落語家の三笑亭夢之助氏が手話通訳者を退場させてしまったらしい。
↓
以下、10月31日(水)毎日新聞記事から要約抜粋
時と場所:島根県安来市民会館で9月17日に開かれた市主催の敬老会
夢之助氏の発言:
「落語は話し言葉でするもので、手話に変えられるものではない」
「この会場は聞こえる方が大半ですよね。手話の方がおられると気が散りますし、 皆さんも散りますよね」
「どうにかなりませんかね」
「皆さんが良いとおっしゃるなら構いませんが。どうなんでしょうね」
主催者の対処:
大きな講演会では手話通訳をつけることになっており3人を配置していた。
夢之助氏には手話通訳がつくことを説明していなかった。
通訳者の女性を促し、舞台下で手話通訳を続けさせた。
夢之助氏の言い訳:
「気も散漫になって話を間違えることでお客様に迷惑をかけてはいけないので、
手話の方に、私の横でなく、後ろに立つか、座ってくれるのか……との
思いで声をかけた」
まさかこのユビキタスの時代に、こんな事件が起こるとは…。
見えるところで手が動いているのが気になったんだろうけど舞台から追いやることはない。主催者も、きちんと立ち位置などの摺り合わせをしておけば、こんな事態にはならなかったと思うが、その矛先を主催者に向けるのではなく、手話通訳者と、会場にいるかもしれない聴覚障害者に向け、会場に向けて同意を求めるような発言をしてしまう夢之助氏に失望した。
市も夢之助氏も謝罪したそうだが、心のバリアフリーにはまだ道遠しの感がある。
舞台下で通訳をさせたという市の対応、スポットライトはちゃんと手話通訳者にあたっていたのか(暗くては見えない)? 見やすい台は置いたのか? これだけ公衆の面前で「手話通訳者は気が散る」と言われてしまって利用者は見やすい席に移動できたのか?
情報保障は、ただその場でつければいいというものではない。手話通訳者とて、事前の情報なくして通訳などできないはずだ。当然、事前に主催者が講演者にその旨を伝え、どういう内容の話をするかを通訳者に伝えておかねばクオリティの高い情報保障にはならない。夢之助氏が手話通訳がつくことを知らなかったのだとしたら、情報保障ということに対する主催者の姿勢が問われる。
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以下、10月31日(水)毎日新聞記事から要約抜粋
時と場所:島根県安来市民会館で9月17日に開かれた市主催の敬老会
夢之助氏の発言:
「落語は話し言葉でするもので、手話に変えられるものではない」
「この会場は聞こえる方が大半ですよね。手話の方がおられると気が散りますし、 皆さんも散りますよね」
「どうにかなりませんかね」
「皆さんが良いとおっしゃるなら構いませんが。どうなんでしょうね」
主催者の対処:
大きな講演会では手話通訳をつけることになっており3人を配置していた。
夢之助氏には手話通訳がつくことを説明していなかった。
通訳者の女性を促し、舞台下で手話通訳を続けさせた。
夢之助氏の言い訳:
「気も散漫になって話を間違えることでお客様に迷惑をかけてはいけないので、
手話の方に、私の横でなく、後ろに立つか、座ってくれるのか……との
思いで声をかけた」
まさかこのユビキタスの時代に、こんな事件が起こるとは…。
見えるところで手が動いているのが気になったんだろうけど舞台から追いやることはない。主催者も、きちんと立ち位置などの摺り合わせをしておけば、こんな事態にはならなかったと思うが、その矛先を主催者に向けるのではなく、手話通訳者と、会場にいるかもしれない聴覚障害者に向け、会場に向けて同意を求めるような発言をしてしまう夢之助氏に失望した。
市も夢之助氏も謝罪したそうだが、心のバリアフリーにはまだ道遠しの感がある。
舞台下で通訳をさせたという市の対応、スポットライトはちゃんと手話通訳者にあたっていたのか(暗くては見えない)? 見やすい台は置いたのか? これだけ公衆の面前で「手話通訳者は気が散る」と言われてしまって利用者は見やすい席に移動できたのか?
情報保障は、ただその場でつければいいというものではない。手話通訳者とて、事前の情報なくして通訳などできないはずだ。当然、事前に主催者が講演者にその旨を伝え、どういう内容の話をするかを通訳者に伝えておかねばクオリティの高い情報保障にはならない。夢之助氏が手話通訳がつくことを知らなかったのだとしたら、情報保障ということに対する主催者の姿勢が問われる。