『凛の生きた意味』Blog

凛がその命で教えてくれたことを
月2ほどのペースでゆるりとやわらかく
書いていきたいと思います。

『ネガティブな感情は"虫めがね"』

2024-08-26 20:10:19 | 日記




皆様は

悲しい、寂しい、悔しい、怒り、憎しみ…

そのような感情が現れてくる時はございますか?


わたくしは

それをたまに"夢"で

自分が気づいていない感情

自分がもう過去としていた感情 を

わたくし自身の脳と記憶が教えてくれることがあります。



そのような日は、やっぱり

よく寝たと思えるよりも

なんか寝れなかったなぁと

朝目覚めるものです。



そして

あ、私の中にこんな怒りがあったのか

こんな悲しみがあったのか と

自分が思っていたよりも大きなものが自分の内側に存在していることを知ります。





人間は無意識に
過去・現在・未来を行き来します。


それはタイムマシンでもなんでもなく


「脳の中で」


です。



しかも

よし!過去のあの日のあのときのあの瞬間に行こう!

じゃあ、何年後のこの日のこの自分にアクセスしてみよう。 とかではなく。


あの時こうしておけば…

あの時なぜあの人はあんなことを言ってきたのか

あんなに良かったのに…

これはこのままで大丈夫かな…

いつまでこんなこと続けるんだろう…

もしこんなふうになったらどうしよう…


のように

感情の波にのって

過去・現在・未来を「脳の中で」行き来しています。


しかも一瞬で、です。


むしろ入り乱れて、混乱してしまっています。


ぼーっとしているときでさえ

無意識に過去にアクセスしていることも。


客観的に見ても、それは脳も疲れますよね。


そう。疲れます。




わたくしもその癖は存在していて。




後ろは振り返るなと言いますが


ふと今の場所から立ち止まり、ゆっくりと振り返り

自分がどのような人生という道を歩んできたのか、遠くの方まで見渡してみると、様々な景色が見えると思います。


けしてその場に戻るのではなく、現在・現時点から遠くを見渡してみる。


きっと様々な空模様が見え

高く高い山々、崖、壊れかけた橋、曲がりくねった道。

真っ暗な空に稲光、雨、雪。


見通しの良い平坦で真っ直ぐな道。

真っ青の雲一つない晴天。

穏やかな気候。

満開の花々たち。真っ青の海、湖、川のせせらぎ。

そこに太陽の光が反射し、キラキラと光輝く。

そのような思わず「美しい」と絶句してしまうような景色。


皆様はどのような景色が広がっていますか?


それがどのような景色であっても

一歩ずつ一歩ずつ。

一日一日。

歩み乗り越えてこられたのは、まぎれもなく自分自身。


他のどなたでもなく、まぎれもなく自分自身なのです。


どのような険しい道のりでも

どのような波風であっても

どのようなお天気の日でも。



その壁も、その障害も

その葛藤も、その悩みもすべて。

自分自身が1つずつ一歩ずつ、歩んできてくれて、乗り越えてきてくれたから。

ここに、今。

存在している。


今いる場所から振り返り

自分がどのような道を歩んできたのか

その景色をその場所から見ていた時。

「なぜ今までこの景色を、この視点から見ることができなかったのだろうか。

こんなにも美しいと思えるのに。」
と思いました。


「今までどうやって何を見ていたんだろうか」


昨日までが"過去"なら

昨日までの記憶や場面を思い出していたことは

もう何千回何万回と数え切れないほどあったはず。


でも

この景色と、この視点と、この過去の歩みを美しい愛おしいと感じる感情は始めてだ。


じゃあ、わたくしは何をどのように見ていたんだ?






