そして、今度はharuが咳をしはじめ(涙)
renは早めにわかってたので別部屋に隔離できたのですが、souはずっと同じ部屋で寝てたせいか、今度はharuがマイコに。
そして、そしてharuは両肺に白い影が出てしまい。即、診断書をもって大きな病院へと言われ行くと。これまた即、入院となってしまいました。
←こんな感じ。
痰でなかなか酸素が上がらず、これは、酸素と加湿をするチューブを付けてました。
家でも辛そうだったので入院したらなんか妙に安心しました。もう、大丈夫。って。
このチューブ、寝返りを打とうものなら外れてしまい、酸素が低くなり、装置がすごい音で鳴り響き、夜は心配だし、同室の皆さんに申し訳ないやらで一睡も出来ませんでした。
なかなか、酸素チューブが外れず、定期的に鼻、口から痰をとる処置をしてもらうのですが、本当に代われるものなら代わってあげたいほど辛いものでした。
←ちょっと良くなって酸素のチューブだけになってちょっと身軽。
ご飯を食べる前、寝る前にするのですが、何とも表せない鳴き声と言うか、悲鳴と言うか・・・一緒に入院していた子供のお家の方もこの時間が辛くてね。。。と言ってました。小児病棟の殆どの患者さんがマイコプラズマ肺炎だったらしいです。
この辛く、大変だった治療を支えたのが「はなちゃん」でした。それまで、家ではあまり遊んでもらえなかったしまじろうの妹「はなちゃん」入院の日たまたま、車にあった「はなちゃん」
こんなに助けられるとは思いもよりませんでした。もともと、ぬいぐるみより剣やボールな子だったので・・・
どんな時も「はなちゃ~ん」と言って私が一緒に居れない検査や治療には必ず付いて行ってくれました。看護婦さんもあまりの仲良さ?にharuを「はなちゃん」と呼び間違うほど(笑う)
←両手に はなちゃん
看護婦さんが点滴のテープに「はなちゃん」を描いてきてくれて、本人は凄く嬉しそう!
ほんと、看護婦さんは凄いですよね。患者の心まで元気にしてくれるな~と思いました。
結局、10日間の入院でした。当初は「5日ぐらいで少し咳がゴホゴホでるぐらいで退院になる」と聞かされてたので、10日も入れば、咳も全くでなくなり、ベットの上が手狭になり、トイレと歯磨きだけベットから出してもらえるので、何度もトイレを要求。オムツもこのまま取れてしまうのでは!?と思うほど。
こう、写真を並べると、顔色の違いがハッキリでますね。
そして、haruが入院している間。お兄ちゃんたちの学校行事もありました。が参加できず、しかも今年はrenの方で学年委員長になってしまい(くじ運悪し)懇談会や常任会議があったのですが、参加できませんでした。
荷物やお風呂に入りに家に帰るとsouはすぐに寄って来るのですがrenは別に~って感じだったので、大きくなって寂しいもんだぜっwと思っていたのですが、学校の先生の話では「いつもの感じは無く、いつもソワソワと落ち着きが無かったんですよ。やっぱりお母さんが居なくて寂しかったんでしょうね。」と教えてくれました。
さてさて、退院して10日ぶりの兄弟再開。学校から帰ってきたsouをharuがお出迎え「ただいま~haru~」と言うsouにharuはニコニコしながら「ちぃに~」と傍に行ってギューするかと思いきや、ビッチ~ンとビンタ嬉しすぎて思わず、手が出た?souは唖然としてました。
renが帰ってくると「ただいま~。あっharu帰ってきたの?良かったね。んじゃ、僕遊び行ってくる」とありゃりゃ?そっけない感じ。
でも、その日はなかなか時間には帰ってこないrenも時間前に帰ってきて、私が見てないところで「haru~~」と撫でまわしてました。恥ずかしかったんでしょうね。