狼獣人レイオンとの出会いから、理緒は池の前に居た。
レイオンとの刺激的なやり取りの後、一気に緊張が解け腹の虫が鳴ったのである。
本当は池の中の錦鯉らしき魚を捕まえて食べたかったのだが、もし捕まえて食している所を誰かに見られたら、猫の自分なんて虐待されて殺されるのがオチだと、なんとか理性で踏み止まる。
そう思うと涙が出そうだった。
虐待されて、殺されそうになるっていうシチュエーションを想像したからじゃ無い――お腹が減ったから、きっと体も心も弱ってるんだろう。そう自分を叱咤して、明日を生き抜く為に食べれそうな物を探す。すると何やら美味しそうな匂いを敏感な鼻はキャッチした。
匂いにつられて、中庭から入り組んだ廊下を通りある一室まで来ると、料理人達が忙しそうに夕飯を作っていた。
「急げ、今日は覇者殿がご降臨された宴なんだ。気合い入れてけよっ!!」
「「「「「オウッッッ」」」」」
掛け声と共に各自それぞれ調理に赴く。
「オイッ、火加減強すぎるぞ。もうちょっと弱くしろっ」
「微妙な火加減なんて無茶言わんで下さいよ。余熱で何とか。この調味料を混ぜて……この位かぁ?」
仕上げにお玉で混ぜてから鍋をどかし、石で囲った燃え盛る火を銀の大きな蓋で覆いかぶせてパッと一瞬で消し上げる。
「焼鳥10人前出来上がりました!」
「そんなんじゃ全然足りねーぞ!後30人前だ!!マット、そろそろお前は魚の調理を始めてくれ。ダリオッ!!スープが薄いぞ!ダブルゴをもう少し追加だっ。残りの奴、野菜の上に炒めた肉を盛れっ!後50人前!!」
「ゴードンッ、市場から果物100人前届いたよっ!!」
「よし間に合ったな、全て皿に切り盛ってくれ!!」
所々からグオーーやら、オオオオと轟く声が響く。料理と言う名の戦闘パーティを組んで料理と激戦している様だ。ある意味、台所は戦場だと父から聞いた事があるがその言葉がピッタリと当てはまる。
男たちの汗や激が飛ぶ狭き激戦地区――厨房。
10人位が余裕で動ける広さの日当たりの良い研磨されたキッチンは、広い流しと複数の釜戸。コンロと呼べる物は形を揃え研磨した石を楕円形に並べ、その上に鍋物やフライパンを乗せて調理出来るように設計されていた。
壁側、中央には四角いテーブルが並び、コックが着る様な白い戦闘服曰く、清潔な調理服が勇ましい。包丁で滑らかにリズムを刻みながら野菜を切り、強火で熱したフライパンの中の物が宙を舞う。果物が彩りよく、芸術的に盛られる様は圧巻そのもの。
ここだけ物凄い温度差だ。華々しい王宮とは別の空間が出来上がってる。
薬味が効いた柔らかいクリームスープの香り
ジュワッと焼き上げ、肉汁が滴り落ちる栄養満点のステーキ
ババロアらしきプティングの周りに所狭しと敷き詰めた大量のアプリコット
その他テーブルには既に肉や野菜を挟んだサンドウィッチ、七面鳥に似た鳥の丸焼きや燻製が大量に皿に盛られていた。
口から涎が出て、思わず「ニャアァ(美味しそう……)」と鳴いてしまう。
その時、まな板の上で魚をさばこうとしている料理人と目が合った。
(し、しまった。怒られちゃう)
思わず身を固くしてギュッと縮こまる。最悪怒鳴られて蹴られるのかと予想してしまった。
「お前、真っ白い猫だなぁ。そうだ、今から魚をさばくからお前にも分けてやるよ」
「ニャ?(え?)」
「ちょっと隠れて待ってろ」
言うと厨房とは別の一室へ案内してくれた。そこは彼らの休憩室で、10畳位の広さに、簡素な四人掛けの椅子とテーブル、ソファがある。其処で待つ様に言われ大人しくする事にした。
ドアから出た料理人は素早く魚をさばき、お皿の上に数切れ盛るともう一つお皿を持って来た。白い液体が見える。
男の人が膝を床に付け視線を合わせてきた。無表情なのに優しそうな雰囲気が伝わってくる。年は25いってる位だろうか? ライトブラウンの髪に柔らかな茶色の瞳は何だか安心する。
「さ、食べろ」
「ニャ、ニャアア?(い、いいの?)」
「刺身とミルクだ。毒なんて入ってねえよ。本当はキャットフードが良いんだろうけど、今在庫を切らしていてな。お前これ食べれるか?」
「ニャア!(うん!)」
「おっ、いい食いっぷり。よっぽど腹が減ってたんだな」
ガツガツ刺身を食べる。異世界でも魚は美味しかった。サーモン風味で脂が乗ってるがしつこく無く、後口爽やかなのは新鮮だからだろうか。
(嗚呼、これ美味しい)
ミルクを舌で舐めるが、お世辞にもまだ慣れてなくて、床にいっぱい溢してしまった。
先日まで人間だったのに、猫になって皿を舐める日が来ようとは。自己嫌悪していると、白い布で優しく口元を拭ってくれた。
さりげない心遣いが胸に沁みる。自分の元居た世界での、優しい兄二人を思い出した。
「さ、もう行きな。ここは料理長がうるさくてな。ほら、あの太っちょの。お前に飯やったことがバレると叱られるんだ。けど、ここの料理人は皆優しいから、他の奴等ならお前に食べさせてくれるさ。腹減ったらまた来い」
「ウニャア(ありがとう、ごちそうさまでした!)」
「じゃあな。おっと、池の鯉を食べるんじゃねーそ」
あの鯉、料理長ゴードンの飼ってるペットなんだよと、優しく撫でられる。
