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蒸し返したくもないんですが……、北京五輪で露呈したアマとプロの距離感について

2008年09月13日 22時58分43秒 | 野球愚痴
今週の『週刊ベースボール』(9月22日発売号)が球団マスコット特集ということで、喜んで買ってきたんですが、同封のカードの絵柄が金満兎でガックリ……。しかし、巻末あたりの連載記事に目を奪われました。


短期集中連載~北京オリンピックの検証(第2回)
『プロ球団が闘っていたもう一つの“敵”』



内容は、国際野球連盟(IBAF)の登録審判員(日本で8人しかいない)であり、北京オリンピックにも参加した桑原和彦氏にインタビューし、北京での敗因を審判員の目線で挙げてもらう、というものです。

まあ、基本線としては星野氏の「審判のせいで負けた」発言に対する反論です。と同時に、国際試合における経験と準備の不足を指摘しているんですが。


・この土俵(IBAF主催大会)で戦うのは前々から分かっていたこと。予選リーグの間に審判員の特徴をつかむのも一手だった。キューバのディアス(3位決定戦での球審)は何度も来日しているし、五輪も3度目で、研究する材料はいくらでもあったはず。

・4年前のアテネ五輪に比べたら、外角はやや狭くなったし、内角はボールの一部分がゾーンを通過すればストライクとなった。これはメジャーリーグの流れにアマチュアが追随した形だ。

・日本チームのマナーの悪さとして他国の審判員と話題になったのが2点ある。ひとつは投球のインターバルが長い。もう一つは捕手がストライクと決めつけて立ち上がったり、キャッチ時にミットを動かすこと。(審判を騙す=侮辱行為である)

・野球は審判員がいて初めて成り立つ。日本は「仲間」という意識が希薄だと思う。(審判=敵という意識があるのではないか?)



また、日本チームはベンチ前のキャッチボールの禁止や内野手がマウンドへ行ける回数(2回)など、NPBにもあり得ない規制にも気を使っていたとされています。それらをもってして星野氏の「他の世界で野球をやっている感じ」という表現に結びつく訳ですが、これに対して桑原氏は


「『他の世界』ではなく、これが本来の世界だということを気付いていない。日本だけが、世界標準のスタイルと違っていたということです」


と、厳しい分析で締めています。


日本のプロ野球でも、研究能力そのものについてはレベルは高いと思うのですよ。例えば先乗りスコアラーの活用によって、個々の選手の得手不得手、クセや傾向を細かく分析している。メジャー式データ研究にもちゃんと追随している。

ところがそれらはベクトルの大きさは等しくとも、あさっての方向を向いている。

星野氏はじめ首脳陣(別名、六大学三馬鹿トリオ)は、方向を間違えているのに気付かず、大きさも「こんなもんでいいだろう」と高をくくった。「(小さな)日本の世界」を世界共通なものであるという大いなる勘違い。勘違いなら直せば何とかなる。しかし彼らは気付かなかったのか。もしくは気付いたものの、根拠不明の自信を使ってそれを打ち消したのか。

実は、対策を講じる機会はいくらでもあった。五輪終了後、某誌に掲載された松永怜一ロス五輪監督のインタビュー記事で

「ロス以降、脈々と研究を続け積み上げてきた、数百ページに渡る報告書を手渡しははずだ。果たしてそれをキチンと活かしていたのか、到底思えない」

と。これを読んで愕然としましたよ……。

つまりね、桑原氏の指摘したことは日本だってとっくに知っていた。審判の対策も、国際球の対策も、行き届かない球場設備についての対策も、突然のルール変更や不可解な裁定についての対策も。そしてノウハウだって全部作られていた。

それらを一笑に付したプロ側の態度は「アマ野球を知らなかった~」では済まされないレベルではないか。


ともかく、例え監督が替わっても、課題点だけは残ります。ただし、北京の報告書を星野氏は自筆でまとめるつもりは無いらしいですので、放り投げられた残る側の人たちでなんとかしなければならないのですが……。北京で噴出した数多くの問題について、これから一つずつ潰していかなければ。それも次期監督ひとりに押し付けるのではなく、組織として取り組まねばならないでしょう。私には、今回の件でアマとプロの溝がまた深く掘り返されたような気がしてならないのですが、プロが素直に非を認め、頭下げて教えを請いに行かなければ、この先の国際舞台(WBC、五輪)における日本野球の復権は望めないと思います。