おでかけのーと

城跡めぐり、ガーデニング、編物。

備中高松城の戦い

2015-12-09 | 岡山戦国物語
播磨・因幡を平定した秀吉は、1581年(天正9)、由良城&岩屋城を攻略して淡路も制圧。
1582年(天正10)3/15、備中へGO。
高松城に狙いを定め、まずは黒田官兵衛&蜂須賀小六を説得に向かわせるも、清水宗治は丁重に断る。
4/15、秀吉は竜王山を本陣に。
右翼隊を宮路山城と冠山城へ、左翼隊を加茂城と日幡城に差し向けた。

http://d.hatena.ne.jp/rina-chan/20170107 長良山城
冠山城は、敵を侮った浮田忠家が間断なく鉄砲を撃ちかけられ退却するも。
杉原七郎左衛門が城に火をつけて猛煙を立ちこませ。
伊賀忍者が発見した突入ポイントから、加藤清正が一番乗りを果たし、秀吉から感状をもらう大活躍。
4/25、落城。

宮路山城・乃美元信は、急襲されて城を支えきれず。
5/2、落城。

日幡城は、毛利から派遣された上原元祐に、花房職之&戸川秀安をやって寝返らせる。
城主・日幡景親に一緒に寝返ろうと誘うも、妹婿が何言うてまんねんと怒られたんで殺し、5/11、秀吉の軍勢を城内に引き入れた。
身内の内通にご立腹した小早川隆景が奪回に来たんで、秀吉は戦わず退却。

加茂城は、東の丸に加勢の生石氏、西の丸に上山氏、本丸にも毛利氏から派遣された桂広繁が入り備えていた。
秀吉は生石氏に戸川平右衛門をやって、5/16に寝返らせた。
けど、桂氏の猛攻に落城ならず。

庭瀬城は低湿地の中にあり、城に通じる1本の細い道だけが攻撃路だったんで、毛利方から撤収せよと命令があったけど、井上有景は応じず防戦した。
秀吉は諦め、高松城に兵を回す。

高松城は、鉄砲や騎馬戦に強い、低湿地を利用した最新式の城。
知勇兼備の名将・清水宗治が城主とあって、3万近い大軍で包囲するも苦戦。
5/1、水攻めすることに。
5/11、本陣を石井山に移動。
城の南、門前村~蛙ヶ鼻までの3kmに8日間で長堤を築き、足守川の水を堰き止めると、梅雨で増水し城は湖の中に孤立。
5/21、毛利本隊が到着。
輝元は猿掛城に、隆景は日差山、元春は岩崎山へ布陣したけど、どないもできん状態。
清水宗治に降伏するよう言ったけどNOと返事。
講和が成立しなかったら毛利家の存続が危なくなると聞くと、籠城者全員の助命と引き替えに自刃を申し出た。
そこへ本能寺の変の知らせが。(毛利氏には内緒)
6/4、清水宗治、自刃。
秀吉は持宝院に篤く葬った。

http://d.hatena.ne.jp/rina-chan/20150221 太閤門
6/6午後に高松城を出発し、沼城で一泊。
姫路城に装備はあるから軽装で24時間マラソン。
翌日、姫路城着。
6/9、明石へ。
6/10、明智方につき洲本城を奪った淡路水軍・菅達長をボコる。
6/13、山崎で合戦。