数少ない30番台で、米原、広島以外に撮できたのは、竜華の39号機だった。
竜華区の58は皆シールド2灯に改造され、時間やお金をかけて潰しにいく
ようなものでなかった。終焉間際に一回ぐらいと思って足を運んだ。
中でもお目当ては大窓ひさしの66号機に他ならなかったが。
まだ天王寺から客車列車があった時代で、その運用などに58が運用されていた。
竜華区すべてが未撮影なわけで、行けばなんかしらの成果はあった。
39号機もひさし付きだが、窓はHゴム化されたものだった。
実はこの39号機は、前日27日に天王寺から924レで南下し
逆ルートで下ってくる921レに乗り換え撮影したものだ。
昔は夜行列車も多く走っていてこういう塒的に使う輩も多く、
金のない学生には重宝したものだし、18切符も今以上に
行動範囲が広がっていた。39号機もこの撮影1回きりで終えている。
1984年3月28日 921レ 御坊 和歌山
竜華区の58は皆シールド2灯に改造され、時間やお金をかけて潰しにいく
ようなものでなかった。終焉間際に一回ぐらいと思って足を運んだ。
中でもお目当ては大窓ひさしの66号機に他ならなかったが。
まだ天王寺から客車列車があった時代で、その運用などに58が運用されていた。
竜華区すべてが未撮影なわけで、行けばなんかしらの成果はあった。
39号機もひさし付きだが、窓はHゴム化されたものだった。
実はこの39号機は、前日27日に天王寺から924レで南下し
逆ルートで下ってくる921レに乗り換え撮影したものだ。
昔は夜行列車も多く走っていてこういう塒的に使う輩も多く、
金のない学生には重宝したものだし、18切符も今以上に
行動範囲が広がっていた。39号機もこの撮影1回きりで終えている。
1984年3月28日 921レ 御坊 和歌山
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