それは

わたくしは
"虫めがね"で見ていたことに気づきました。


過去の出来事

過去の思い出

過去の感情

現在へのもどかしさ

未来への不安


しかも

それをよーく虫めがねで

その場に戻って近くまで寄って。


そして

9割ネガティブな感情、ネガティブな思い出にフォーカスしてしまっていて。



人間という生き物はもしかしたら

ネガティブなものほど"虫めがね"で見てしまうのか

それとも

"虫めがね"で見るからネガティブなものほど拾うのか


どちらが先かということよりも

それだけそこだけをフォーカスして

思い出して悲しんだり、怒ったり、怖がったりしてしまっていたことに気づきました。


きっと

それがわたくしの脳の癖だったのでしょう。

そして未来に向かってもです。


ですが

未来は虫めがねでフォーカスしても、引きで見ても、過去ほど鮮明には見えません。


まだ歩いていないですから。


それをみて不安になったり怖くなったりする。

当たり前です。


まだ歩いていないですから。


そこを自分が自分で
過去・現在・未来を理解してあげて、

虫めがねを持つことをやめたら

今したいこと

今すべきこと

今いる自分を

ちゃんと見てあげて整理してあげることができる。


"虫めがね"を持って、悲しむのはやめよう。

"虫めがね"を持つことをやめよう。

もう虫めがねを持たなくても、歩いていけるから。


凛のMamaは
これからも凛と歩むためにも

そして

自分自身のために
今日ここでこの場で虫めがねを捨てます。


今までいろんなことを教えてくれて
見せてくれて気づかせてくれてありがとう、虫めがねさん。


わたくしに大切なことを教えるために、学ばせるためにいてくれたのですね。

ありがとう。

今までありがとう。

わたくしを成長させてくれてありがとう。







『凛へ』

2024-08-14 17:39:36 | 日記

凛へ



凛。

Mamaは

凛が伝えてくれたこと、教えてくれたこと

理解できるくらい、受け止められるくらい

強く大きく成長できたかな。


今でも凛から見て、

Mamaをどう見ていてくれていますか。



Mamaはいつもお話しているけれど

あの日あの時。

凛がMamaを 「生きろ」と蹴り飛ばして、

凛の手をグッと握りしめてくれた時。


あの時から

Mamaと凛と第2のステージ、

次のステージに進んだんだと感じています。


Mamaと凛はいつも一緒だったけど、

今はもっと一緒にいられて

もっと深く深いところで

凛と繋がっていると感じています。


「自分と出会ったすべての人・出来事が 自分を学ばせ成長させ、強くしてくれる存在である。

たとえそれが自分を傷つける相手・出来事であったとしても。」


学校もお仕事も人間関係も友情も恋愛も

家族も親子関係も身体のこともなんでもそう。


モノ・コト・ヒトすべてがそう。


それなら

凛も Mamaを学ばせ成長させ、強くしてくれる存在。


そのすべてを1つたりとも取りこぼすことなく

拾い集め、

理解していくことが

凛にあげられる

"幸せ"

"喜び"

"生きる意味"

"報い"なの。


それが凛のMamaの愛し方です。

今でも今も、そしてこれからも。


凛がMamaを選んでくれたのなら

「やっぱり凛はMamaを選んでよかった」

「Mamaの子として生まれてきて、生きられてよかった」

って感じていてもらいたいから。


これはMamaの意地とプライドなのかもしれません。

でもこの意地とプライドは持っていてもいいものかなとMamaは思っています。


他の意地とプライドはすべて捨てていくけれど、ね。


凛を幸せにすることに関しては、持っていてもいいものかなって勝手だけど思っています。




凛。

今のMamaは"あの日"よりも強くなってる?




