今日は寒かったです。朝もなかなかお布団から出られませんでしたが、昼になっても雲多く気温が上がりませんでした。
娘が帰って来る前にと、洗濯を中断して駅前スーパーまで。買う物は大体決まっていたので、あまり長居はせず帰りました。
外は寒かったのに、家に着いたら汗びっしょり。湿度が高かったのでしょうか。
午後は洗濯の続きをしつつ、フィギュアスケート・グランプリシリーズ NHK杯のエキシビションをTVで観ました。本大会ともに海外選手がほぼ観られなかったことは寂しいですが、日本選手の層の厚さを知ることができて良かったです。
夕食は昨夜のおでんに具を足して。
夜はいつものごとく大河ドラマ『麒麟がくる』視聴。前回は「もうこれしかない」と突き進んだ比叡山焼き討ちと虐殺ですが、信長自身また織田家より幕府や朝廷が戦後処理に追われ、民衆の反撥や非難もあり、誰よりも義昭将軍が信長からの離反に傾きつつある。また信長自身も将軍に失望の色を隠せない——という状況に、光秀の苦悩も深くなります。そしてこの焼き討ちもその後のことも、実はすべて、高貴で美しく清らかな御方であらせられるはずの正親町天皇の掌の上にあった、という展開が凄まじい。
「(信長は)褒めてほしそうであった。——褒めてやった」
って……
一方で松永久秀と筒井順慶の間では、光秀や今井宗久などの仲介もあって一応の和議が成ったわけですが、吉田鋼太郎さんの久秀さん、本当にチャーミングですね。
片や義昭将軍の荒みっぷりも哀しいです。依然「いい人」ではあるんですよ。しかし、むしろ「いい人」であるがゆえにああなっていくというのが……
それにしても、信長が一代で名をなし、ただ一人の力で天下を取った天才的革命児としての描かれるのではなく、幕府や朝廷また諸大名たちの思惑や政治力学(武力ではなく)の中で、そして今や腹心となった光秀自身の思いや言動によって「怪物」に作り上げられていく(もちろん本人の性格や生い立ちも関与して)——という図が、実に面白いです。
この『麒麟がくる』、戦国時代とは英雄たちによる単なる陣取りゲームではなく、戦さとは政治や経済の上に、あるいはそのひずみの中から立ち現れる事象である、ということを、初めてちゃんと描いた作品なのではないでしょうか。今後もますます目が離せません。