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定年夫婦の暮らし方(店長日記)

盛岡に住む定年夫婦(昭和20年生)の暮らしを分ち合います。

イコンについて

2020年01月04日 | 今日の響いた言葉

イコンについて  2020  1/4

 キリストの姿が必ず同じスタイル(長い髪、細い鼻筋、真ん中で分けられた髪、口髭と頰髯)で表現されているのが不思議でした。2003年12月号の芸術新潮ロシア・イコンの旅で鐸木さん東北学院教授)の対談の中に次のようにありました。

 (要旨)原型はシリアで見つかった聖顔布なので勝手に変えられないし、無著名だった。サインを入れるようになったのは16世期で「誰々の手」と言う風に書いた。人の手で描いたので不完全と言う意識があったと思われる。聖顔の模写に徹した「人の手によらないイコン」が最も価値が高いと考えられていたと思われる。

 画家は神の道具、重要なのは何を描くかであって誰が描いたかではない。修道士が聖書を一字一句間違わないように写したように模写したのである。初期イコンの作者は修道士だった。

 目に見える像を通して目に見えない神へ導く役割を持っている。いわば神の世界を見るための窓のようなもの。

 イコンを見直してみたいと思っています。


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マザーテレサの言葉 6

2015年03月13日 | 今日の響いた言葉

 今年のマザーテレサのカレンダーを紹介します。

1月~2月 のマザーテレサの言葉

  I do not call something difficult a problem.

      Rather, I call it a chance.

 

  わたしは困難なことを問題とは呼びません。

  むしろ、チャンスと呼びます。 

3月~4月 のマザーテレサの言葉

  Pains snd problems are proof that you are living sincerely.

 

  苦しみや困難がやって来るのは、

  あなたが誠実に生きていることの証しです。

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マザーテレサの言葉 5

2013年09月06日 | 今日の響いた言葉

 

 2011年のカレンダー

 

1月~2月

   I love the darkness in my heart. Because it is just a little part of the darkness

Jesus suffered.

 わたしは心の闇を愛します。それはイエスが地上で苦しんだ闇の、ほんの小さな一部ですから。

 

3月~4月

   Nobody can separate me from Jesus. Because l am united with crucified Jesus in emptiness. 

 だれもわたしをイエスから引き離すことができません。すべてを取り去られることで、十字架上のイエスと結ばれているからです。

 

5月~6月

 If we do not suffer by ourselves, our work would not be a part of the redemption of Our Lord.

 わたし自身の苦しみがなければ、わたしたちの活動は主に贖いの御業の一部になりません。

 

7月~8月

   My eyes are fixed just on Jesus on the cross,because l am not given any other

comfort.

他に何のなぐさめも与えられていないからこそ、わたしはただ十字架上のイエスだけを見上げるのです。

 

9月~10月

   When l see the people, who live on the street, I see in them Jesus, who thirsts for our love,and l myself.

わたしは路上で生活している人々の中に、愛に渇いたイエスの姿、そして自分自身の姿を見ます。

 *マザーは困っている人,飢えている人,病気の人をキリストと思ってお世話をしていたのですね…。

 

11月~12月

   If l ever become a Saint---- l will surely be one of darkness. I will always be absent from heaven to light the light in darkness.

もしもわたしが聖人になるなら、それは「暗闇」の聖人でしょう。天国を留守にして、暗闇に灯をつけて歩くに違いありません。

 

 マザーの言葉の解説が最後のページに掲載されていました。

                         <闇に輝く光> 

 「わたしの中に恐ろしい闇があります」と霊的指導者たちに訴えるマザーテレサの手紙が,彼女の死後、列福調査の中で多数発見されました。どうやら1950年頃から,マザーの心は神の愛の温もりや光をまったく実感できない冷たい闇に覆われてしまったようなのです。

 この闇をマザーは「喪失ゆえの苦しみ」と表現しています。1946年9月10日にダージリンへ向かう列車の中で出会って以来、いつもそばにいて励まし、導いてくれたイエスが突然どこかに行ってしまったことによる苦しみだというのです。

 イエスがどこに行ったのか、なぜいなくなったのか分からないまま10年の歳月が流れました。この間,マザーを支えていたのは「いつかきっとイエスが戻ってくる」という「盲目的な信仰」だけでした。

 そんなマザーに転機が訪れたのは、1961年のことです。ドイツから来たイエズス会員、ノイナー神父の指導する黙想会が終わった後、マザーは同神父に次のように書送りました。

