らくベラパンのサジェストがあったと想像される。そして、この共催案を後押ししたのが、95年11月に日韓の施設を視察してレポート提出したシュミット団長(ドイツ)率いるインスペクション・チームの報告書だろう。

 そのレポートはFIFAの理事会に提出され、開催国の決定に際し、かなり重要な参考資料として活用されている。2010の南アフリカ開催の際にも、インスペクション・チームのレポートが決め手になったとFIFA理事の小倉氏は自身の著書で書いている。そのレポートがどんなものであったのか、最後に紹介しよう。僕自身が入手したのは97年夏。共催決定から1年以上の歳月を要してしまったので、情報としての価値はないと思い、これまで封印してきた。日本での単独開催を信じ、希望し、取材活動をしながら共催の可能性を考えなかった僕自身への、戒めの文章でもあると思っている。

 このレポートは、立候補国である両国での滞在・視察に関する全体観を示すものである。6月1日の決定に対する参考資料として。FIFAエグゼクティブ委員会で使われるだろう。

注/32ページ

 最終的に、以下の注意事項が添加される。

 過去数年に渡って視察を行ってきた者すべてが、両国の信じがたいほど過熱した勧誘合戦を指摘している。よって、6月1日に“敗北する”国に関しての懸念がある。その代表者たちは極めて危機的な状況に陥るだろうし、その国自体のサッカーの将来にも影響を及ぼす恐れがある。視察団は過去にこれほど二つの立候補国が、まったく均等の実力を持っているというパターンも記憶になかった。

 これによって、共催というオプションを真剣に考える――両国が地理的に近いというのも合理的――という結論に至った。さらには“アジアの顔として敗れる”という、日韓が最も恐れる事項からも逃れることができるだろう。共催が妥当、または2国の政治的(またはスポーツの政治的)協力が、このプランを許すかどうかを調査する必要がある。

 状況がどんなものであろうと、我々は今回のような膨大なコストとダメージを導き、浪費に奔走する招致合戦を、二度とフットボール・ファミリーの(特に同大陸間での)間で繰り返さないためにも、FIFAに適切な行動を強いるつもりだ。

 それ(1協会に決定すること)は、当事国にとっても、FIFAにとっても、強いてはフットボールそれ自体にとっても良いものではない。




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