ちょっとした気の緩みから風邪をこじらせて、声が出にくいのです
私の商売道具でもある、声が出ないのが一番辛い(反省しかない
)
昨日から市販の薬を飲んで(医者は連休)うがいをして寝ているだけ
そこで、外出出来ないので、最近ちょっと気になっている事を調べてみました
それが・・・先日行った養源院の≪血天井≫なんです
他の寺でも ”血天井” があるのを聞いたことがあったので(鷹峰の源光庵の事)
私の詩吟のお弟子さんに個人タクシーに乗っておられる人がいらっしゃって
以前 ”源光庵” にお客さんを案内したことがあって、たしか血天井があったと
『それが、ワザとらしい、赤い足跡があって笑ったことを覚えている』と・・・・・
そこで調べてみました・・・京都に8ヵ所もあるんですって・・・驚きですね
しかも・・・原因が同じ伏見城の戦いなんですよ
養源院の時にも記しましたが、徳川家康の家臣、鳥居元忠らが城を守っていた時
石田方に攻められて建物の大半が焼失し落城し、元忠や家臣らが自刃した
その時の血痕の残る床板を供養のために京都の寺の天井に貼られた・・・んです
8箇所の名前ですが、養源院を始めとして、宝泉院、正伝寺、源光庵、興聖寺、
天球院(妙心寺の塔頭)神応寺、栄春寺、の八寺であります、写真をネットで
東山の ≪ 養源院 ≫ 大原の ≪ 宝泉院 ≫
西賀茂の ≪ 正伝寺の庭 ≫ 鷹が峰の ≪ 源光庵の二つの窓 ≫ と ≪ 血天井の足跡 ≫
宇治の ≪ 興聖寺 ≫ 妙心寺の塔頭 ≪ 天球院 ≫
八幡の ≪ 神応寺 ≫ 伏見桃山の ≪ 栄春寺 ≫
以上の各寺々に ”血天井” の伝説が今に残っている・・・・・けど
不思議に思うのは、床の板と天井の板とでは厚みが違うと言う事
その辺も調べてみると、同じように疑問に思っているそうです
少なくっても床板の厚みは、2・3センチはありますよね~
それを天井に貼るのは無理でしょう、2・3ミリに削らないと重みで落ちますよ
江戸時代前後の加工技術では不可能とのこと、???どういう事なの~
すんまへん折角の ”血天井” にケチを付ける事になってしまいました
この ”血天井” の伝説は京都だけではありません各地に残っています
岐阜城にも同じようなお話が・・・・・関ヶ原の前哨戦で西軍に加勢した織田秀信は
岐阜城に立て籠もるが、最後まで生き残った38人は切腹した・・・あとは同じこと
崇福寺の天井に切腹した場所の床板を供養のために貼ってある
大阪池田市の大広寺の天井にも供養のために切腹した場所の床板が・・・・・
徳島の丈六寺には、この寺で暗殺された者たち血が幾ら拭いても落ちないため
床板を外して、境内にある徳雲院の天井板にした
大阪八尾市の常光寺には、藤堂高虎が本堂の北にある住職の居間の縁側に
敵方の首を並べて【首実検】をした。おびただしく血痕が付いた為
これも供養のために、方丈の西廊下の天井に貼りかえられた
最後に ”血天井” についての資料は、考古学的にも裏付けられていない
西賀茂の正伝寺については、古畑種基という人が、人間の血液であることを鑑定しているが
古畑が関わった血液鑑定には、数多くの疑問・誤りが指摘されており
同鑑定についても、全面的に信頼するのは危険である・・・とありました
皆さんの近くにも ”血天井” 伝説が残っているかも知れませんね
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