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ゆずりは ~子想~

幼い葉が成長するのを待って、古い葉が譲って落ちることから名付けられた「ゆずり葉の樹」。語りつがれる想いとは・・・

パスワードが なぜか復活していた

2010年01月27日 | 愛ある辛口
ゆずりは~子想~

パスワード不明で、ログインできず。

gooにも問い合わせるも、ぐうの音も出ず。


なのに、今夜

ログインできたよ なんでかな?


新しいブログを 始めてみようって サインかな?

へんなことが あるもんだ

いや きっとこれは 宇宙の采配


「ゆずりは~愛想~」は、こことはまた違った形のブログに育てていこうと

決意を新たにいたしました。

お付き合いのほど、よろしくです♪

地域格差

2008年02月07日 | 愛ある辛口
昨日の新聞だった。
内閣府が5日に発表した2005年度の県民経済計算による、一人当たりの県民所得で見た都道府県別順位。

青森県は、みごと47県中45位。
そうです、所得が低い。
トップは東京都で477.8万円。全国平均は304.3万円。
青森県はというと、平均値から約85万円の差で218.4万円だった。
東京都と比べると、なんと約260万円の差!!
考えさせられる数字でした。

2年前住んでいた山口県が、全国で11位。300.1万円。
堂々11位であるのにもかかわらず、全国平均よりも少ないなんて。

地域格差は進んでいる。
青森県に住んで、山口時代とは出会わなかったような家庭環境の方々にもお会いする機会が増えた。
日々の生活ができるかできないか、子どもの将来のことまで頭が回らない、夫婦で働かないとほんとにやっていけない・・・。
我が家のことが危ういのに、他人の子どものことや、社会のことなんかに目が向けられない、そんな余裕がない・・・。


先日起きた18歳の少年の事件の背景が、厳しい経済状況と生活環境を見れば、この少年の家だけが特別ではないような気がしてくる。
ということは、今もなお、心を痛め、傷ついている少年がたくさん存在しているということなのだろう。

人を助ける余裕がない社会環境にいる人がいるならば、人を助けられる心の余裕ある人たちが奮起するしかないよね。

日本中が病んでいる、と思うけれど、病いに苦しむ者(国)を横目に、「関係ないから」と自分だけの人生を歩くことは、私にはできないな。
「何かできることがあれば、しますよ」って、言っちゃうよな。やっぱり。


幼稚園代と暖房費

2007年11月21日 | 愛ある辛口
本日、とあるモンテッソーリ教育を取り入れている幼稚園の未就園児クラスへ行ってきた。昨年の春に一度行ったきりで、ずっと行っていなかったのだが、急に思い出して、行ってみたのだ。

昨年と変わったのは、当のエリーだった。
一年という月日は、モンテの教具への集中力や、興味や好奇心が雲泥の差だったのである。
楽しそうだった。
一つの作業へ取り組むごとに、頭の中でくるくるといろんな回線をつないでいるのが見えた。いいね、その動き。私はそのような頭えお回転している時の自分が好き。

実は、私が大好きで、身も心も開放される幼稚園があったのだが、エリーにことごとく「行きたくない」コールをされていたのだ。願書をいただき1ヶ月近く、私はどうにかしてそこの園に行きたくなるように仕向けようと、サーヤとも作戦を練り、行きたくなるような行事のことや、やさしくてしっかりと子どもたちを見ていてくれる先生たちや、芯の通った、でも心の豊かな感じの副園長先生のことを話した。
何度言っても、だめだった。何故なんだろう?
男の子とケンカしたこと?
先生に少し注意されたこと?
園庭の遊具で降りられなくなったから?

真意は定かではない。定かではないが、この子の感じる何かを汲み取ってあげることに決めた。

エリーの決定は、いつも白か黒。
サーヤのように曖昧で、迷って決められないということがない。
即断即決!
その彼女が決めたことだから、私はこれ以上自分の望みを押し付けるわけにはいかない。
自宅出産を決断させたのも、きっと彼女だから。
彼女の決断の良さに、私はいつも助けられているから。

っつーわけで、以前に絶賛していた、私の理想の園には、どうやら行けなくなる可能性が大になってしまった。(諦めろって?諦めきれずにいる私)

今日、園で知り合った方といろいろな話をしていると、やはり出てくるのは毎月の保育料他経費・・。
八戸市内は、公立がわずか一園のみ。しかもものすごく遠い。
私立園各園の保育料は、ほぼ一律。山口の時のように、様々な価格帯ではなく、だいたいかかる費用は3万円前後と決まっている。(バス利用によって変わる)

そして、冬。
私たちの家では、11月くらいから暖房費がかかってくる。明日は最低気温がマイナス2度、最高気温1度とか。そんな日の灯油は、ずっと燃えっぱなし。
12,1,2,3月には、月3万かかる。これも、一軒家だから、経費は膨大に膨れるのだ。
アパート生活なら、この3分の2くらいで済むのかな?それでも2万はかかる計算だ。
幼稚園代に3万円、暖房費に2万~3万円。

あなたに支払えますか?
支払えない?そうですか、では次に会うのは小学校で・・・。となるのも無理はない。
厳しい現実。みんな悩んでいる。
私も、悩んでいる。
ああ、でもコブなしで、仕事がしたい。。。

