私は「たまたま」という言葉が好きです。絵本にも 『たまたま たまご』というナンセンス絵本があります。
昨夜読んでいたこの本にも、よく「たまたま」が出てきます。著者はおおよそつぎのようなことを言います。
私が使う「たまたま」は神の介在(目的論)なしに、生物はたまたま(突然変異・偶然)を起こし、その中の生存に有利なものが自然淘汰でのこった、と。
マルクスが 『資本論』の推薦文をダーウィンに頼みますが断ります。「あなたの進化論は歴史的必然だが、私の進化論は突然変異だから」と。長新太さんとの楽しき雑談で、長さんはこういわれました。「偶然を大切にしない芸術家はだめだね」「はい」。
ナンセンス絵本もナンセンス詩も「たまたま」と戯れながら、たまたま生まれるのでしょう。
うまとうし
うまはうしにいえなかった
まごころからそうだったのに
ともだちになって。と
うしがやってくると
しらんふりしてくさをたべた
うしもなにもいえなかった
しんそこそうだったのに
ともだちになって。と
うまくいえなくて
まんげつをみた
うまはだれにともなくつぶやいた
きれいだねえ。
うしもだれにともなくつぶやいた
うん。
きみしるや
だれに
とも
なく
金曜日に「ココにもいます」と名乗りをあげました。この本を読んだのかもしれません。「きみしるや/だれに/とも/なく」いいですねえ。
ひでちゃんもだったんだね。きみしるや われも バカなり (^o^)