スチュワートからジャグワー(フォード)に変わり
2000年から2004年まで参戦します。
スチュワート時代の右上がり感は失くなりシャーシは駄作連発、
チーム体制はガタガタ(チーム代表がコロコロと変わりました)、
ニキ・ラウダまで引っ張り出したのにそのニキさえ解雇されたり、、
大メーカーの割にドタバタしたのだけが記憶に残るていたらくでした。
画像は2000年のR1
レッドブルレーシングの元の元になった
スチュワートグランプリ。
1997年から1999年まで活動しました。
3度のドライバーズチャンピオン、
通算27勝のジャッキー・スチュワートが息子
ポール・スチュワート(一応レーサー)と興したチームで
スチュワートが現役中から懇意のフォードの強力なバックアップで3年めにチーム初優勝まで果たします。
それに気を良くしたフォードがスチュワートグランプリを買収、
2000年からジャガーブランドで参戦する事となりました。
画像は1999年第14戦 ヨーロッパGPで優勝した
スチュワートSF-3
チーム設立6年で
ドライバーズ/コンスタントラクター
のダブルタイトルに輝いた
レッドブル。
成功した新興カンパニーの
道楽と思われがちですが
道楽でチャンピオンになれるほど
F1界は甘くない……
本気でチャレンジしなければ
成し得なかった快挙です。
そんなレッドブルレーシングの
今までを様々な角度から辿る
第1回
まずはチームの遍歴。
昨今、
F1チームは新チーム
立ち上げが相次ぎますが
たいていは元になるチームがあります。
撤退による売却
買収
下位カテゴリーや他のシリーズ
からF1に来たチーム
といろんなパターンがありますが
レッドブルの場合前身は
ジャガーレーシング。
そのジャガーレーシングの前は
スチュワートグランプリ。
スチュワートグランプリが
F1デビューしたのが
1997年でしたから
全て合わせても14年の比較的新しい
系譜です。
それでは次回は
いまに続くレッドブルレーシング
の発祥となる
スチュワートグランプリを見てみます。
そして2010年、
フル出場としては初めて2年続けて同一チームからの出場です。
レッドブルRB6は昨年のRB5をベースに
2010年レギュレーションに適応したもの。
レッドブルオリジナルのブローンディフューザー。
またシーズン中にマクラーレンが開発したFダクトを導入するなどの積極的なマシン開発で本来のパフォーマンスの高さもあり、
ついにセバスチャン・ベッテルに
“1回目”の
ドライバーズチャンピオンと
創設6年目にしてレッドブルに
コンストラクターズチャンピオンをもたらしました。