 「この11年間で初めて、わたしは闇を愛することができるようになりました。なぜなら、今のわたしはこの闇が地上でイエスが味わった闇と痛みの小さな、ほんの小さな一部でしかないと信じているからです。」

 イエスが十字架上で味わった苦しみ、神への愛ゆえに自分の命さえ捧げたにもかかわらず神から見捨てられる」と言う究極の苦しみを、今自分もイエスと共に味わっているのだと直観することで、マザーはついに闇を積極的に受け入れたのです。

 この闇は,実は1946年のイエスとの出会いの体験を完成するものだったようにも思えます。1946年にマザーはイエスの口から「渇く」という言葉を聞き「愛したいという、また愛されたいという神の無限の望みの深淵」を感じて愛の恵みに満たされましたが,今度はイエスと同じ渇きを味わうことで愛の苦しみにも満たされたのです。こうして愛される恵みと愛する苦しみの両側からイエスと結ばれることで、マザーはもはや分ちがたいほど十字架上のイエスと一つになりました。これほどまでに深くイエスの十字架と結ばれたマザーを通して,全世界に復活の栄光が輝いていたのはむしろ当然のことかもしれません。 

 今年のカレンダーで紹介するのは、マザーがこの闇と渇きの体験の中から発した言葉です。それぞれの苦しみを背負って生きるわたしたちに、これらの言葉は勇気とヒントを与えてくれるに違いありません。心に深く受け止め、生きるための糧としたいものです。

                                              片柳弘史(イエズス会司祭)

 *マザーの苦しみの体験がマザーの信仰の源だったのかもしれません。


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マザーテレサの言葉 3

2013年08月18日 | 今日の響いた言葉

 

2007年のカレンダーにはマザーの経歴と愛した祈りが掲載されていました。

 

        <マザーテレサの年譜>

1910年 マケドニアにて誕生

1928年 ロレットの聖母修道会に入会

     インドのコルカタへ派遣される

     セント•メリーズ•ハイスクールで20年間教鞭をとる

1946年 ダージリンへの列車のなかで「貧しい人々のなかで最も貧しい人に仕える」

     決心をする

1948年 修道会を離れスラムに移り住む

     →貧しい人々の中で渇いているイエスは、いつもあなたたちのそばにいるのです

1950年 「神の愛の宣教者会」を創設

      →あなた自身の名前が呼ばれているのを聞きなさい。一度だけではありません。毎日です

1979年 ノーベル平和賞受賞

     →この建物の外にも,コルカタの町にも、また、世界で最も裕福な町のどこかにも、貧しさや苦しさに

      あえいでいる人々がいます(ノーベル平和賞のスピーチ)

1981年 初来日

1997年 帰天 享年87歳

 


     <マザーテレサの愛した祈り>     

            解放

      イエスよわたしを解放して下さい

      愛されたいという思いから

      評価されたいという思いから

      重んじられたいという思いから

      ほめられたいという思いから

      好まれたいという思いから

      相談されたいという思いから

      認められたいという思いから

      有名になりたいという思いから

      侮辱されることへの恐れから

      見下されることへの恐れから

      避難される苦しみへの恐れから

      中傷されることへの恐れから

      忘れられることへの恐れから

      誤解されることへの恐れから

      からかわれることへの恐れから

      疑われることへの恐れから


      *私たちの悩みの根源ですね!

 

 

 

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マザーテレサの言葉 2

2013年08月17日 | 今日の響いた言葉

 2006年カレンダーに載ったマザーテレサの言葉を紹介します。優しさ、励まし、導きに満ちた言葉です。

 

 1~2月 Spread love everywhere you go : first of all in your own house.

      どこでも愛を広めましょう。まずはあなたの家庭から。

 

 3~4月 Do not allow yourselves to disheartened by any failure as long as you have

                done your best.

      あなたがベストを尽くしているなら、失敗したからといってがっかりしてはいけません。

 

 5~6月 If we really want to love, we must learn how to forgive.

      もし本当に愛したいなら、ゆるし方を学ばなくてはなりません。

 

 7~8月 The dying, the cripple, the mental, the unwanted, the unloved, they are Jesus

                 in disguise.

      死にかけている人,障害を持つ人、心を病んだ人、必要とされない人、愛されていない人

      彼らは変装したイエスなのです。

                 →マザーテレサはこのような人の中にキリストを見いだしたのですね。

 

 9~10月  The moment we have given it to God, it becomes infinite.

      私たちが神に捧げた瞬間は、無限なものとなります。

 

11月~12月 Family that preys together, stays together.

