『みんなのお寺』 ブッダによる幸せの種がまかれた園

宗派を超え、国境を超え、時を超えて、仏教・ブッダの教えの真理に触れる事の出来る幸せの精舎を目指す『お寺』です

私の宝物

2009年05月11日 | 修行日記
仏教は『苦しみ』を自己の中に認識した人間その人自身のために存在するものであり、『苦しみ』を持った個人自身のうちに自己開発していくものだと思います

ブッダの教えを一つ一つ詳細に調べ、断片的に研究していった所の知識にこだわりしがみつく必要はありません



例えば我々が日常的に使っている『自動車』

その『自動車』の用途は人や物の移動手段のためにあります

『自動車』は動き運んでくれれば役に立つのです

なにも『自動車』を構成している約3万点の部品・名前・場所・製造方法など全てを知り尽くさなければ『自動車』を使えない、ということはあり得ません

日常生活の必要性を考えれば、正常に動けばいいわけです



ブッダの教えから派生したさまざまな名称や知識を知らなければいけないと思い込んでしまうのは、ブッダの本意に沿わないものだと思います

大切なのは『自動車』を適時にしっかりと動かし目的地に到達することができるように、自己の内にある『苦しみ』を『智慧』を使って正しく乗り越え『悟り』に至ることができることです

それを求め、私は日々修行をしています

そしてそれを、『苦しみ』を抱えた人々に伝えていきたいと思っています


人生において、老い、心や体の病、死、別れ、など様々な苦しみを乗り越える道を、ブッダは教えてくれています

そんな宝物を、私はずっと大切にしたいと思っています


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