6月6日(火) ニューヨーク/2日目自主行動編 自主行動 市民がつくる平和コンサート/ハマーショルド公園
7時30分下船して52番ストリートを通り地下鉄駅「50ST.BWAY」を目指。道路で毛布にくるまって寝ているホームレスがいる。ビルで家畜を飼っているのだろうか、使用した家畜用敷藁をトラックに積み込んで運び出す作業をしている。少し先には大理石屋、建具屋、建材屋が並んでいる、さらに行くと古道具屋、アイリッシュパブ、寿司屋がある。ここもニューヨークである。

下船して観光に出かける

ホームレス

寿司屋の看板
8番街を横切りブロードウェーを右に曲がる。リバティー島とエリス島に行くために「50ST.BWAY」から地下鉄に乗ってバッテリー・パークに向かう。自動販売機で1日乗り放題券「MetroCard」を買うのに20ドル札を入れると受け付けない、窓口に言うと20ドルをくずしてくれ自動販売機で買うように言われる。20ドル札も使えると表示されていたが受け付けないようになっていたのである。
「SOUTHE FERRY」で降り、公園内を歩いてクリントン砦にあるチケット売場で自由の女神見学も含めたリバティー島とエリス島を回る周遊券を買う。乗場に行くとここでもX線による手荷物検査がある。幸いあまり時間もかからず船に乗ることができた。30分程の航行だが船にはトイレも売店もあり土産、飲料水、スナックを売っている。3階建てで最上階は屋根がなく吹きさらし、その分視界は良い。我々は天気も良かったので観光客でいっぱいの最上階に上がって風に吹かれながら景色を楽しむ。
リバティー島に上陸して自由の女神像に登ることにしたが、ここでもかなり待たされたあげくX線検査があり、手荷物は有料ロッカーに預けなければならない。ロッカーは指紋を登録すると空いているロッカーを指定する仕掛け。
博物館になっている台座の部分に入ると自由の女神について博物館のガイドから長い説明がある。他の人は質問に答えたり反応しているので英語が分かっている様子、分からなかったのは我々2人だったようだ。2カ所での説明の後は解放された。博物館には自由の女神像の製造方法の説明や当初の案、建設中の写真等が展示されていた。その中で縮尺モデルから原寸モデルを制作する方法、打出し用の型は興味深かった。展示物の見学が終るとエレベータに乗り展望台に出る。現在は台座のところまでしか登れないがそれでもリバティー島、エリス島、ブルックリンの眺めを楽しめる。

自由の女神/博物館での説明

フランスの制作工房の写真

足の実物大モデル

石膏型から鍛造の形を写し取る

台座からの眺め/マンハッタンが見える

台座の真下

自由の女神像の内部
自由の女神像を降りて周遊フェリーに乗り移民博物館があるエリス島に行く。1895年から1954年まで使用され、その後放置されていた移民局の建物が博物館として生まれかわったものである。
フェリーを降りて直ぐ目の前に立派な博物館が構えている。入口を入ると吹抜けの大空間に不安そうに並んでいる移民の大きな写真と全財産を入れただろうトランク、柳行李等が山積みされた展示が目に入る。アメリカ国民の原点を示す明快な展示である。

エントランスにあった移民が持って来たトランク

少しの荷物と大きな希望を持ってたどり着いた移民の姿

入国審査室

入国審査を待つ移民の写真
1階は移民に関するデータが表を使って分かり易く展示してあった。2階には各国の移民が持ち込んだ衣類、食器、道具等の展示と移民の写真が壁一面に張ってあった。その中に明治時代に移民として来た日本人の写真が数点、展示されていた。
移民が自分の国の文化、生活様式、技術をそのまま持ち込み、人種のるつぼイコール文化、生活様式、技術のるつぼでもあったこと、それらが混ざりあいアメリカが築かれたことに気づかされた

日本人移民の写真
3階ではソビエト時代の囚人に関する特別展が開かれていた。そこでは過酷な労働と待遇が示されていた。戦後、満州で捕虜になった旧日本兵がシベリア等の収容所で従事させられた強制労働と同じであった。ソビエトでは捕虜を囚人と同じ扱いをしたと言うことである。異なるのは囚人には女性もアメリカ人もいたと言うことである。
見学を終えカフェでホットドックとサンドイッチの昼食をとる。注文した時「ン? ハット ドック?」と聞き返される。大勢の観光客と一緒に木陰のベンチでのんびり過ごす。

移民博物館を見学していた生徒

ハットドック
フェリーでブルックリンに渡り、地下鉄1、9号線に乗って「TIMES SQ.42ST.」駅に出て42ストリートを国連本部に向かって歩く。ニューコーク公立図書館前のブライアント・パークでコーヒーを飲む。木立に囲まれ中央に芝生がある、公園全体にベンチや椅子が点在し自由に座って休息できる。チェスをやっている人、パソコンをしている人、読書をする人、昼寝をしている人様々である。