      共に祈る家庭は,一致しています。

 

2006年版のカレンダーの表紙です。

 

 

 

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マザーテレサの言葉

2013年08月17日 | 今日の響いた言葉

 我が家ではマザーテレサの写真と祈りと言葉が載っているカレンダー(ドンボスコ社)を愛用しています。

2006年度版のカレンダーの最後のページにマザーの祈りが載っていましたので長いのですが紹介します。

 

   主よ,私が空腹を覚えるときパンを分ける相手に出会わせて下さい。

   のどが渇くとき飲み物を分ける相手に出会えますように。

   寒さを感じるとき温めてあげる相手に出会わせてください。

 

   不愉快になるとき喜ばせる相手に出会えますように。

   私の十字架が重く感じられるときだれかの十字架を背負ってあげられますように。

   乏しくなるとき乏しい人に出会わせてください。

 

   ひまがなくなるとき時間を割いてあげられる相手に出会えますように。

   私が屈辱を味わうときだれかを褒めてあげられますように。

   気が滅入るときだれかを力づけてあげられますように。

 

   理解してもらいたいとき理解してあげる相手に出会えますように。

   かまってもらいたいときかまってあげる相手に出会わせてください。

   私が自分のことしか頭にないとき私の関心が他人にも向きますように。

 

   空腹と貧困の中に生きそして死んでいく世の兄弟姉妹に奉仕するに値する者と

       なれますように。主よ、私をお助けください。

 

   主よ,私たちの手をとおして日ごとのパンを今日彼らにお与えください。

   私たちの思いやりをとおして主よ,彼らに平和と喜びをお与えください。

 

 マザーはこのような祈りに支えられて活動をしていたのですね…。

 カレンダーは 2006年、2007年、2010年、2011年、2012年、2013年 がありますので順次紹介します。

 次回は2006年の6点の短い言葉を紹介します。2ヶ月で1点の短い言葉が載っています。

 

 

 

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糸川英夫が感動したアメリカのものごとの決め方

2012年10月14日 | 今日の響いた言葉

 

前回のブログで宮本常一の「忘れられた日本人」にある、ものごとを決める日本人の知恵について紹介しました。今回は糸川秀夫のベストセラーになった「逆転の発想」にあったアメリカのものごとの決め方(マネージメント)を紹介します。

 宮本と同じような観察力、洞察力を糸川に感じました。

 糸川は日本の人工衛星の追跡をアメリカ政府に依頼するためにNASAのトラッキング担当者と対策を話し合った。ものすごく頭が切れ、優れたセンスの持ち主の部長は弱冠28歳、3時間の会議で178分黙って聞いていた。なぜ黙っていたか、ちょっと長くなりますが引用します。

 

部長が一言発言すれば4、50歳のスタッフは意見を述べなくなってしまう、そうすれば部長より年上のスタッフが持っている過去の経験が生かされないかもしれない。とにかく、彼は178分黙っていたのである。この間に、4、50歳のスタッフが、イタリアとかフランスからも同様の申請があった、あの時にはこういう書類を作った、こうしたケースでは政府から却下されたなどと議論を展開し、だから日本の場合はこうした方法と手順で進めるのか一番適当と思われるなどと、数十名の部員全員、それぞれの意見を発言した。すると、最後にあと2分ぐらいという時になって、部長が「それでは会議をまとめます」と言って、今、発言した人の意見を全部取り上げて、だれだれの発言の中で、これとこれは非常にいい、だれとだれの発言は全くその通りであるといったふうに、ほとんど全員の発言をつなぎ合わせて、実に見事なレポートをまとめ上げてしまったのである。

 私は本当は、この部長は最初から自分が出すべきだと考える書類の案を頭の中でまとめていたのだと思う。それに合うようなスタッフの意見を、発言の中から拾い上げただけだと思う。ただ、だれの発言に対してもだめだということは一言も言わない。すべて、この点はいいところだから採用したいというように話す。だから、このレポートに沿った申請書類を国会に提出するに当たって、それこそスタッフ全員が一致団結して協力してくれた。

 つまり、部員たちにしてみれば、自分たちがこの申請書類を作成したのだという自負があったわけである。その後、日本はどうやらこうやら5個の人工衛星を打ち上げたが、彼らは実に見事な追跡をやってくれた。」

 (略)

 つまり、自分がリーダーシップを発揮して一番最初に、自分はこう思うと発言したり、俺の案はこうだから、全員で検討しろという方式でやったら、問題はこうもうまく進展しなかったと思う。自分が発言するよりも、178分の沈黙を守る方がはるかにたいへんだったはずだ。        

                      糸川秀夫「逆転の発想」角川文庫

 

