お酒と料理とタイガース!

毎日のお料理と飲酒状況。そして愛する阪神タイガースにぼそぼそ…。

オールスターボランティア@東北

2011-07-25 22:22:41 | 日記
行ってきました東北に。

被災者の方は
3/11からずっと
とてつもない悲しみや不自由や不安、諸々に苛まれ
まだまだずーっとその生活を続けて行かなければならないでいるわけで


ボランティアと言っても
たった一日半の事で
行ったなどと言うのもおこがましいのですが


帰った今思うのは

行って良かった。

目の当たりにして見えたことがあった。

そして無力を実感した。

でも又行きたい。

端的に言うとそういうことでして。



ボランティアに行った人が善で
行かない人はそうでないとかでは全くなくて、

でも、ボランティアセンター(以下ボラセン)にテント張って
一週間も滞在してる人を「凄い!」と思っちゃったりして

ボラセンの側に張られているテントの数々


それに比べたら私のしてきたことなんてボランティアなんてもんじゃない…

なんて思っちゃたりする…。

しかも遅ればせながらの4カ月経ってからやで…

4ヶ月後でこんな状態なんだから
震災直後の現状の悲惨さが想像がつくし

すぐに行かれた方達のがめちゃめちゃ大変だったに決まってるじゃん!と
比較して、やっぱり偉い偉くないの世界観が私ってばあるんじゃん!と


千千に乱れる思いの自分に訳がわかんなくなってたりしました。

でもね
根っからのポジティブ女ですから

「適材適所」と言う四字熟語を支えに
都合良く解釈して私なりに一生懸命向き合ってきましたのよ。


そんなわけで
手を貸して下さった
ドラファンN様GファンT(外道)様におんぶに抱っこで
まずは東松島市に行ってきました。



ここでは、畑の側溝の泥出しの作業。
10数人のグループで
ヘドロが渇いて固まった溝の泥をかき出し土嚢につめる作業です。

作業が始まった途端ぐらっと地面が大きく揺れて少しビビったけど、皆さん冷静で
「津波警報が出ないので大丈夫でしょう。警報が出たら直ぐに逃げますから」と言われ
R子少し身構えましたが
ボラセンからグループリーダーへの電話も
作業を続行とのことでした。


私は、男性陣がシャベルで掻きだして下さった泥を袋に詰める補助みたいなことや
溝に残った土を小さなスコップですくったりしてました。

土の中からは大きなはさみ虫がピョンピョンはねて出てきます。
R子、虫は平気なのでものともせず。

これ、田んぼでカエルの世界やったら
泣いて帰ってたわ…と、はさみ虫を見ながら「良かった…出てくるのが虫で…」と
もくもくと泥をかき集めてきました。

側溝が速攻片付いてしまったので、生垣の渇いたヘドロ落としにかかりました。

決められている2時間労働はあっと言う間に終了。

少しだけ「やった感」かな…。



その後、Nさん、Tさんと東松島から20分くらいの石巻の被災地に向かいました。

石巻の市街地は地震や津波の爪後が見てとれるものの

パチ屋もファミレスも普通に営業しているし

ずいぶん復興したんだなぁ…なんて思っていたら

街から5分も走っって海に向かう道から

ん…?と少し様相が変わってきて

パッと開けた景色は…

いちばん奥が海ですね。車の山が堤防になっています…。


3階まで波がきたのですね。ここは海はかなり向こうに感じますが…すごい波だったことが想像できます…

駐車場であった場所にぽつんと流された家。嘘のような光景に、日めくりの3月11日が現実味を…


そこはテレビで観るよりも
言葉を失う
それがありました…。

ヘドロ臭いそこは、
お芝居のSEのようにカラスの鳴き声だけが聞こえる静寂…

ひと月前にここを訪れたNさん曰く
「何ひとつ変っていない。自衛隊の方がたの姿がなくなっただけ」と。
ここは何も前に進んでいない。
優先順位でそういうことなんでしょうね。


3月11日のその時間まで
小学校や民家や水産加工場や、そこにいらした全ての人に
普通に平和な時間がいつものように流れていたのに


本当に自然の力には太刀打ち出来ない
人間の小ささを突き付けられ
何かに?対しての憤りを感じ
でも
何年かかっても絶対に復興しなくてはならない!と
静かに闘志が湧いてくる場所であったのでした。



ショックを胸に仙台のホテルにチェックインし
シャワーを浴びて、仙台の街に繰り出しました。

そこは…

東京とかわらない繁華街。

そこかしこにつけまつ毛をバサバサさせた金髪のギャルがたむろし
見た目だけでは、すぐそこにあんな悲惨な被災地があるとは思えない様相。


さて、心地よく疲れた私たちは
楽天の選手もよく来るという沖縄料理屋でビールと牛タンを頂き



実はこれが一番美味しかった。そーめんちゃんぷるなのだ(笑)

2件目はNさんお勧めの、音楽のない、すごーく静かな穴場でひそひそと
実はとてつもない馬鹿話をしながら日本酒を頂き

3軒めにはいった「仙壱」(仙一のが後から来たし、とのこと)と言うお店で聞いたのは

宮城県内でもかなり温度差があると言うこと。

3人で語るは語るは、呑むは呑むは、あ、それは私だけ…?