バッテリーパークの自由の男神

地下鉄/ホームと車両の隙間を埋める装置

ニューヨーク州立図書館の隣の公園

移動図書館

チェスを楽しむ人々
移動図書館が開いていたが良いアイデアであると思った。図書館と公園の間に奇麗な公衆トイレがあった。
「市民がつくる平和コンサート」の集合時間に間にように急ぎ足でハマーショルド公園に向かう。国連本部の斜め向かいにある会場には椅子が並べられコンサートの準備が行われていた。妻はピースボートの演し物の一つ祇園太鼓に出演するため準備にとりかかる。
4時30分イベントが開会される。まずギター、ベース、サックス、パーカッションの地元「DEBKE BLUE VIPERS」の演奏、ラテン音楽の「YUCA SECA」、アラブ音楽とダプケ・ダンスの「SALAAM DEBKAH TROUPE」、黒人音楽と西アフリカを融合させた「ASIKO」、キムチャンヘンのストリートパフォーマンス、ピースボートの沖縄のエーサイ、南中ソーラン、小倉祇園太鼓が出演した。
妻は小倉祇園太鼓の一員として毎日特訓した成果を発揮する晴れ舞台である。お揃いの法被を着て登場するとなぜか緊張してドキドキする。上手く叩けたので安心し乗船する前は想像もできなかったニューヨークで太鼓演奏を実現した頑張りに感動した。
各国のミュージッシャンが演奏し、平和のメッセージを所々で発信することでそのテーマにふさわしいイベントとなったと思われる。
7時に会場を出て48番ストリートを西に向う。途中に日本食レストランがあったので入ると客は学生とサラリーマン風の日本人グループばかり、日本人の店員に鉄火丼と麦とろと生ビールを注文する。生ビールがうまい、鉄火丼も味もボリュームもまあまあニューヨーク最後の食事となる。
街を散策しながら92番埠頭を目指して歩く、ピースボートの乗客の姿も見える。埠頭の近くに食料品店を見つけリンゴとビール2本を買う。ここにも乗客がいた、考えることは同じということか。リミットの1時間前、21時に帰船する。
荷物を整理し、シャワーを浴びてビールですばらしかったニューヨークに感謝して乾杯する。

平和集会/日本の踊り

博多祇園太鼓を叩く妻

演奏中の妻(右の後ろ姿)

日本食レストラン

日本車の広告
7時30分下船して52番ストリートを通り地下鉄駅「50ST.BWAY」を目指。道路で毛布にくるまって寝ているホームレスがいる。ビルで家畜を飼っているのだろうか、使用した家畜用敷藁をトラックに積み込んで運び出す作業をしている。少し先には大理石屋、建具屋、建材屋が並んでいる、さらに行くと古道具屋、アイリッシュパブ、寿司屋がある。ここもニューヨークである。

下船して観光に出かける

ホームレス

寿司屋の看板
8番街を横切りブロードウェーを右に曲がる。リバティー島とエリス島に行くために「50ST.BWAY」から地下鉄に乗ってバッテリー・パークに向かう。自動販売機で1日乗り放題券「MetroCard」を買うのに20ドル札を入れると受け付けない、窓口に言うと20ドルをくずしてくれ自動販売機で買うように言われる。20ドル札も使えると表示されていたが受け付けないようになっていたのである。
「SOUTHE FERRY」で降り、公園内を歩いてクリントン砦にあるチケット売場で自由の女神見学も含めたリバティー島とエリス島を回る周遊券を買う。乗場に行くとここでもX線による手荷物検査がある。幸いあまり時間もかからず船に乗ることができた。30分程の航行だが船にはトイレも売店もあり土産、飲料水、スナックを売っている。3階建てで最上階は屋根がなく吹きさらし、その分視界は良い。我々は天気も良かったので観光客でいっぱいの最上階に上がって風に吹かれながら景色を楽しむ。
リバティー島に上陸して自由の女神像に登ることにしたが、ここでもかなり待たされたあげくX線検査があり、手荷物は有料ロッカーに預けなければならない。ロッカーは指紋を登録すると空いているロッカーを指定する仕掛け。
博物館になっている台座の部分に入ると自由の女神について博物館のガイドから長い説明がある。他の人は質問に答えたり反応しているので英語が分かっている様子、分からなかったのは我々2人だったようだ。2カ所での説明の後は解放された。博物館には自由の女神像の製造方法の説明や当初の案、建設中の写真等が展示されていた。その中で縮尺モデルから原寸モデルを制作する方法、打出し用の型は興味深かった。展示物の見学が終るとエレベータに乗り展望台に出る。現在は台座のところまでしか登れないがそれでもリバティー島、エリス島、ブルックリンの眺めを楽しめる。

