諸君。こんばんは。
さて、与謝野経済財政相が、枝野官房長官の『東京電力に対して債権を有する金融機関は債権放棄を。』という趣旨の発言について、『金融機関の善意や良識に頼るオセンチな賠償スキームは甘い。』と全面批判を大展開している。
与謝野氏は、東京電力を原子力損害賠償法3条1項但書きにより免責して、東日本大震災に福島第一原子力発電所が被災したことに起因する損害は日本国が責任をもって賠償するべきというのが持論だそうだが、
基本的には賛成だ。
というのは、今回の大震災は、未曾有の大地震であり、おそらく誰も予想できなかったものであるから、原子力損害賠償法3条1項但書きの『異常に巨大な天災地変』に該当すると思われるからであり、実質的に考えても、直接損害のみならず、間接損害を含めると、多分天文学的数字になってしまい、一民間企業である東京電力が責任を負担できる限界を超えていると考えられるからである。
東京電力を免責することについては、異常に高いハードルを掲げる論者がいるが、そのような人は、原子力損害賠償法をよく読んでいないのだと思う。
すなわち、原子力損害賠償法1条には同法の目的が規定されているが、それによると、原子力損害賠償法は、原子力事業から発生した損害を被った人に適切な賠償を施すとともに、原子力事業の円滑な発展を図ることをも目的としているのである。
そして、原子力事業者が損害賠償責任を負わない場合を規定する原子力損害賠償法3条1項但書きの規定は、後者の、原子力事業の円滑な発展を図るという同法の目的を実現する規定と言えよう。
なぜなら、およそ予想できないような『異常に巨大な天災地変』についてまで責任を負わされ、企業の存立が危ぶまれるような事態に至ることが予め予想できるのなら、誰も原子力事業を営まなくなってしまい、国策である原子力事業の推進が達成できなくなってしまうからである。
勿論、争おうと思えば、今回の東日本大震災が原子力損害賠償法3条1項但書きの『異常に巨大な天災地変』に該当するかを問題にしうるが、世界的にも三例位しかない、マグニチュード9.0以上の規模である東日本大震災は、『異常に巨大な天災地変』に該当すると考えるのが常識的判断ではなかろうか(この点、人によっては、マグニチュード9.0以上の地震が三例も起こっているとして、『マグニチュード9.0以上の地震も結構頻繁に起こっている。』などと主張しているが、マグニチュード9.0以上の地震が世界中で頻繁に起こっていたとすれば、おそらく世界中で壊滅的被害が発生し、世界は既に滅びていたであろう。
つまり、このような論者は、東京電力に損害を賠償させるべきであるという先行的価値判断があり、それに都合のいい事実を拾い上げ、都合の悪い事実は曲解するという作業を、意識的にか無意識的にか行っているのであって、法解釈学の名を借りた政策論ないしは疑似科学であると言わざるを得ない。)。
ただ、与謝野氏は消費税増税論者でもあるので、賠償の原資としても消費増税を求めるのではないかという懸念がないわけではない。
しかし、枝野氏に対する徹底批判は筋が通っていて執拗であると思われるので、どさくさまぎれに消費税増税を実現するというようなセコイことは、男・与謝野氏はしないと信ずる。
消費増税が必要なら、国政選挙で国民の意思を問うてからにするであろう。
諸君。また会おう!
さて、与謝野経済財政相が、枝野官房長官の『東京電力に対して債権を有する金融機関は債権放棄を。』という趣旨の発言について、『金融機関の善意や良識に頼るオセンチな賠償スキームは甘い。』と全面批判を大展開している。
与謝野氏は、東京電力を原子力損害賠償法3条1項但書きにより免責して、東日本大震災に福島第一原子力発電所が被災したことに起因する損害は日本国が責任をもって賠償するべきというのが持論だそうだが、
基本的には賛成だ。
というのは、今回の大震災は、未曾有の大地震であり、おそらく誰も予想できなかったものであるから、原子力損害賠償法3条1項但書きの『異常に巨大な天災地変』に該当すると思われるからであり、実質的に考えても、直接損害のみならず、間接損害を含めると、多分天文学的数字になってしまい、一民間企業である東京電力が責任を負担できる限界を超えていると考えられるからである。
東京電力を免責することについては、異常に高いハードルを掲げる論者がいるが、そのような人は、原子力損害賠償法をよく読んでいないのだと思う。
すなわち、原子力損害賠償法1条には同法の目的が規定されているが、それによると、原子力損害賠償法は、原子力事業から発生した損害を被った人に適切な賠償を施すとともに、原子力事業の円滑な発展を図ることをも目的としているのである。
そして、原子力事業者が損害賠償責任を負わない場合を規定する原子力損害賠償法3条1項但書きの規定は、後者の、原子力事業の円滑な発展を図るという同法の目的を実現する規定と言えよう。
なぜなら、およそ予想できないような『異常に巨大な天災地変』についてまで責任を負わされ、企業の存立が危ぶまれるような事態に至ることが予め予想できるのなら、誰も原子力事業を営まなくなってしまい、国策である原子力事業の推進が達成できなくなってしまうからである。
勿論、争おうと思えば、今回の東日本大震災が原子力損害賠償法3条1項但書きの『異常に巨大な天災地変』に該当するかを問題にしうるが、世界的にも三例位しかない、マグニチュード9.0以上の規模である東日本大震災は、『異常に巨大な天災地変』に該当すると考えるのが常識的判断ではなかろうか(この点、人によっては、マグニチュード9.0以上の地震が三例も起こっているとして、『マグニチュード9.0以上の地震も結構頻繁に起こっている。』などと主張しているが、マグニチュード9.0以上の地震が世界中で頻繁に起こっていたとすれば、おそらく世界中で壊滅的被害が発生し、世界は既に滅びていたであろう。
つまり、このような論者は、東京電力に損害を賠償させるべきであるという先行的価値判断があり、それに都合のいい事実を拾い上げ、都合の悪い事実は曲解するという作業を、意識的にか無意識的にか行っているのであって、法解釈学の名を借りた政策論ないしは疑似科学であると言わざるを得ない。)。
ただ、与謝野氏は消費税増税論者でもあるので、賠償の原資としても消費増税を求めるのではないかという懸念がないわけではない。
しかし、枝野氏に対する徹底批判は筋が通っていて執拗であると思われるので、どさくさまぎれに消費税増税を実現するというようなセコイことは、男・与謝野氏はしないと信ずる。
消費増税が必要なら、国政選挙で国民の意思を問うてからにするであろう。
諸君。また会おう!