かるるーと

- karu root -

横浜美術館に思う

2010-10-29 23:22:19 | 美術


ドガ展観に久々に横浜美術館(桜木町)へ。
しばらく記憶の奥底にあったあのアクセスの悪さと箱物っぽい空間に目眩を覚えた。まぁ講義の後だったのと行きの列車で立ちっ放しで疲れてたのもありますが、あの長~~~~い動く歩道をぶっ壊して有楽町界隈みたいに無料巡回バスを運行して欲しいものです。これはホント、マジで思う。
寄り道しやすい体質の私を用事も無いショッピングモールに誘導しないで欲しいw

ドガの出品作自体は悪くないがあの展示室の構造がどうにもならない。1フロアごとにいちいち外に出される造りなのでなんだか興醒めする。エントランスホールに散在する無機質な20世紀彫刻を見せられるからかもしれないが、企画展の世界にどっぷりと浸れない。それと常設展のまとまりの無さにも辟易した。
単なる好みかもしれないが、横浜美術館や渋谷Bunkamuraはいつも物足りなさを感じてしまう。どちらもそんなに広くはないがBunkamuraは展示の構成でうまく行くこともあるが横浜は改装しないと直らない気がする。

ドガは印象派のグループにいたが厳密にはあんまり印象派っぽくない。色というより明暗表現が勝っているし数少ない風景画以外では輪郭線を引くことが多い。目が悪くなってパステルを使い出してもモネのように形態を失わなかった。ルノワールと同様、その多くは人物がテーマだったこともあり、純粋な印象派の技法に合わなかったのもある。印象派の理論と技法はモネ、ピサロ、シスレーなどの風景画家のためのものだと思う。セザンヌの風景画には印象派の痕跡が最後まで見られるが静物画や人物画では全く違った方法となっていることからも明らかだろう。

ドガはかなり写真を利用している。動くものをモチーフとしているから文明の利器を利用しない手はないだろう。しかし写真の利点ばかりで欠点を見出さなければ絵画としての意味が無いことも問われた時代だったと思う。ややパースがきつめで床が坂道になりかけてるのもあるが広角でも垂直線だけは絶対に傾かないところなどは写真丸写しの日本のリアリストは学ぶべきだろう。表現として意図的にやってる場合は除くが多くの場合、無意識なのが正直なところだろうと思う。再現としての絵画空間における遠近法の原則は明治後期以降、公的にはほとんど教えられていないのが現状なのだから。皮肉なことに印象派が大々的に紹介されて以降と重なる。アングルの教示を受けてひたすら線を引いたドガの精神は長らく埋もれていたが、今こそ「線を引く意味」を考え直してもいい時期ではないだろうか。