本庄強のラジオブログ

本庄強のお笑い青年団から発信するラジオ専用ブログです。
たまに本庄強の活動状況も掲載します。

天王寺の泥亀!天王寺駅のホームの謎

2016年07月26日 03時56分41秒 | 歴史

はい!皆さんこんにちは!毎度本庄強ですが、今回は本庄強の趣味で久々にブログ書こうかと思っています!少し色々とありましたから気分転換に前々から書きたかった事を書こうかと思いました。

前回1年前に大阪外環状線の状況を趣味で書いた事がありましたが、今回は阪和線の天王寺駅の謎について語りたいと思います!ちなみに俺もブラタモリちっくな事が好きで、よくブラタモを見て地図や地形など見ますが、俺が一番好きなものは近代建物で明治・大正・昭和初期辺りのもの!特に鉄道遺構・遺跡などが好きなんですね。

今回はたまたま偶然検索で天王寺ホームで引っ掛かった「天王寺の怪」というブログの中のテーマから天王寺駅ホームの歴史を見て心を揺れ動いたのでご紹介します!そのサイトがこちらhttp://parupuntenobu.blog17.fc2.com/blog-entry-923.html 前半  http://parupuntenobu.blog17.fc2.com/blog-entry-925.html 後半のを読んで、阪和電鉄当時に天王寺駅の降車地下出口あったという話に引き寄せられましたので、事実かどうかを自分で調べに行きました。

まずはこちら、環状線側から見た阪和線の8・9番線辺りですが、今は別の新しく作られた地下通路として南北へ通す道として人々の行き来をしていますが、過去にここはあったのでしょうかね。

その隣に発見したのが、この積み上げられた石の中に凹と出たコンクリートの塊は一体なんの台なんでしょうか?何かを支えていたのか?それとも架線の物なのか未知ですが・・・

詳しく見てみたらアンカーが打たれています!という事は、ここに鉄骨か何かはめていたのか?それを何かで支える物だったのか?謎は深まるばかりです。

そして、極めつけはこれ!何の階段だったんでしょうか?保線で働く人用のものなのか?それとも将来何かの計画で作られた物なのかも未知過ぎてわかりません・・・多分お客さん用ではないと思うけどね。

さてさて、問題の地下へ通じたという降車場の謎の地下通路ですが、今はここ7番線辺りですが、ここから探索開始しました。

反対側の6番線の降車の切り替えポイントあたりですが、ここは工事されてなく昔のままなのでホームの下を覗き込んだら、この様に昔の土がむき出しです。

そして乗車近くへ寄ったら怪しい物がありそうです!ここら辺りだけこの様なガラス張り?の様な感じが端までずっと続きます。

終点間際までがパネルの様なものが続いてます!これが地下通路と言われている部分ですが、ただ中はよくわかりません・・・ひっとしたらここは倉庫として利用されているのかも知れませんね。

さらに詳しくアップしました!6番線だけがこの様になっています。

ちなみに反対側の7番線は新しくホームを増設した場所なので、上の様なパネルみたいなものはありません!よく見たらコンクリート打ちっぱなし状態になってます!これが大体のホームなんですけどね。

増設した部分もあり地下通路は廃止されてホームが広くなっているのもそういう意味なのかも知れませんね・・・

おまけ!今、天王寺再開発で阪堺線の線路移設工事が進んでいます。

丁度新線と旧線がこの様な状態になっていますが、何年か先にはこの旧線も消える運命ですね!何年使われて来たのかわかりませんが、歴史ある旧線ですからね。


おおさか東線(大阪外環状線)工事状況

2014年03月25日 22時29分49秒 | 歴史

ラジオとは全く関係なしにブログを書きます!どうも本庄強です。

という事で、いつも気になってる大阪外環状線の工事が毎回気になってました!それで久しぶりにどういう状況かを見て回りました。

まずは赤川鉄橋からスタートしました!ここは去年の10月まで渡れましたけど、今は複線工事の為進入禁止となってます。

そのうしろは、この様に複線工事の盛り土を作っています!ここに一線作って隣の線の改良工事になると思いますね。

ここは赤川鉄橋に近い高架下なんですが鉄橋が一つ新しくなっています。

これをみれば一目瞭然!!というか塗装したのかも・・・

ここも盛り土整備する為に隣にコンクリート壁を作っていますね。

一つ気になるものがありました!銀色に輝いた鉄板を巻いてますが、これって補強なのかそれともここの昔のコンクリート橋の異物落下防止なのか・・・俺の想像では、ここに新しい生コン入れて固まらせて取る工法かと思っています。