Mamaは毎日凛と共に新たなステージを歩いています。

もう一緒に歩くのにリードも何にもいらないね。


Mamaと凛を繋いでいるものは

お互いへの愛と絆と信頼、想い、敬意。



いつも目を閉じると見えるの。

Mamaと凛が共に歩いている姿が。


そこは光輝く光に満ち溢れていて

Mamaは笑っていつも堂々とそして穏やかな顔で、

凛を抱っこしていたり、

横をちょこちょこと歩いている凛と見つめ合って歩いているの。


凛から見つめるMamaと、

Mamaから見つめる凛の

どちらからの見える世界。




凛。

Mamaが今こうして歩いているのは 凛のおかげだよ。


あなたとのすべての時間・出来事・経験・感じたものが

わたくしの生きる力となっています。

ありがとう。


Mamaを成長させてくれて、

信じてくれて、

愛してくれてありがとう。


凛。 ありがとう。


凛はMamaの宝物だよ、永遠に。

大切なかけがえのない宝物。

そしてずっと凛のMamaだよ。凛。


凛に出会えたこと

凛のMamaになれたこと

すべてに感謝いたしております。


そしてMamaのこと、これからもよろしくね。

Mamaは必ず凛を守るから。


愛してるよ、凛。



愛を込めて。




大切なかけがえのない宝物さんへ


Mamaより





『どんな姿形となっても…』

2024-08-05 19:58:37 | 日記



凛がどのような姿形となっても

凛はわたくしの宝物で

大切なかけがえのない愛おしい存在です。


たとえその姿を見ることも、

触れることもできなくても、です。


わたくしはたまにペット用品のお店に行きます。

凛のおやつを買いに行くために。


そこで凛はどのようなおやつが食べたいかな、

新しいのはあるかな、

と凛の好み・凛の好きなものを探します。


その時間は

今でもとても愛おしくかけがえのない時間で

凛の祭壇にお供えしています。


そういった一つ一つの時間が、

わたくしの心に幸せと豊かさと癒やしを与えてくれています。




けして始めからそうだったわけではありません。


ペットちゃんと飼い主さんが楽しく過ごしている姿を見ることも、

ワンちゃんを見ることもできない時もありました。

そのたびに泣いている自分もいました。


凛の写真・動画も見ることができない時間もありました。



でも

1つずつ1つずつゆっくりと

凛と生きる新しい人生の"今"を感じ続けていくことで

気がついたらいつの間にか

できなかったことができるようになり

泣いていた時間が笑えるようになり

凛のために生きていた時間が自分のために生きられるようになり

凛が教えてくれた

凛が与えてくれた「強さ」と「自由」はこれだったのだと感じて立っています。


『凛』という名は

小さく生まれてきてしまった命が

"凛"と強くたくましく生きていけるように、

と名付けました。


凛はその名の通り、強くたくましく最後の最後まで生きてくれました。


光となるその瞬間まで。



そしてこの子は、自分だけでなく

さらに母親が、凛のMamaが、飼い主が

「凛とした人となり強くたくましく生きていけるように」と

わたくしを一人の人間として成長させてくれたのです。


凛は自分の生きる力、生き様と共に

それを見せ一人の人間を成長させてくれたのです。


凛があんなふうに生き抜いたのなら

Mamaはもっともっと凛とした女性となり

強くたくましく生きていかなくてはなりません。

わたくしは凛のMamaですから。



凛が光となった後も、

わたくしが迷わず真っ直ぐ前を向いて、

凛とした姿で強くたくましく歩んでいけるように。


凛が一番大好きなMamaでありたいから。

凛が望んだMamaの姿でありたいから。

凛はどのような姿形となっても

いつまでも永遠にわたくしの大切な子であり、

宝物さんなのです。






『凛の生きた意味』Blogにいらしてくださる皆様へ♡


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いいね♡をくださる皆様。

初めましての方々。


本当にいつもありがとうございます。


皆様のご訪問&いいね♡とってもとってもとっても

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生きる力を

生きる自信を頂戴いたしております。


これからも『凛の生きた意味』Blogと

凛&凛のMamaを何卒宜しくお願い致します。


そして、コメントの分まで、

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凛が紡いでくれた皆様との御縁に深く感謝申し上げます。


暑い日が続いておりますが

皆様ご自愛くださいませ。



凛のMamaより