男性陣は私ほどお酒が強くないそうで
明日の運転もあるし、良い子の時間に解散。

温泉に入ってマッサージをとって爆睡。



翌日は
相馬市の「はらがま朝市」でボランティアなどと言ってはおこがましい
少しだけお手伝いと
少しだけ聞き役をしてきました。

お店を流された人、水産加工業で仕事がなくなってしまった方
被災者のみなさんが自分達で立ち上がって毎土日に催している
「はらがま朝市」。

支援物資を配布したり
芸能を呼んで被災者の皆さんに話題や娯楽を提供したりと
自ら立ち上がって運営しておられます。


私は居酒屋さんのブースで、焼きそばを焼かせて頂いて
サーバーからビール注いだり焼きそば売ったりのお手伝い。


相馬の方々は、皆さん明るく愉快で気さくなかたばかり。
皆さん罹災してるのに、元気元気。

Rちゃんビール飲みな!飲みな!と、おごってくださったりしまして、
いやいやいやいや!申し訳ないそんなこともったいない!と固辞した私も
調子に乗って皆さんと宴会モード。

美味しいおつけものや、助け合いでお互いのブースで消費したおつまみを頂きながら


その中で、聞きたくていた地震、津波のこと。
少しだけど伺うことが出来ました。

かいつまんで言うと

3/11
大きな地震に驚いて、津波の緊急避難指示は流れてくるものの
みんな疑心暗鬼のままとりあえず逃げるか…そんな雰囲気だったこと

道は渋滞だったこと。
お年寄りの中には、そんな大きな津波は今まで来たことないから大丈夫と逃げない方もいたとのこと。

そして
まるで映画を観ているように、街が津波に飲み込まれていったこと…。


瓦礫は撤収されていたけれど…こんな大きなテトラポットが…海から何百Mも離れた場所まで…


お話を伺ったのは水産加工や市場の方。
船を失くした漁師さんたちには補償があるけど
市場には何もないそうです。


福島は原発の影響で出荷制限があって
お魚もお野菜も規制されているわけで

品物が入らなきゃ魚屋に降ろせない。
でも、その言い分は、魚市場だけでなく
様々な問屋に当てはまるというのが国の言い分。
だから補償は出来ないってこと?

魚屋さんはどうしているのかと言うと仙台から仕入れているとのこと。
でも市場が市場から仕入れたのでは儲けが出ないわけで。

働いても儲けが出ない。

そして瓦礫撤去の日当1万円の仕事も
漁師さんにはあてがわれるけど
仲買には回してもらえない。
「ええっ!?どうしてですかっ!?」と聞いたら
「漁師さんたちが末永く瓦礫撤去の仕事をするためでしょ」
おーい!組合ぃ……

手をとって助け合わなければいけない今なのに
実は真逆を向いている?

これは、実際に話を伺わなければ知るすべもなかったこと。



そんなお話を悲しそうに笑いながら
「Rちゃんごめんね~!飲むとこういう話になっちゃうんだよね~」と
R子泣きそうになりながら、私なんかに話して少しでも気がまぎれるのならナンボでも!
そんな思いでした…。



どうにかならないんですか!?と聞いて
もちろん国にも訴えてはいるのだけど未だ好転しないそうで。

そしてとどのつまりは
「原発がねぇ…」と全員ではあぁーっとため息をついたのでした…。

常磐線も常磐道も原発の影響で向こう5年は復旧出来ない。


そんな風評被害の街で必死に上を向いている皆さん。


最後には
「もっと徒党を組んでバスで国会に乗り込むっぺか!」と息巻いていらして

本当にこちらが元気つけられました…



そして又


ここで生まれ育った人間が、
「家があったのはどこらあたりだっぺなぁ…?」とつぶやいてしまう
何も無くなってしまった町。

何もなくなってしまった瓦礫と呼ばれるようになってしまった
生活や思い出や家の歴史の数々が散乱してる町。

それこそ、この町を離れていた者が帰ってこれを見たら
浦島太郎状態だろうとおっしゃっていました。




私は東京に帰ったら又いつも通りの普通の暮らしに戻るけど

被災者の皆様はこの先も長いこと24時間被災者であるわけで


やはり無力を感じはしたけど

見て聞いてきた事をいつも片隅において

考えて生きて行きたいと思います。


昨晩の深夜の震度5弱。

まさに滞在した場所です。


皆さんの不安な表情が浮かび胸が痛くなります。


震度5と言えば、3/11の東京の体感震度。

1日ずれていただけで怖い目を免れたけど

もし仙台のホテルで深夜震度5に襲われたら

私恐怖で、隣の部屋のNさんに助けを求め、
間違いが起きていたかもしれません(爆)

あらまあ、そんな冗談はいらんねんっ!てか?www



そんなわけで(どんなわけ?)

無理せず末永く被災地に向き合って行けたらと思っております。



少しだけ強くなれたような自分がいます(多分嘘)


最後まで読んで頂きありがとうありがとうございました。


御同行の
ドラファン代表ネガドラ様、エリー様、パンツ番長様
Gファン代表TAKU(外道)様
カープファン代表(素晴らしい後方支援)カツ様
本当にありがとうございました。

オールスターと銘打ちながら4球団のファンでしたが
車の中や、飲み会では、爆笑につぐ爆笑で最高のオールスターズでした。

今度みんなでサザンしばりの会でもいたしましょう!


追記
ツイッターで見つけた
Nさんの裏ブログで涙流して笑いました。
珍道中はここで。ていうか是非見て(爆笑)









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コメント (2)
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