クーたんとココ君のお家

燕尾服を着た女の子クーたんと神戸から来たやんちゃ坊主ココ君の小さなドラマ。

ココの目

2008-08-11 10:00:00 | Weblog
ここ数日僕が気になり、注意して観察しているのは、ココの左目である。ココ自身は全く気にせず、元気に遊び、食欲も変わらず、時にはクーの残したカリカリも、食べてしまうほどであるが。
数日前の夜中の事、ココに起され、じゃれさせていた時、ココの目の開き方が左右違うのを見付けた。左目の開き方が、右目に比べると心持小さく、瞳も左によっている。気の性だろうと思いつつ、夜だけでなく、朝、昼、居間で遊んでいる時も、注意深く見ていた。今朝も、パソコンの横で、薄目を開けて休んでいる時、おもちゃを探している時に観察した。やはり左目の開きは小さく、瞳も目の中心より左に寄っていた。それと、クーと一緒に居る時でも、瞳の開き方が、クーの倍位大きいのである。ココの視力はクーに比べて低いのではないだろうか。
何故だろう。ココは、神戸でリングちゃんに助けられた時には、猫風邪を引き、その合併症で結膜炎になり、完治したのは昨年の9月であった。その後遺症で、視力が落ちてしまったと思う。悲しい事だ。
このブログで僕は何回も書いた事であるが、仔猫を捨てる事は、道義的な罪だけではなく、動物愛護管理法にも反する、犯罪である。昨日の東京新聞朝刊生活図鑑は、ペットにまつわるトラブル 「家族の一員」生涯飼育が大原則の見出しの下、ワン・ニャンの飼育についての特集が掲載されていた。それによると、06年自治体に引取られた猫は、大人65,883仔猫166,167合計232,050匹、犬は合計142,110匹と猫の方が断然多いのである。仔猫・犬では、仔猫の方が6.7倍も多いのだ。譲渡数(命を助けられた)は猫4,427匹、犬28,942匹と猫は犬に比べて、6.5倍も少ない。人の手で殺処分になったのは、341,063匹で、新たな家庭が見付かったのは、9.78%に過ぎない。残念ながら日本は、動物愛護に関しては、4等国である。
因みに、愛護動物をみだりに殺したり傷付けた者は、1年以下の懲役または100万円以下の罰金。愛護動物を遺棄した物、50万円以下の罰金であるが、この罰則は低いと思うのは、僕だけであろうか。
クーやココのように、遺棄されても助かり、幸せに暮らす猫ちゃんは、まだ極々少数である。

2008-08-10 03:51:55 | Weblog
今日から毎週日曜日のブログは、僕の信仰随想を書かせて頂く。第1回目は『白』。キリスト教会特に、聖公会(英国国教会)カトリック教会、ルーテル教会では、色に信仰上の意味を持たせている。そして、それに合わせて、祭壇、聖書台、説教壇を布で覆う。その中でも白は、純潔、純粋、喜びを表わし、キリストの降誕、復活の季節は白の布を用いる。聖婚式(聖公会では、信徒の結婚式)や未信徒通しの結婚式、幼い子供の葬送式の祭壇の色は白である。近年は大人の葬送式でも白が用いられるようになった。
結婚に白を使うのは、日本古来の信仰と同じで、純潔と喜びを表している。今日の写真は4年前の息子の聖婚式開始前の祭壇を写したもので、祭壇、聖書台、説教壇、バァージンロード、会衆席の花、全てが白で統一されている。また、花嫁のウエデングドレスと白無垢の衣装も、宗教は違っても同じ意味がある。
こおして見ると、心も色で表す事が出来そうだ。僕のような中年過ぎの人間は、思惑やしがらみの中で生活しており、焦げ茶色にくすんでいる。孫のような幼子は、何の思惑も無く、純粋に生きており、色は白だ。ワン・ニャンも心に陰りは無く、ただひたすらに、自分の今ある環境の中で生きており、白く純な生き方をしている。僕は彼らの生き方が羨ましい。今もココは画面の前に座り、遊びをねだっているが、その目は透き通り、陰りは全く無い。白い心である。
今日の祈り
主よ、我らにも幼子やワン・ニャンのように、無垢で陰りの無い心で、神を信ずる心を与えたまえ。