講演を聴いて・・・

2007年09月09日 | 愛ある辛口
昨日は、杉山千佳さんの講演を頷きながら聴いて来ました。
「子育て支援の費用対効果」
「母親の(精神的な)自立支援」
「育児の方法(授乳のしかた、沐浴のしかた、遊び方等)の情報は溢れているが、子どもをどのような人間に育てていくか、子どもの人権を尊重する指針の学びの場や情報が不足している。ほんとは、これこそが大事なのに。」
「子育て家族の問題(ミクロ)から、地域(メゾ)へ、地域から行政・国の施策(マクロ)のことまでつなげて、広げて、考えられる親になるように。自分のこととつながっているのですから。」
等々、心を打つ内容はお見事でした。

講演を聴きながら、自分の活動の課題が見えてきて、その課題の解決策も同時に見えてきて、不思議な講演会でした。
そして、もっとマクロ(国やわが町、我が県の政策、施策、行動計画等)について勉強しなくてはいけないと思い改めました。

今、八戸ではどんな子育て支援をしていますか?その効果は?市民のニーズとは合っているのか?
今後の支援の方向性は?どんな支援を目指していますか?

私たち子育て世代の世代交代は早いです。今生まれた子どもでも、3年すれば幼稚園や保育園に入ろうと思えば入られます。
行政の方へ
その3年を過ぎ去るのを、指をくわえて待っていろと?
嵐のような子育て3年間を、今ある支援と自助努力で乗り越えろと?

子育て中の親へ
3年間指をくわえて待っている?
今ある支援を活用して、時が過ぎるのを待つ?
それとも自分で調べて、自分に何ができるか考えてみる?
「何かお手伝いします!」と言う一言が、社会への参加第一歩のような気がします。そこからあなたは変わるはず。あなた自身と、あなたの周りが変わってくるはず。

こんなことを書きながら、どれを選択するかは自由。
私の役目は、「お手伝いします!」と一声を挙げられる環境作りと、自ら学ぼうと思う風を流すこと。
ミクロからメゾへ、メゾからマクロへ。。。
では具体的にどのように動くかは、これからの課題ですが。

何か資格が? 資格が何か??

2007年04月25日 | 愛ある辛口
何かを提言したり
何かを訴えたり
何かの協力を求めたり
何かの相談を持ちかけたりしたとき

私にとっての話だと、
子育てという専門分野(?)に関係する協力や相談の時なのだけど
相手の方は決まってこう聞いてくる。
「保育士さんですか?」
「学校の先生か何かをされていたのですか?」
「看護師さんでしたか?」
「何か資格をお持ちですか?」

はぁ、またそれですか・・・。
資格がないとお話になりません、とは言われない。
資格がおありだと話が早いのですが、とも言われないが、特に資格は持っていませんと応えると、先方の顔に曇りが生じる場面をたくさん見てきた。
心の中で、
「資格が何か必要ですか?」と問うのだが、言葉にはならず、諦めと無念さがよぎる。
そして、帰宅しながら思うのだ。
「しかくかぁ~。」と。

そんなに「資格」「資格」と言うのなら、いっそそんな資格なんて持たないで、
いっそただのおばちゃんで、行動していってやる!!!と心に決めたり、意地になったりしながらも、どこかにひっかかる「有資格者優先主義社会 日本」。
いやもしかしたら、日本だけではないかもしれないが。

ずっと頭をもたげる「資格取得」。なんなら取れそうなものを片っ端から取ってやるぅ!と、投げやりに思ってしまいそうだが、そこまで私は乱れもせず、てんびん座らしくいろいろな情報を得つつ、いろいろな条件と生活状態と経済と、そして何より自分の思いを照らし合わせて考える考える考える。
そしてとうとう、考えながら1年が過ぎてしまった。このかん、資料請求した様々な講座やら大学やら通信やらからの、「資格をとりましょう!」DMは、2度3度届いていた。封筒を開けて見ては悩み、悩んでしまいこんで、また開けて読む数ヶ月。
結局、どれをも選べず、今になってしまった。
選べないということは、決定打がないってことだ。
ひっかかりはするものの、自分の思いとどこか何かが違っているってことなのだ。

レクリエーションインストラクター養成講座だって、受けよう!と思って、友人に意気込んだメールもしてみたものの、その後の子供たちの体調不良の2週間を経験した後には、こんなんじゃ、7ヶ月間毎週金曜日の夜7時から9時の講座への参加は無理難題と決め込み、結局キャンセルしてしまった。はぁぁあ。こんなんだよ、いっつも。
やろうと思えば、いつでもやれるさ。子どもがもう少し手が離れてからでもいいさ・・・。なんて言ってたら、きっと5年後6年後、その時にはもう現実的な家計救済措置の方に頭が回って、自己実現にほど遠く意識が変わってしまっているかもしれない。
それに、ほらやっぱり、資格なんてなくっても、やってできないことはないかもしれないし・・・。と、逃げ腰なんだか度胸だけはいいんだか分からない自己弁護が始まった。

そんな時、一冊の本を手に取った。
そして、それは迷いの中の私の心に、すーっとミントの香りを残していった。
つづく

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