坂井ひろ子 解放出版社 1600円+税
大東亜戦争が終わって最初の春が来る。
物語はこのように始まります。太平洋戦争でもなく、アジア太平洋戦争でもなく、第二次世界大戦でもなく、大東亜戦争。
この言葉のひびき、この言葉の選択に、坂井さんのこの本を書く姿勢、思いが伝わってきます。
「あゆみ」は主人公の名前(小学五年生・女子)であるとともに、昭和を生きた人々の歩みです。それが丁寧に、つまり東条英機の無策によりつぎつぎと犠牲者が増えていった戦争の真相と過程が、旧ボルネオへ司政官として出征していた、あゆみの父高次の戦争体験として克明に描かれていて、ぐいぐいと引きずり込まされます。
高次は肺結核者として英彦山(福岡県と大分県堺の山)の麓へ復員してきます。まだ抗生物質もない時代の結核患者がどのようなものであったかは、実家からも遠ざけられることが語ってくれるでしょう。あゆみがせっせとノビルやゴサンチク(竹の子)などを採る場面は、戦後の貧しい台所事情を、すぐれた記録としても残してくれています。当時の記憶がぼんやりとある私にも、ありありとその食物史が甦ってきました。
高次は患部を切り取り、そこにピンポン球を入れる手術を受けます(当時では最先端の医療でした)。母の房江は一家を支えるために教師として歩み始めます。あゆみは中学で英語を学び、外交官になることを目指します。軍人東条英機に外交がなかったことは、多くの人が指摘していることでしょう。──その戦争は大東亜戦争だったのです。
そしてそれは、子どもたちでは無くまず大人(オエライサン方)が知っていくべき事なんだと思っています。
平和な世の中がこの先もずっと続くことを願って。
今朝の新聞に、若い世代の方(マンガ家)が語り部にはなれないけど、その記録を聞き調べ、語り継ぐ部にはなれるといっておられ、「ほー」となりました。
保阪正康さんの本は読まれているようですよ。
おめでとうございます!
ときどき、この文章(文体)はなんなのかなぁと考えながら読んでいたのですが、その考える状態を超えて読ませてしまう力のこもったお仕事でした。
12時ですと、宴たけなわの時間なのですが、黙とうを忘れないようにします。
自民党の7割が安倍支持、ということは、もりもかけも、東京医大も、日大も、日銀が操作したアベノミクスも讃えているんでしょうね。日本もあ~あ。
宴にあれば宴にしたがい、黙祷などはしてはいけません。それが亡くなった人の願いです。亡くなった人は酔ったあなたの「あのやろー ばかよろうー」を聞くのが楽しみなんですから。
九州は大雨のようですね。もう会場へ抜けたのかな。
長野さんはお出かけ好きだから、もしかしたら秋には。