シンプルが一番

2008-08-09 09:07:14 | Weblog
昨夜食後ソファーに横になり、何時ものようにうたた寝をし、目が覚めると北京オリンピックの開会式が始まっていた。眠気には勝てず、ココと一緒に布団に。0時半頃僕の足首にじゃれて遊ぶココに起された。寝酒でも飲もうと居間に入ると、テレビでは、オリンピック旗入場の模様が写されていた。紹興酒のサイダー割りを作り、再びテレビを見ると、開会式場に、聖火が入って来たところだった。最終ランナーの体操選手は、吊り上げられ、空中を歩くようにして、聖火を点火した。何ともかんとも凝った演出にアングリ。此処迄凝らなくては、国威発揚は出来ぬのかと、疑問に思った。
東京オリンピックの時、僕は高校生であり、開会式当日は、全国の学校が休みになって、僕も自宅のテレビ放送を、両親と一緒に見ていた。整然とした入場行進が終ると、若いランナーが聖火を掲げて入場し、グランドから国立競技場最上段の聖火台迄一気に駆け上がり、高く聖火を掲げた後点火した。非常に爽やかであった。今回のように凝った演出ではなく、シンプルであったが、40数年たった今も心に残っている。また、競技で見たのは、マラソンだけだ。他の競技には入場券が必要だか、マラソンは無料であり、僕の住む街を走った。キューピー仙川工場から下る滝坂を、はだしのアベベが先頭で、爽快に走って来たのが印象深く心に残った。
演出もあまり凝ると、その目的が消えてしまうのではないだろうか。また、最近はスポーツ放送で、放送局が芸能人を使って、ヤラセ応援をさせているが、応援は観衆から自然に出たものであり、是非止めてほしい。スポーツを芸能バラエティーにして欲しくない。
時計を半日程戻そう。クーは写真のように、玄関の下駄箱で朝寝をした後、台所に入り「ゴァーン」と言って、昼ご飯を食べている時であった。突然家が揺れだし、棚の物が当たって音を発てる。30秒以上縦揺れと横揺れが。クーは食べるのを止め、洋間の広いところに逃げて来て、何時でも駆け出せるように伏せた。一方ココは、僕の寝室でお昼寝の最中で、一言も発せず寝ていたようである。猫でも男のこの方が肝が座っているのか?

尻尾仕舞い

2008-08-08 07:02:19 | Weblog
最初にクーが正座を見た時、尻尾をきちんと身体の横に付けていた。(6日の写真のように)食事をする時もクーは尻尾仕舞いをしている。これは上品な姿に見え、猫の美しさに惚れ惚れしたのである。勿論寝ている時は、だらりと下げたり、身体の真後ろに伸ばしている事も多いが。クーは香箱座りで休んでいる時も、尻尾は身体の側面に付けている。
全ての猫がこういう尻尾仕舞いをするとばかり思い込んでいた。ところが、ココが来て、良く見ていると、座った時、伏せている時、ご飯を食べる時、何れも尻尾は真後ろに伸ばし、先っぽだけがGの字状に曲がっているのだ。極まれに身体の側面に尻尾を付けている事もあるが。
そして、伏せている時はクーと違い、香箱座りは滅多にせず、両手をビューンと真直ぐ伸ばすか、Ⅹ状に組む事が多い。今も僕の隣のソファーで伏せているが、尻尾は真直ぐ後ろに伸ばし、先っぽは僕の靴下の上に置いてある。勿論手はⅩ型組んで、台所で仕事をしている家内を、キョロキョロと首を回しながら見ている。さも、何か面白い物を見付けたら、すっ飛んで行くと言う格好だ。

元気の源は?