鯉の事を諦めて、感謝を示すために料理人さん(さっきマットって呼ばれてたな)に顔をすり寄せて、手をペロペロ舐めた。
大きな手が喉を撫でてくれて、『ゴロゴロ』と勝手に喉から音が出た。驚きつつも尻尾を振って、そっと裏口から抜けさせて貰う。
人間にも良い人がいるもんだなと、感慨に耽った所で眠くなってきた。
腹が満たされると眠くなるのは猫でも通用するみたいだ。
あの日当たりの良さそうな屋根に登って日向ぼっこしたいと思ったのだが登れる所が無い。跳び乗って行くにはまだ屋根は無理そうだ。木にはなんとか登れたので、塀にジャンプしてポテポテ歩く。
塀から下を眺めているとある一室に、私の世界で言うたて髪のあるライオンにそっくりな獣が居た。周りは檻に囲まれて出れないようにされてる。
私の世界ではアフリカ大陸の王者。
過酷な砂漠で、生きる為に弱者を捕食する勇猛な獅子。檻があるし大丈夫だろうと思って好奇心から近づいて行った。
その部屋へは窓が開いてたのでそこからピョンと窓の脇へジャンプ。猫になって分かった事がある。体がとてつもなく軽くなり、高い所へ跳べるようになった。さっき屋根から跳び降りた時、地面にぶつかる前に前宙返りをして降りれた。つまり体が柔らかい上にしなやかになった事。人間だった時に比べて身体能力が上がったのでは? と推測する。
檻の中にいる獅子は藁に寝そべるようにして眠っている。
檻にはカギが掛かっていた。初めての獣サンとの会話に緊張しながらそっと話し掛ける。
「ニャア(こんにちは)」
「ガル?(誰だ?)」
「ニャ、ニャアッ(私、理緒って言います。あの、貴方はライオンさんですか?)」
「グルル(ライオン? 俺の名前はガウラだ)」
聞くとライオンという呼び名の獣はこの世界には居ないらしい。
“カイナ”という高い知能を持つ獣だという。自分の耳にスラスラ入る日本語に、不思議に思いながら訊いてみた。
「ニャ?(どうしてこんな所に閉じ込められてるんですか?)」
「グルルル(足を怪我してる所を狙われて捕まったんだ。足の怪我は治して貰ったんだがここから出して貰えない。今では良い見世物だ)」
そう言って辛そうに眼を伏せた。
ホントなら王者らしく振る舞える獅子が、こんな狭い檻に閉じ込められて人間の欲を満たす為に見世物になるのは耐えられる筈がない。なんとか助け出せないかと思案を巡らせたが、今の私はただの猫。何も出来ないと悟った時、自分が情けなくなった。
「ガルルル(リオは俺が怖くないのか?)」
檻越しとはいえ、今までこんな近くで喋りに来る猫は私が初めてらしい。不思議そうな顔で、全身を見つめられた。
「ニャアアア(怖くないと言えば嘘になります。だって貴方も肉食獣だから)」
小さいなりして、猫である自分だって肉食獣なのだ。野良ネコは、鳥やネズミだって食べる事がある。私は勿論無理だけど。
ただガウラ程の強者に敵わないだけで・・・
彼は私を殺そうと思えば殺せることも理解してる。私は今まで人間だったから、この獅子と喋れる事を知り、情が移ったのかもしれない。逃げるよりも先に、興味が勝った瞬間だった。
そして考える。なんて曖昧で勝手な生き物なんだろう、人間って。人間の気持ち一つで生き物が殺されたり生かされたり。獅子でさえ食べる為にしか捕食しないのに。猫になって動物の気持ちが解りつつある事に、自分への苛立ちが募った。
(触れてみたい……)
決心して、自ら檻に近付いて入れるかどうか試みた。顔とお尻で途中引っかかったものの、どうにか通ることが出来た。ビクビクしながら、それでも果敢に近づいてくる私に驚いたのか、ガウラは目を丸くさせてこちらに視線を合わす。
「ニャアアッ!(ガウラ、猫は食べても美味しくないよ!)」
「グルル(そうか?お前はとても美味しそうだが? でもリオは襲わない)」
ガウラは襲わないと誓う。保障など何処にも無いのだが。
恐る恐る近づき、伏せている体にそろりと白い体を寄せてみた。獅子の体が少し身じろぎする。尻尾を一振りして擽ったそうだ。
「グルルル(リオは変わっているな。誰も俺みたいな肉食獣には近寄ってこないのに)」
「ニャア、ニャア(言葉が解るから近づいてみたくなったんだ。でも人間の時だったら絶対無理だったかも)」
人間? とガウラが不思議そうに訊ねてきたので今までの事を話した。
私が今まで居た、こことは別の世界の事。夢で見た女の人の事・・・琥珀色の瞳が面白そうに丸くなったりして、私は人間だと主張する話を、ガウラは口をはさまずに静かに聞いてくれた。
お互いの話を夢中で話している時に、今度こそ瞼が閉じてきた。どうやら就寝の時間らしい。いつもより寝るのが早いのは、体も心も限界に達し、きっと今日一日色々な事があったせいだ。
(ほんのちょっとだけ……)
ガウラに体を寄せて、そのまま眠ってしまった。
〜〜ガウラ視点〜〜
眠りに落ちた白い猫を見て溜息を零す。
安心しきった顔で「ニャァ(白身フライだぁ)」と寝言を呟いている様だ。寝惚けて自分の白い手を魚と思い、甘噛みしてヨダレだらけにするその動作に微笑ましく頬が緩む。
はて、白い猫はこの世界に居ただろうか?
