六川亨のフットボール覚書

フットボールジャーナリスト、六川亨がディープなサッカーファンに贈る、取材の裏側、覚えておきたい話など

アジア大会総括1 オシムをどう評価するか

2007年08月07日 13時02分39秒 | Weblog
 07年アジア杯3位決定戦から10日あまり。現地ハノイ滞在中に読み始めたオシム監督著の「日本人よ!」をようやく読み終えた(同時進行でミステリの「サイゴンの悪夢」をハノイで読み始めつつ、第1から全巻読んでいるグイン・サーガの外伝「鏡の国の戦士」が帰国後に発行されたため、こちらにも浮気してしまった)。

「日本人よ!」では、オシム監督が就任当時から、1年後のハノイでも言い続けていた「日本サッカー」の「日本人化」と、彼にとっての課題は10年南アフリカW杯の出場権獲得であること、そのためには選手の若返りが必要なこと、そして中村俊や高原ら海外組をシーズン中は招集しないほうが両者にとってメリットがあることなどが改めて語られていた。

 すでにライブドアに書いたブログでも紹介したように、オシム監督の基本はブレていない。多少は饒舌になった印象もある。もしかしたら、それはメディアとの距離を縮めようとしたかもしれないし、通訳とのコミュニケーションの重要性を認識したからかもしれない(多分、後者だろう)。いずれにせよ、ハノイでは、これまで繰り返し述べてきた自身の哲学を変えることなく、「日本サッカー」の「日本人化」に全力を傾けていた。酷暑の中でも練習を休むことは無く(写真のミ・ディン・スタジアムの隣が練習場に当てられていた)、それはインドネシアに移動しても続いた。

 大会である以上、勝利にこだわるのは監督・選手として当然のことだろう。と同時に、今大会を絶好のキャンプとして、選手間の意思疎通、とりわけ海外組と国内組みの融合に利用したのがオシム監督の狙いだったようだ。前任のジーコ監督は、徹底したリアリストだったと思う。いつも結果(勝利)を求める姿勢は、時としてロスタイムの決勝点や相手自殺点という奇跡的なゴールとなって、日本をW杯へと導いた。選手や監督には「運」も必要なのだろう。

 そして、その対極にあるのがオシム監督のような気がする。アジア杯では結果と内容と日本サッカーの将来という3兎を追ったのではないか(伊野波や水野の招集を考えると、これから始まる五輪予選における主力選手の経験アップという4兎を追ったのかもしれない)。オプティミスト(楽観論者)でもペシミスト(悲観論者)でもない代わり、ロマンチストのような気がする。しかしながら現実は、どの試合も優勢に進めながら、オーストラリア戦では相手の息の根を止めることができず、サウジ戦ではリードを奪えないまま敗れ、韓国戦ではPK戦に沈んだ。オシム監督に、ジーコ監督のような、ほんのちょっとの運があれば流れも変わっていたかもしれない。

 ここらあたり、市原の監督時代のオシム采配を思い出してしまう。内容で圧倒しながら決定機を決めきれず、相手にリードを許す。後半は反撃に転じるものの選手交代が後手に回り、効果を発揮できずに敗れ去るというパターンだ。当時は、市原の選手の質に限界があるのかと思っていた。そこで代表ではどうなるのかと、興味を持って選手交代に注目していた。残念ながら今大会では、羽生や山岸といった市原の選手が起用されたことが多かったので、僕自身、この件については結論を出すに至っていない。ここらあたりも、今後のオシム・ジャパンの楽しみといえよう。

 と言ったところで結論に移ろう。オシム・ジャパンの敗退から10日あまりが過ぎ、新聞紙上では、試合内容で優勢に立ち、パス回しでも圧倒したが、決定力不足が原因で4位に甘んじたという論評が目立った。確かにそれは事実だ。でも、それは、今回のオシム・ジャパンの「過程」を短絡的に評価した結果に過ぎないのではないだろうか。ジーコ・ジャパンと比較したらどうなのか。W杯ベスト16のトルシエ・ジャパンと比較して日本サッカーは進歩しているのか、それとも退歩しているのか。それこそ、歴代ジャパン(過去の日本サッカー)と比較して現在位置の確認をしないと、オシム・ジャパンを正当に評価することはできないと思う(といったところで、これから日産スタジアムにマリノス対バルサ戦を取材に行くので、続きはまた今度。なるべく早く書きます)。



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