自由の女神/博物館での説明

フランスの制作工房の写真

足の実物大モデル

石膏型から鍛造の形を写し取る

台座からの眺め/マンハッタンが見える

台座の真下

自由の女神像の内部
自由の女神像を降りて周遊フェリーに乗り移民博物館があるエリス島に行く。1895年から1954年まで使用され、その後放置されていた移民局の建物が博物館として生まれかわったものである。
フェリーを降りて直ぐ目の前に立派な博物館が構えている。入口を入ると吹抜けの大空間に不安そうに並んでいる移民の大きな写真と全財産を入れただろうトランク、柳行李等が山積みされた展示が目に入る。アメリカ国民の原点を示す明快な展示である。

エントランスにあった移民が持って来たトランク

少しの荷物と大きな希望を持ってたどり着いた移民の姿

入国審査室

入国審査を待つ移民の写真
1階は移民に関するデータが表を使って分かり易く展示してあった。2階には各国の移民が持ち込んだ衣類、食器、道具等の展示と移民の写真が壁一面に張ってあった。その中に明治時代に移民として来た日本人の写真が数点、展示されていた。
移民が自分の国の文化、生活様式、技術をそのまま持ち込み、人種のるつぼイコール文化、生活様式、技術のるつぼでもあったこと、それらが混ざりあいアメリカが築かれたことに気づかされた

日本人移民の写真
3階ではソビエト時代の囚人に関する特別展が開かれていた。そこでは過酷な労働と待遇が示されていた。戦後、満州で捕虜になった旧日本兵がシベリア等の収容所で従事させられた強制労働と同じであった。ソビエトでは捕虜を囚人と同じ扱いをしたと言うことである。異なるのは囚人には女性もアメリカ人もいたと言うことである。
見学を終えカフェでホットドックとサンドイッチの昼食をとる。注文した時「ン? ハット ドック?」と聞き返される。大勢の観光客と一緒に木陰のベンチでのんびり過ごす。

移民博物館を見学していた生徒

ハットドック
フェリーでブルックリンに渡り、地下鉄1、9号線に乗って「TIMES SQ.42ST.」駅に出て42ストリートを国連本部に向かって歩く。ニューコーク公立図書館前のブライアント・パークでコーヒーを飲む。木立に囲まれ中央に芝生がある、公園全体にベンチや椅子が点在し自由に座って休息できる。チェスをやっている人、パソコンをしている人、読書をする人、昼寝をしている人様々である。

バッテリーパークの自由の男神

地下鉄/ホームと車両の隙間を埋める装置

ニューヨーク州立図書館の隣の公園

移動図書館

チェスを楽しむ人々
移動図書館が開いていたが良いアイデアであると思った。図書館と公園の間に奇麗な公衆トイレがあった。
「市民がつくる平和コンサート」の集合時間に間にように急ぎ足でハマーショルド公園に向かう。国連本部の斜め向かいにある会場には椅子が並べられコンサートの準備が行われていた。妻はピースボートの演し物の一つ祇園太鼓に出演するため準備にとりかかる。
4時30分イベントが開会される。まずギター、ベース、サックス、パーカッションの地元「DEBKE BLUE VIPERS」の演奏、ラテン音楽の「YUCA SECA」、アラブ音楽とダプケ・ダンスの「SALAAM DEBKAH TROUPE」、黒人音楽と西アフリカを融合させた「ASIKO」、キムチャンヘンのストリートパフォーマンス、ピースボートの沖縄のエーサイ、南中ソーラン、小倉祇園太鼓が出演した。
妻は小倉祇園太鼓の一員として毎日特訓した成果を発揮する晴れ舞台である。お揃いの法被を着て登場するとなぜか緊張してドキドキする。上手く叩けたので安心し乗船する前は想像もできなかったニューヨークで太鼓演奏を実現した頑張りに感動した。
各国のミュージッシャンが演奏し、平和のメッセージを所々で発信することでそのテーマにふさわしいイベントとなったと思われる。
7時に会場を出て48番ストリートを西に向う。途中に日本食レストランがあったので入ると客は学生とサラリーマン風の日本人グループばかり、日本人の店員に鉄火丼と麦とろと生ビールを注文する。生ビールがうまい、鉄火丼も味もボリュームもまあまあニューヨーク最後の食事となる。
街を散策しながら92番埠頭を目指して歩く、ピースボートの乗客の姿も見える。埠頭の近くに食料品店を見つけリンゴとビール2本を買う。ここにも乗客がいた、考えることは同じということか。リミットの1時間前、21時に帰船する。
荷物を整理し、シャワーを浴びてビールですばらしかったニューヨークに感謝して乾杯する。

平和集会/日本の踊り

博多祇園太鼓を叩く妻

演奏中の妻(右の後ろ姿)

日本食レストラン

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