リオの無防備な姿を視界に留めながら過去の記憶を辿ると、一度だけ目にした事があった事を思い出す。そう、確かあれは――
過去の事を逡巡していると廊下から響いてくる規則的な足音に掻き消され、自らの神経が研ぎるのを感じた。
ここにリオが居るのは不味いのではないか? 白い猫は悪いようにはされないと思うが、と不安がよぎる。
何か掛けるものをと、理緒を起こさないようにして動き毛布を口に銜え全身に掛けてやる。その矢先、部屋のドアが開き、牢のカギを開ける音が響いた。
〜〜理緒視点〜〜
「〜〜!〜〜〜!!」
額にペチペチと音が聞こえる。
瞼を開けると目の前に、人間で言うと拳より少し大きめの灰色ネズミが小さい手で額を叩いていた。
特にネズミが苦手では無いのだが、それでもゴキブリに比べればマシなだけだ。当然驚いて毛を逆立て警戒した。
「フ、フゥゥ!!!(げ、ネズミ!!!)」
「チュ、チュゥゥ!!(げ、とは何だよ。ていうか、オイラを襲うなよ!!食べても美味しくないぞっ!)」
「ニャアアッ(襲わないし食べないよっ!!)」
このやり取り、獣や動物の間では主流になりそうだとゲンナリする。
弱肉強食の世界に自らも巻き込まれているのだから笑い話で済まされない。
そりゃ、食べる物に困った時は小動物を襲わないなんて自信なんて無い。ただ、幾ら生命の危機に瀕していても生きたままは絶対嫌だ。人間だったプライドに掛けて、これだけは譲れない。
売り言葉に買い言葉で襲わないと誓ったものの、どうにもチョロッとしたしっぽに目が移り、ウズウズして本能で追いかけたくなる。玩具を見つけた時の興奮と似ている。こんな時に猫がネズミを襲う気持ちが解りショックを受けた。
「チュウチュウ!」(大変だ。猫の嬢ちゃん。ガウラのおっさんが連れ去られたぞ!)
「ニャ、ニャア??」(え、ガウラが?っていうか、貴方は誰?)
「チュウッ」(オイラはネズミのハンスっていうんだ。結構この王宮に詳しいんだぞ)
とにかく話は走りながらだ!とハンスが主張するので鍵の開いた檻からこの部屋を出る。
盛大な催しの為か、通路には誰も通っていなく、明かりの灯ったランプだけが寒々しく点かれていた。華々しい雰囲気の王宮だけに、もの静かな通路を見て寒く感じてしまった。
ハンスが言うには、王宮に招かれた商人が覇者の出現を祝うために催しを始めるらしい。
ただ単に場を盛り上げるための演出、それをガウラにやらせるとお喋り好きな鳥たちから情報を聞き出す。だがその後が肝心だった。それが終われば用済みで、ガウラの命が無いらしい――と。
居ても立ってもいられなくて、ハンスはこの状況を救いだせる存在――覇者であるリオに救いを求めた。
「ニャアア(覇者じゃないと思うけど。わかった、やってみるよ)」
「チュウウ(頼むよ。ガウラのおっさんは獅子の中では王的存在なんだ。おっさんが居ないと仲間の獅子達が魔物を引き連れて、王宮に攻め込んで来る可能性がある)」
獅子共が魔物を引き連れてくるとなるとこの首都がどうなるか。ネズミのハンスは自分よりも小さな体は震えていた。
私はというと、猫パンチしながら気合いを入れる。
(無事に助けられれば良いな……)
心優しい獅子の友を救うために――
平凡青年 料理人 マット
獅子“カイナ” ガウラ
ネズミ ハンス
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