工藤純子 講談社 1400円+税
滝川一將は幼なじみの新美咲良に教えられる。どちらも六年生だ。弟の将人が荻野先生にみんなの前で叱られ泣いていたと。荻野先生は女の先生。大縄飛びの練習に出てこなかった将人を叱ったのだ。しかし将人は「大縄飛びが出来ない人は朝練に出るように」という荻野先生の言葉に(自分は出来る)と出なかったのである。
将人は出来ない。クラス中も荻野先生も「お前が出ると優勝できない」と冷たい。荻野先生には優勝以外に浮かんでこない。
咲良と一將は「叱ると」「怒る」は違うという言葉を聞く。「学校はだれのものか」という問いも。大縄飛びは優勝だけのためにあるのかとも。
だが、二人の提案で荻野先生の指導は、代表委員会の議題にもなるが、委員の反応は冷たい。その委員たちのこころが描かれていく。両親が離婚した子。母が父の分からない子の自分を生み、祖母に預けて行方不明になっている子。学校はだれのものか。それは「子どもはだれのものか。家族はだれのものか」でもある。でも、子どもたちは一度として離婚にも出奔にも意見を聴かれたことはない。世界は大人のものだ。諦めるしかないんだよ。
正直のところ、また離婚家族と保護放棄された子の話か(流行らしいな)といささか冷めた感じて読んでいきましたが、最後に荻野先生も、また教師の娘として「よい子」を生きてきた悲哀がどっと押し寄せてきて、深い感動に包まれました。
新美咲良。先日、「新美南吉詩集」ハルキ文庫を読みました。少年詩集ではありませんでしたが、この人は本物の詩人だなぁと頷かされたいい詩集でした。シュルレアリスムとダダをくぐった作品「疲レタ少年ノ旅」は、南吉がシュルレアリストでないとしても、それを深く学んでいたことを偲ばせる傑作です。
内田麟太郎さま
麟太郎さまの解説から、奥が深いお話だと思いました。
登場してくる子ども一人一人に、荻野先生一人にライトをあてても物語が出来そうですね。
舞台は学校ですが、普段身近な所で色々な物語がある(作られている)のでしょうね。
私は掌編童話と詩しか書けない人なので、工藤さんのように長いものを書ける人を無条件に尊敬しています。希望としては児童文学にも、井上ひさしや獅子文六みたいな人が出てきてほしいのですが、それを願いながらも、とてもいい作品でした。
学校はいろいろな事情を抱えた子が集まる場ですが、先生もいっぱいいっぱいで、一人一人のことを考える余裕はありません。
そんな中で傷つく子や見過ごされてしまう子を「仕方ない」で済ませていいのかな、と危惧します。
不登校が増え続ける今、コロナの影響もあり、学校はますます変わっていくと思われますが、いい方向に向かうよう、これからも考えていきたいです。
中学のとき、入院のお見舞いに「てぶくろを買いに」を担任の先生がくださったことを思い出しました。先生という存在は、人生に大きな影響を与えると、改めて思います。
「新美南吉詩集」、読んでみたいです。ありがとうございました。
季節風の仲間、工藤さんのあとに・・・初めてでしょう。うれしいな。
私は「よい子」じゃなかったですねえ。先生の子でいやな女子がいました。男子のほうは不自由さを嫌っていましたから、今でも付き合いがあります。でも教師になりました。国立を出て音楽の教師、まだ歌っています。
貧や失恋を歌った素朴な詩もいいですよ。
工藤純子さま
お名前は度々聞いていたのですが、初めて読ませて頂き上手い人だなぁと感心させられました。こちらこそ感謝しています。
ひでちゃんさま
私は娘二人にとっては、ちょっと情けない父のようです。(^0^) そこがいいのでしょ。