城東貨物線は昭和初期に出来た構造物な為、何年も過ぎているからこの様な感じなんですが、その為に所々補強が必要なんでしょうね。

これも中々味のあるものですよ。

昭和の雰囲気が漂います。

もうホームらしきものが出来て来ました!ここは赤川バス停前にあるJR都島駅予定地あたりです。

何かホームにしては狭い感じがしますね・・・まあ、我孫子駅の高架駅も狭いから、そうなのかも知れませんね。

あと、高架橋のかさ上げ工事です!手前が高くて後の方が1.9ほどに設定されていますね!多分ここが線出来たら後もかさ上げされ2メートル以上になるのかも知れませんね。

あとおまけは、野江駅近くの予定地ですが、ここもホームらしきものが出来ています。

あとは西側を撮りましたが、殆ど今は東側工事で西側はあまり手を付けていません!多分東側が出来たら改良工事するのでしょう・・・そうなるとこういう味のある風景もなくなるかも

という訳で、今日はおおさか東線の工事状況をお届けしました。


本庄強のラヂきしスタッフブログ!牛瀧電気鉄道の魅力に迫る。

2014年02月11日 02時58分33秒 | 歴史

これは岸和田に大正時代辺りに計画されていた岸和田の幻の鉄道で牛瀧電気鉄道の予定線の地図です!この地図を探すのに大阪市図書館で三時間掛けて探したのですが、この写真をうちの新聞で是非紹介したいし、そのルートとか調べたい・・・しかしこれには資料が少ないです。

分かってる事は大正12年(1923年)に免許を受理され、その昭和2年(1927年に失効している事で軌道幅は1067㎜・当時の南海と一緒の軌道で距離は約9キロでした!そして地図上では、南海岸和田駅の東側(現在のラヂきし近くのロータリー辺り)がこの鉄道のターミナル駅になる予定であった。

ちなみに俺が小学校の時に見たこの場所の光景は更地でバスの駐車場と自転車置き場だった!あと地図で見る限りでは久米田駅とオーバークロスして駅から乗れる様になっていたかも・・・もし今、この鉄道が走っていたら水間鉄道の様な地味なローカル線で走っていたのかなと思います。

そこで俺が考える!牛瀧電気鉄道の想像(嘘電)の時間ですが、それを是非聞いて欲しいと思います。

岸和田駅から出たらすぐにカーブを曲がりながら西の内へ向い、そこから久米田駅まで向かいます!久米田駅近くをオーバークロスして大町から山手へ東へ向います。

風景は山手地区辺りの田園風景が望めたかと思います!そして、積川神社前を通って内畑まで行く予定でした!でも内畑なら別に牛瀧電気鉄道でもなかったのかも知れませんね!という事は、内畑までだから結局幻で終わったのかも知れませんね。

牛瀧まで行って始めて牛滝と言えるのですからね・・・それにこの計画路線の発起人もその人物の資料も全くない!岸和田の七不思議ですよ(あと六個なんやねん!)という訳で(どういう訳やねん)これを調べたいのですが、知ってる人居れば連絡下さい。

ラジオで取材したいなと思っています!ただあと一つ鉄道という訳ではないが、岸和田煉瓦のトロッコは全て調査済みなんで大体はわかりますが、この鉄道だけは謎ですよ!そんな事で、何れ調査したいと思います。

資料はとれいん工房 森口誠之 鉄道未成線を歩くを参考にしました。