2008-08-07 09:18:57 | Weblog
今朝も朝から強い日差しが、家の中に差込、レースのカーテンをしていても、眩しいほどである。部屋の中でも、クーラーを付けねば、28度を簡単に越えそうだ。こんな日でも、我家のニャンズは大変元気である。元気の源は何処にあるのだろうか?
二人はこんな暑い日でも、クーラーから出る冷風を嫌い、クーは30度を有に越える、西側の部屋や出窓で寝ている。今日は気分を替えるのか、玄関の下駄箱の上で横たわっていた。ココはクーが居る玄関より多少温度は低いが、28度以上ある寝室の箱の中で寝ているようである。食欲も全く落ちない。ココは今朝も5時にご飯を食べ、部屋中を駆け回り、おもちゃを出して遊んだ後に、台所のカリカリの容器を手と口で床に落とし「ミャモー・ミャモー」言ってご飯のお代わりを催促した。それを食べると、やっとお腹がくちくなったのか、原稿を書いているパソコンの横で、居眠りを始めた。ココが寝た後今度はクーが起き出し、やはり朝ご飯の催促だ。夜食が少なかった為か珍しく一気に食べ、スウーっと部屋に戻った。
二人は居間に居る時でも、冷風が直接当たる場所には来ないで、遊んだり、居眠りをしている。その代わり、部屋が乾燥しているのか、水分補給はまめにしている。春頃よりも水は多く飲むようだ。それで体温調節をしているのだろう。二人が人の言葉を話せれば、元気に暑さを乗り切る秘訣を聞きたいものである。

猫の美

2008-08-06 09:50:54 | Weblog
今日はまず写真を見て頂きたい。クーの頭から首そして背中、尻に流れる曲線。本当に美しいフォルムだ。静かであり、気品あるポーズ。こんな猫の姿を見る度に、自然の作る美しさを感ずるのは僕だけであろうか。犬も、秋田犬や柴系統の日本犬は、座って尾を丸めた姿は、日本画的な美しさを見せられる。
先日訪れた、淡路の中浜稔猫美術館にも、水墨画で描かれた、凛とした美しい猫が展示してあった。岩合氏の猫の写真集の中にも、美しく座った猫が載っている。猫なんてと思っていた頃は、彼らが時折見せるこの美しさを、何とも感じなかったのだが。
また、香箱座りをしている時のフォルムも美しいと思う。我家では、クーが今のテーブルの上で休む時、この姿勢になる事が多い。思わずその背中に顔を付け「クーちゃん綺麗だよ」とささやいてしまうのである。最近はココも正座をしている事がよくあるが、ココの場合はクーのように両手をきちんと揃えず、男座りになってしまうのだが、背中は柔らかく綺麗な曲線を描いている。
やはり、人工的に作られたものより、神様が作られた、自然美の方が美しいのではないだろうか。

今日の画像はこれだ

2008-08-05 10:22:28 | Weblog
今朝は何時もより30分程早く、僕が寝ている側でココが駆け回り始め、腹の上に飛び乗ったり、耳元で「お父さん起きろよ」と叫んだ。ココに何時もより早く食事を与えると、続いて玄関の戸がノックされた。ココを一旦廊下に入れ、扉を開けるとクーが入って来た。「クーたんどうしたの」と聞けば「ミャー・ミャンァー」「お腹が空いたのよ」と。
僕も何時もより早く食事を取って、ソファーに横になってテレビを見ている内に、何時しか寝てしまい、家内が出掛けるのも分からなかった。どれほど寝たであろうか、ココの「ぼく起きたよ。広いお部屋に入れてよ」コールで目が覚めた。時計は9時を指し、テレビは見慣れぬ番組をやっていた。すでにブログの更新時間を過ぎている。タバコを吸いながら、今日のテーマを考えたが、全く頭が空回りをするだけだ。完全にペンは進まず画像決まらずの最悪の状態。
こんな時は取材レポートを書くのが一番とばかりに、ココの様子を見れば、カーテンの中に潜り大人しく庭を眺めていた。玄関への扉を開けると、下駄箱の上にはクーが丸くなって昼寝の最中で「煩いわね」と目を吊り上げて僕を睨んだ。「失礼しました。お嬢様」と言って僕は洋間に戻ったのだ。扉を開ける足音で、ココは僕の足元に駆けて来た。僕がソファーで頭をゆっくり回転させていると、ココも反対側のソファーに座り僕の様子を見ていた。そこで手元に置いてあるカメラを向けると、大きなあくびをしてくれた。今日の画像は決まった。

