またまた冬眠状態(オーストラリアでは夏眠?)にはいった感じのデイヴィッド・ウェナムさん、例年1月に開催される「シドニー・フェスティバル」に顔を見せたという情報はちらっと伝わって来ましたが、公開待ちの "300" 以外の新しいお仕事の話とかは出てないですね。
ワーカホリックかというくらい仕事を入れていた時期もある人ですが、今は充電中なのか、水面下で何か進行しているのか……
まあ、出る時には嫌ってほど情報が上がって来ると思うので、それほど心配はしていません。
"300" 公式サイト(サイドバーからどうぞ)の体裁は整って来たものの、ギャラリーの中に、デイジー=ディリオスの姿は発見できず……
でも、ダウンロード可の壁紙、右下で嵐(?)の中、王様の背後にいる人って彼ですよね?
IMDbのギャラリーでも観られます。
あと、このところ「日刊デイジー」さんで "Answered by Fire" のキャプ画像が続々上がっています。
あまり大っぴらにリンクする気はありませんが、本編DVDをご覧になれない方のご参考までに。海外の皆さんも「珍しくへたれてない。ちゃんとカッコいい!」というご感想なのが可笑しいです。
さて、最近になって、デイヴィッド・ウェナムの演技や、彼にとって「演じる」とはどういうことなのかを、つらつら考えたりしています。
もちろん彼は上手い役者で、他の方の舞台レポートを拝見したり、webに上がって来る音声ファイル等でその片鱗を伺ったりしても、俳優として非常に技術の高い人であることが判ります。
俳優以外の仕事に就いている彼の姿は、正直言って全く想像できません。
しかし、彼はどこか、「役者」であることさえも演じているのではないか、というようにも思ってしまうのです。素の人間が、まず「役者」モードを作り、そこから更に「役の人間」にはいって行く、という感じでしょうか。うまく表現できませんが……
メイクに凝り、姿勢や歩き方まで変えるなど、まず「型」または「形」から作って行くのも、そういうプロセスが必要だからかも知れません。
また、その時演じている役を案外引きずってしまうということを、本人も言っていた憶えがありますし、ずっと彼を追っていても、そんな風に思います。
上手い俳優ではあっても天才ではない。そこには、努力と言うより何か「業(ごう)」のようなものを感じずにいられません。
ヒュー・ジャックマンは、何か他のことに従事している姿もそれなりに想像できるし、出演作DVDでメイキング映像など観ても、切り替えの早さは驚異的です。瞬時にして次元が転位したとしか見えないこともあり、つまり彼にとって「演技」とはそういうことなのでしょう。
もちろん、何がいいとか悪いとか、正しい方法だとかいう問題でないことは言うまでもありません。
──というようなことを、クリスチャン・ベイルという、それこそ次元の違う天才(だと私は思います)の存在を認識してから、あれこれ考えてしまうのでした。
これもまた、何が上だとかじゃなくて、ひとことで「なりきり」型の演技派と言っても、方法論や行き方はそれぞれ異なるのが面白いなぁと思っただけのことですが。