 

 大勢のスタッフがかかりあって大きな仕事を成し遂げるには、一人一人の意見が尊重され、存在を認められ評価される仕組みが不可欠であることを糸川は見抜いたのです。著書ではその後、アイデア型経営の危険性を戒めています。

 図らずも宮本が体験した誰もが納得し協力する農村共同体のものごとを決めるやり方と同じでした。

 

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宮本常一から学ぶ ものごとを決めるということ

2012年10月11日 | 今日の響いた言葉

私の愛読書、宮本常一「忘れられた日本人」の中にある「対馬にて 寄りあい」を紹介します。ものごとを決めるということの本質を私たちに教えてくれます。

 

 宮本が古文書を借りたときの体験です。古文書を貸して欲しいと村の肝煎りに頼むと寄り合いにかけなければいけないと言われ待っていたがなかなか戻って来ないので宮本は寄り合いに行ってみた。

 

 村での取り決めを行う場合はみんなが納得いくまで何日も話し合う。そのやり方は一同集まって区長から話を聞き、それぞれの地域グループで話し合って区長にその結論を持って行く。もし折り合いがつかない場合はまた自分のグループに戻って話し合う。古文書の件も話題の一つで結論は出ていなかった。話し合いは貸す貸さないと言うものではなく古文書についての四方山話が中心で結論は容易に出ないと思われた。1時間ほど話し合った後、「せっかくだから貸してあげては」と提案。すると「あんたがそう言われるなら、もう異存はなかろう」と一人が答え、区長が「それでは私が責任をおいます」と言い、宮本が借用書をかくと区長がそれを読みあげ「これでよそしゅうございますか」と言い、座のものは「それで結構でございます」と声があがり古文書をわたされた。宮本は帰ったが別の話題の協議は続けられた。

 このような寄り合いは結論が出るまで、場合によっては徹夜で話し合われたが3日でたいていのむずかしい話もかたがついたと言う。みんなが納得いくまで話し合った。だから結論が出ると、それはキチンと守らねばならなかった。話と言うのは理屈をこねるのではなく一つの事柄について自分の知っているかぎり関係のある事例をあげていくのである。

                             宮本常一「忘れられた日本人」岩波文庫より 

 ものごとを決めることは誰もが納得し、同時に責任を持つことであることを知らされます。一方的に決められ、不満が残ったら農村共同体は機能しなかったのだと思います。皆が仲よく暮らす知恵を持っていた日本人に勇気をもらいました。この知恵を原発の問題などにいかせたらと思います。全国民(政治家、行政、学者、企業、住民)が数年かけて徹底的に話し合い結論を出し、全員で責任を負うようなかたちで結論が出せたらと思う。

「忘れられた日本人」は何度も読んで、その度に感動を新たにしています。「忘れられなかったこと」をまた、紹介したいと思います。

 

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発想の転換を促した言葉

2012年10月09日 | 今日の響いた言葉

 我が家のトイレには小さな棚があって若干の本が並んでいます。そのなかに小田実の「何でも見てやろう」があります。昭和20年生まれの私にとってこの本は刺激そのものでした。私の思いは置いといて今日のテーマ「発想の転換を促した言葉」を紹介します。小田実が英語もダンスも車の運転もできない自分について記述しているくだりに

 

 「アメリカには、ダンスがうまい、自動車の運転ができる、というのは、それはその男がまったく並の男、なんのへんてつもとりえもない男であるということになる。つまり、アメリカでは、ダンスができないということができる、自動車の運転ができないことができる。これが肝心なのである。」

 

 私もこのような発想をしていたのですがトイレの中で小田実から学んでいたんだと気づきました。ないこと、できないことをマイナスとしないでプラスにする。何にもないがある、できないができるって発想を変えたら元気がでて、違うものをうみだす力が湧いてくる気がします。

 原発の事故がなければ、津波がなければ、失業しなければからの発想からは何もうみだされません。事故や津波があったから安全で人に優しい新しい社会を築くチャンスと考えていけば元気がでてきますね…。

 

 

 

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響いた言葉

2012年10月06日 | 今日の響いた言葉

 今日(10月5日)のBS日テレの番組「小さな村の物語イタリア ロンバルデア州ファルネグラ」の中での高齢の主婦の言葉

 「今日しかないと思えばもっと人を愛せる、もっと充実した生活になる」

がものすごく響きました。明日生きていると言う保証は誰にもないんですね、どんな心配ごとも、楽しい予定も無になってしまうあたりまえのことを忘れて今日を台無しにしてしまっていることに気づかされました。

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