5年前の夏

2008-08-04 07:34:08 | Weblog
5年前の夏、僕は親会社の新規設備搬入・設置工事が最盛期を迎え、土曜日の出勤は毎週あり、日曜日も監督者として、仕事に出る事が多かった。休日は全く不定で、工事の合間に代休を取るといった生活であった。帰宅しても疲れ切っていて、食事が終れば、寝てしまうと言う生活であった。家族の会話は途絶えがちになる。息子も日曜日は、デートや遊びで家には居ない。何か心の中に穴が開居たような虚しさを感じていた。
成城の教会迄6㌔、20分の道のり。閑静な住宅街に入ると、犬を散歩させている人を良く見掛ける。中には仔犬を連れた家族も。車の隣に座っている家内は「可愛いワンちゃん、家にもネェー」と羨ましそうな顔をしていた。僕も同感。しかし、朝早く家を出て、夜遅く帰宅する我家では無理であった。僕は心の中で仔犬が来て欲しいと祈る日々であった。この頃はまだ猫を全く知らず、会社で猫の話を聞かされても、ただ空返事をするのみ。また、インターネットで仔犬・仔猫の里親募集をしている事も知らず、仕事のメールのやり取りや、遊びのホームページを見るのみだった。
秋になり、神様は仔猫を僕達夫婦の前に差し出された。クーの姿を見た時、夫婦の心は一変した。昨日の教会への往復の車内の夫婦の話は、ブログのニャンコさんの事に、5年前とは違い、大きく変わっていた。

嫌だなー  暑くなりそう

2008-08-03 07:54:18 | Weblog
先程午前7時に室温が28.5度を越えた。みなさんのブログを拝見している時は、クーラーを我慢していたが、限界を超え、ついにリモコンに手が掛かり、スイッチON。
「嫌だなー暑くなりそうだよ」とクーとココに言っても「お父さんこれ位で暑いの?!」と笑われそうだ。クーは冷房の付いていない寝室の、箪笥の上に置いた籠ベッドで、角に頭を乗せ、耳だけちょこんと出して、スヤスヤと眠っている。ココは5時頃ご飯を食べた後は、27度を越えた部屋の中で、ねずみのおもちゃを転がして駆け回った。充分に運動をした後は、冷たい風の来ないカーテンの中に潜り、強い朝日が入って来る窓辺で休んでいる。覗いてみると、ココの顔には、陽の光が当たっているが「ぼく暑くなんかニャイよ」と僕を見上げた。
今日は日曜日、主日礼拝に参列する為、9時半頃成城迄出掛ける。車を教会の車庫に止めておくと、帰る頃には車内は激烈な暑さになり、ハンドルは素手で握れば、火傷をしそうな位に焼けている。しかし、クーもココも気持ち良さそうに暑さを楽しみ、お昼寝をしながら、お留守番をしているだろう。
小さなお子さんやお年を召した方は、熱中症にご注意を!

777と88

2008-08-02 08:57:28 | Weblog
今日も暑くなりそうだが、クーもココも暑さには平気なようで、朝寝を楽しんでいる。ココはソファーの上で寝ていたのを、抱き上げて部屋に連れて行く時に「ぼくは広いお部屋で寝んこするの」とばかりに、僕の腕をガブリと。それでも布団の上に寝かすと、後は夢の世界に入ったようだ。
さて、昨日でこのブログも、777話になっていたようだ。今朝迄全く気が付かなかった。そして、昨日見に来て戴いた方は88名であった。別に何となく良い数字の組み合わせだ。777に関係ある物はと考えてみると、神戸空港が開業して間もなくの、05年の春の彼岸に、両親の墓参りに行った時乗ったのが、日航の777型飛行機であった。羽田で撮った写真を見ると、遠くに富士山も写っていた。神戸迄普段は、新幹線を使うのだが、おっちょこちょいの新しい物好きな性格で、この時は飛行機で往復した。
神戸空港は、羽田や成田と比べると、ずうっと小さな飛行場だが、神戸の都心部・三ノ宮から20分と近いし、飛行場内の移動も、単純明快で使い勝手は、羽田よりも格段に良いと思う。大阪の?知事が、伊丹空港を廃止すると言っているが、その代替は神戸空港になるのか。関空よりは足の便が良いから。
飛行機の事を書いたついでに、航空会社と国交省に苦言。現在国内線旅客機では、猫と犬の客室内持込が禁止されている。猫や犬はケージに入れて、貨物室に乗ることになっている。何故なのだ。新幹線始めJR各線では、ケージに入れてあれば、270円の有料手荷物として、車内で一緒に過ごす事が出来るし、私鉄やバスは無料である。家族同然のニャン・ワンを客室に入れる事を、認めて欲しいものである。(外国の一部の航空会社は認めている)